281. 貧困なる精神からの解放
【2022年12月2日配信】
本多勝一『大江健三郎の人生
-貧困なる精神Ⅹ集-』から
この問題〈注1〉と深く関連するものと
して、大江健三郎氏のノーベル文学賞受賞
記念講演『あいまいな日本の私』(一九九
四年十二月)を取りあげたい。大江氏は、
自分が戦後民主主義者であることを理由に
文化勲章を拒んだ。であるならば、川端康
成の『美しい日本の私』(一九六八年同講
演)に対して、はっきりとした訣別がある
と私は考えていた。けれども大江氏は、ア
ジアに対する日本の侵略戦争を一応は批判
しているようにみせながらも、この川端と
の訣別の態度をほとんどみせなかったので
ある。それどころか川端の禅的、天皇制的
な世界観に対して、きわめて「あいまいな
(ambiguous=両義的な)」評価を与え、
かつ、「自然」や「森」や「息子・光」と
の関係から成立する「言語を超えたもの」
を強調し、さらに、意図的に選んだ人物を
羅列しながら西洋のルネサンスにおける「
ユマニスム」への無批判な賛美にまで至っ
ている。
私は大江氏のこの講演のなかで、はっき
りと「連続性史観」に基づいた危険な発想
をみているのである。もし大江氏が戦後民
主主義者を自称するならば、少なくとも川
端や三島由紀夫の日本主義的な思想や行動
に対して明確に批判する責任があるはずで
あり、そして、その川端、三島への批判の
根拠となりうる新しい哲学や思想を主張す
ると私は期待していた。
大江氏の語るルネサンスの「ユマニスム」
は、西洋哲学史において、最も非論理的で
「あいまいな」哲学の系譜を代表するもの
であり、自然主義、さらには神秘主義へと
深く関連していくものである。このことは、
すでに過去の歴史によって論証されたこと
である。禅や天皇制から「ユマニスム」へ
の展開--ということを大江氏が本気で考
えているとすれば、それは、「連続性史観」
に基づいた同じ実体の繰りかえしを意味す
るものでしかない。川端、三島を克服でき
ない大江氏のこの「あいまいさ(ambigui-
ty=両義性)」の内実は、「いいかげんな
もの」であり、多くの人を惑わすための新
しい(復古的な)保守反動、体制迎合思想
であると私は考える。
(ジョアキン=モンテイロ『日本的霊性
からの解放』=金沢出版社・一九九五年
・金沢市)
私への反批判のひとつに、たとえば橋本
徳久氏〈敵は本能寺にあり〉による次のよ
うな指摘があります。
「今日までの大江の作家としての営為と、
江藤(淳)、石原(慎太郎)のそれと比較
して、日本の反動化への貢献度がより大で
あるという本多の論拠はどこにあるのであ
ろうか。筆のすべりとは思うが、いかにも
勇み足といわざるをえない」
私の原文をもう一度読んで下さるとあり
がたいのですが、べつに「筆のすべり」と
いうわけではありません。ジョアキン=モ
ンテイロ氏による右の引用文は、私の意図
するところとほぼ重なります。江藤氏や石
原氏はもちろん日本の反動化に貢献してき
ました。しかしかれらはかなり若いときか
らその政治姿勢を反動側におくことを明確
にしていたので、あいまいさがありません。
民衆のだれにも、その立場がわかります。
ということは、影響力としては大きくない
ことでもあるのです。かれらの味方は「味
方だ」とかれらを認めるし、かれらの敵は
「敵だ」とかれらを見ます。つまり変らな
いわけです。敵を味方にしたり、味方を敵
にしたりはしないのですから。
ところが大江氏は違います。どう違うか。
それが私の説いてきたところであり、ジョ
アキン=モンテイロ氏が「多くの人を惑わ
すための新しい保守反動、体制迎合思想で
ある」と大江氏を評するゆえんでもありま
す。
ジョアキン=モンテイロ氏は、一九五五
年にブラジルのリオデジャネイロ市に生ま
れ、サンタ=ウルスラ大学心理学部を卒業
していますが、親鸞の教えを求めて来日し、
一九八六年に真宗大谷派の僧侶となった人
物です。ブラジルの先住民解放運動や黒人
解放運動にもかかわってきました。しかし
既存の仏教教団や寺院・僧侶の堕落を批判
したために迫害をうけ、苦悩と孤独のうち
に『選択本願念仏集』と『教行信証』を読
みかえして、従来の教義解釈とは全く異る
法然や親鸞の本来の言葉と出会います。そ
の思想を現代によみがえらせようと苦悩し
ている一人です。それは天皇制と結びつい
た仏教や(鈴木)大拙仏教学への批判とな
ってゆきます。
日本にはこのような言行一致の行動的知
識人がきわめて少ないけれど、外国では少
なくありません。それに「言行一致しない
知識人」という存在も、かなり日本的現象
といえるでしょう。この点でもまた大江健
三郎氏はひとつの典型とみることができま
す。
〈注1〉
「この問題」とは、中曽根康弘・佐藤誠三郎・
村上泰亮・西部邁による『共同研究「冷戦以
後」』(文藝春秋・一九九二年)をはじめと
する最近の反動思想(ほとんど伝統的で皇国
史観的な仏教史観)をジョアキン=モンテイ
ロ氏が論じた部分をさす。(『日本的霊性か
らの解放』35ページ)つまり大江の考え方は
かれらと通底しているという指摘である。
本多勝一著『大江健三郎の人生-貧困なる
精神Ⅹ集-』 1995年7月10日 毎日新聞社
発行 139~178頁から
『日本的霊性からの解放
ー 信仰と歴史認識・菩提心の否定と浄土真宗 ー』
(A5判70頁 1995年2月・小社発行)
著者 ジョアキン・モンテイロ
「現代の声」講座第74回から連続5回提言
テーマ:現代と個人
小社発行・『北陸の燈』第5号掲載
〈以下参考〉
本多勝一
関連当講座記事
〈後記〉
批判を承知であえて記すが、上の伊藤整の
発言を聞くと、伊藤は川端の作品を代筆し、
翻訳もし、なおかつ「韜晦(とうかい)」
してきたように感じる。もしそうであれば、
日本人初受賞のノーベル文学賞は、実質、
伊藤に与えられたものである。否、伊藤が
勝ち獲ったものである。
また、三島由紀夫は、川端にノーベル受賞
辞退を促すどころか、自身のあの「檄文」
の主張とは矛盾した言葉、思想、姿勢、態
度で、川端の受賞を手放しで喜んでいる。
三島は伊藤から、「三島くん」と呼ばれて
いる。
大江健三郎にいたっては、文化勲章を辞退
したこと自体が矛盾である。もしこのとき
伊藤存命であれば、伊藤も自身の文学観を
もって大江の思想を批判したであろう。
また、伊藤は川端受賞あとの次期ノーベル
文学賞受賞候補になっていたという。もし
伊藤があとしばらく元気でいれば、前人未
到の二度の、しかも二年連続のノーベル賞
受賞という「大飛躍」となっていたはずだ。
伊藤は、川端受賞の半年後に腸閉塞で体調
をくずし、無念、その半年後に亡くなる。
行年六十四歳。
精神の闇(病み)は深い。 (当講座編集人)
当講座記事NO.233、「人文」「人権」「人道」に関する記事
〈追記〉
当講座記事NO.300から
反骨のジャーナリスト表明
「義を見てせざるは勇無きなり」論語為政第二24
子曰「非其鬼而祭之、諂也。見義不為、無勇也」
義が貴い人道であることを知りながら、これを
実行しないのは勇気がないものである。
(岩波広辞苑)
人としてなすべき正義を見知りながら、なそう
としないのは真の勇気がない意気地なしである。
(大修館新版漢語林)
当然なすべきことであるということを知ってい
ながら、これをしないのは勇気がないのである。
(角川漢和中辞典)
悪を知りつつ善と正を行なう意はありやなしや。
(小社)
幸徳秋水『基督抹殺論』(岩波文庫、1954)の
「跋文」を田岡嶺雲が執筆
カール・シュミット『憲法論』
(みすず書房、1974)
佐藤章著『ドストエフスキーの黙示録』
(朝日新聞社、1993)