280. 湯の人(その4)現実と夢
【2022年11月22日配信】
大きな便り
加藤 蒼汰
秋とはいっても冬のような寒い夜だった。
浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に
座っている銭湯の主人と私ともうひとり。
その人は銭湯の近所の人であり、かつて
高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・
現石川県知事を教えていたと語っている。
八十歳を超えている。
この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに
知事の高校在学中のエピソードを繰り返す
ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ
られるようになってしまった。高校入学時
から卒業までの様子、レスリング部での活
躍などであるが、私が特に感銘を受けた話
は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ
た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教
職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口
までの路をひとりスコップで雪かきをして
いたというくだりである。
そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、
服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって
五、六歩あるきながら大便を三個落とした
のである。気づかずに落ちたようなので、
私は「先生、落としもの」と声をかけると、
「ありりー、まったく気いつかんかった。
あはははは」と笑うのである。
私は、脇にあったチリトリでこの塊をす
くいとり、「みごとな色と固さやね」と言
いながらトイレに流した。しかしながら、
脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、
息が苦しくなるほどだった。このとき私は、
幼いころサーカスを見たときのことを思い
だした。
それは曲芸をしていた象が巨大な大便の
塊を三個落とし、団員があわててスコップ
で拾いあげていた光景であった。このとき
の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに
チリトリを思いつかせたような気がする。
本を読んでいた番台の主人もその匂いで事
のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい
ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を
雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは
容易に消えなかった。
その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち
よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺
にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、
免疫機能が高まるまたとないチャンスでは
ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて
きて湯船に同席、お伴したしだいである。
「よくあることなんけ」と湯中、思わず
隣りの先生に声をかけると、「初めてのこ
とや。いよいよ来たな。これから紙おむつ
やな」と、また笑った。「風呂へは通って
くださいよ」と言うと、「あったりまえや。
なおさら来なくては」と、また笑顔で応え
た。
翌日、銭湯で先生とまた顔を合わせた。
先生は、断言どおり紙おむつをしていた。
裸になり、浴室入り口へと向かう先生は、
一、二歩すすむたびに、何か大事なものを
探すかのごとく後ろをふりかえっていた。
「探しものは何ですか」、と声をかけたい
くらいに。「明日はわが身か」との思いも
よぎってきた。
〈参考〉
当講座記事NO.
♫ 夢の中へ ♫ 井上陽水
〈後記〉
新しい世界への予感
上の「三つの歌」を、私見をもって勝手に
解釈すると
現実と思われている今の苦しい世界は、夢
の世界である。
この夢の世界から夢の中へ行けば、そこに
は何かいいことがあるのだろうか。そこは楽
しいところなのだろうか。また、そこが、実
は本当の現実というところだったのだろうか。
あるいは夢の中の世界は現実でもなくて、
これまでまったく見聞したこともない新たな
夢の世界かもしれない。ただ、そこは苦しい
世界なのか楽しい世界なのかも分からない。
もっと苦しい世界かもしれない。
しかし、現実、夢、夢の中といったいずれ
の世界であっても、どこかに設計者がいて人
間ひとりひとりの意識と行動をかいま見てい
る気もする。その設計者が、どこかの施工者
に何らかの世界を創らせているのか、あるい
は、われわれ人間の意識と行動が、設計者に
あるべき世界を要請しているのだろうか。
設計者と、夢見るこの世の人々が織りなす
善なる意識と行動、それを持てるかどうかに
「今後」がかかっていると思うが、いずれに
しても、夢の中の、さらにその中の夢の中の
世界、そこが、何か新しい現実世界であるよ
うな気がする。
そこも、たとえ夢の世界であっても、そし
て、どんな世界が待っていようと、そこを現
実として、そこに生きるしか道はなく、その
道を歩む覚悟と、新しい思想と心の準備をす
るしか術はない。 (当講座編集人)
腸(はらわた)からの笑い声