389. シンデレラ(灰かぶり)からの便り
【2025年3月24日配信】
メルヘンの世界の光と影
小金井市 大山 文人
昨年の夏グリムのメルヘンを読む機会が
あった。(ヨーロッパの人々がメルヘンと
聞くとすぐに念頭に浮かぶのはグリムのメ
ルヘンだそうである。)
ドイツ語版(Kraus Reprint 1980)全三
巻、岩波文庫本で全五冊からなる大部なも
ので、通読するのに一苦労した。しかも、
ドイツ語版の方はドイツ文字で印刷されて
いるのである。その上ドイツの方言で書か
れたものがときおり出てきて、ドイツ人に
問いあわせてもなかなかわからないという
難所にぶつかったりすると、まるで暗号文
字を解読しているかのような心境になるの
であった。
次に記すのはそのような悪戦苦闘の中か
らの報告である。
メルヘンの世界というと、私たちはすぐ
夢のような楽しいできごとにみちあふれた
ばら色の世界を連想するかもしれない。た
とえばヘンゼルとグレーテルが森の中で見
つけた、パンや卵やきのお菓子や白砂糖で
できた家のような世界を。
しかし、ヘンゼルとグレーテルは、実は、
口べらしのために両親によって森の中に置
き去りにされたのであることを思いおこす
ことができるならば、メルヘンのようなば
ら色の世界には、きびしい現実もまた影を
おとしているのに気がつくことだろう。
夜のしんしんとふけたころ、「子共たち
を森に捨ててこよう」と最初に提案するの
は母親の方である。父親は、「そりゃあ、
かわいそうだ」と言って反対しようとする
のだが、ついには押し切られてしまう。こ
の母親は実はまま母であった。このような
わけでヘンゼルとグレーテルが森に捨てら
れたあと、お菓子の家の中で、魔法つかい
のおばあさんに殺されそうになりながらも、
その手をのがれてようやく自分たちの家に
帰りつくことができたとき、まま母は二人
をどのようにむかえたのだろう。ふしぎな
ことに、まま母はもう亡くなっていたとあ
る。
このようにしてまま母が子供をいじめる
話はグリムのメルヘンにおける主要なテー
マの一つであり、このテーマにそって有名
なメルヘンが多い。まま父が子供をいじめ
る話はほとんどないようである。いじめら
れるのは男の子の場合もあれば、女の子の
場合もある。
そしてまま母が子供をいじめるのに失敗
したときには、その末路はあわれなようで
ある。殺そうとして失敗したときには殺さ
れるようである。
「白雪姫」(KHM53)のあたらしいお
母さんは毎日鏡にむかって、「鏡よ鏡よ鏡
さん、世界じゅうでいちばん美人なのはだ
あれ」と問いかけて、「それはおきさきさ
まですよ」という鏡の返事を確かめずには
いられないようなひとであったのだが、あ
るとき「白雪姫はおきさきさまより千倍も
美しい」という返事を聞いておどろき逆上
する。そして白雪姫を何度もしつようにつ
けねらい殺そうとして失敗する。このおき
さきさまの末路は、まっかに焼けた鉄のく
つをはかされておどり狂って死ぬことであ
った。
別の有名なメルヘンに、「シンデレラ」
(KHM21)がある。シンデレラとは本名
であったのではなく、実はあだ名であった。
あだ名にはかならず意味がある。シンデレ
ラとは、灰かぶりのことであった。灰かぶ
りとは何か。そのへんの事情がわかるよう
に以下に引用してみよう。
「彼女のまま母が二人のつれ子とともに
やってきたときから、彼女にとって悪い日
々が始まりました。三人は彼女だけにはつ
ぎはぎだらけの古着をあてがい、日の出ま
えから夜おそくまで水を運ばせたり、食事
のしたくをさせたり、洗たくさせたりして
こきつかいました。その上、二人のお姉さ
んたちはわざといじわるをして、かまどの
灰の中にえんどう豆をまきちらしたのをひ
ろわせたりしましたので、彼女は夜になっ
てもベッドで眠ることもできず、かまどの
そばの灰の中でごろねをしなければなりま
せんでした。こうして彼女はいつも灰だら
けのみじめな姿で働いていましたので、近
所の人々はいつしか彼女を灰かぶりと呼ぶ
ようになったのです。」
このようなしかたでシンデレラをいじめ
ていじめていじめぬいた二人のお姉さんた
ちの末路はどうだったろうか。
二人はシンデレラを殺そうとまではしな
かったので殺されてはいない。
シンデレラが魔法の力によって見ちがえ
るような姿でお城の舞踏会に招かれ王子さ
まとおどったとき、王子さまはたちまち彼
女に恋をして、残されていった片いっぽう
の金のくつを手がかりに彼女をさがし出そ
うとする。
このくつにぴったりあった足の女性と結
婚すると言うのである。そこでくつがシン
デレラの家にまでやってきたとき、まず上
のお姉さんがはいてみようとするとつまさ
きがどうしてもはいらない。それを見たお
母さんは、「つまさきを切りおとしておし
まい」と言って切りおとしてしまう。それ
で足はどうにかはいるのだが、おびただし
い血が流れ出るので、にせものであること
がわかる。つぎに二番目のお姉さんがはい
てみようとするとかかとがどうしてもはい
らない。そこでお母さんは、「かかとを少
しそぎおとしておしまい」と言ってそぎお
としてしまう。足はようやくはいるが、出
血のためにせものとわかる。
このようにして二人のお姉さんたちは足
が不自由になった上に、鳥に目をつつかれ
て目もまた不自由になっているのである。
グリムのメルヘンは実にさまざまな言語
に翻訳されているが、このような場面は残
酷すぎるということでカットされたり、書
き直されたりして伝えられているようであ
る。しかし現代人である私たちがこのよう
な場面を直視することに耐えられないから
といって、それをカットしたり、書き直し
たりして伝えるとすれば、おそらく、メル
ヘンそのものの生命力を枯らしてしまうこ
とになるだろう。
夢と現実、善と悪、美と醜、愛と憎しみ、
恩返しと復讐、残酷な結末とハッピー・エ
ンドとは、一つのメルヘンの世界に、あた
かも光と影のように、同時にえがかれてい
るのである。
小社発行『北陸の燈』第2号より
当講座記事NO.13、283再掲
木偶乃坊写楽斎さん撮影 於氷見市
〈後記〉
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この写真を見ていると、「踊り」とは
「お鳥」のことかという気がしました。
「すずめひゃくまでおどりわすれず」
も粋な解釈ができるような気がします。
鳥になって翔び踊るワリエワとおわら
当講座記事NO.235から
当講座記事NO.224から
邑知潟の小白鳥 木偶乃坊写楽斎さん撮影 2022.11.27
当講座記事NO.170から
歌 アレクサンドラ・べリコヴァ
Александра Белякова
〈小社推薦図書〉
西口拓子著
『挿絵でよみとくグリム童話』
(早稲田大学学術叢書、2022・6)