249. わび茶の心・良寛と貞心尼
【2022年5月11日配信】
立夏の夜
雲間からシリウスの影夏の空
京都市 石島 美幸
〈参考〉
原点にもどって真の職人集団を!
石川県加賀市山中温泉
塗師 沢田 喜誠
このごろ木製漆器の「山中塗」がこの地
上から近く消滅してしまうのではないかと
危惧、心配するようになりました。
当地の漆器が、他の産地の製品と比較し
て、非常に劣っていたり、また、独特とい
われるような価値ある技術が何もないのだ
ろうか、と静かに自問してみるのですが、
そんな欠点とか、劣るものはまったくあり
ません。それどころか他産地と比べて、た
いへん勝れているもののほうが多く、むし
ろ誇りにさえ思われるのです。
特別な作家活動をされている方たちとは
別に、職人芸としてまず第一に、ロクロ挽
き物技術は全国的にみても第一級に位する
ものですし、これは自画自賛ではなく非常
に勝れたものであることは、文句なく認め
てもらえるはずです。
また、塗りにしても、下地、上塗とも京
風の確かな技術を、江戸時代から名もなき
先人たちが、苦心して伝承し残してくれた
ものも、しっかりと生き続けています。
加飾蒔絵も独特の高絵や友治などもあり、
敗戦後の若者たちが金沢蒔絵の本格派を習
得し、すでに出来上がって山中の地に帰っ
て来ています。
今なら立派な技術を持っている年配者が
充分生存しておられます。これらの技術と
職人気質といえるものを、今のこの時点で
しっかりと見直し、あらゆる視点・角度か
ら総合して、「木地」「下地」「塗り」「
蒔絵」の全部門の職人が、一堂に集って討
論を重ねて、漆器の原点から生いたちを考
え直し問い正していく職人集団をつくる必
要があると思います。
イロハからみると、原料材料に「うるし」
を塗り重ね生活用具として使ってもらうこ
の漆器は、その用にたえうる耐久力が要る
わけで、「うるし」という塗料は、他のど
んな化学製の塗料などと比べても優雅な気
品と強度の耐久性があります。これは、日
本の永い伝統と歴史の中で磨かれ育まれた
ものですから、かけがえのない大切な日本
の文化です。
だからこの漆器は、単なる利益だけを追
う商品でないと心しなければなりません。
ここで最も注意すべきことは、美しさを強
調するあまり、原料漆をケチって表面上が
りだけに力を入れ、弱い漆器をつくっては
ならないことです。先輩たちがいくたびと
努力してくれ、教えてくれた下地生漆(き
うるし)の割合混合比率は「鉄則」ですか
ら、これをケチると剝げる器になります。
ともすると椀以外の用途のものは、熱いも
のを入れないのだから、この鉄則を守らな
くてもよいなどという、職人らしからぬ職
人も近ごろはいるようですが、これはまっ
たく残念な考え方です。伝承された鉄則を
決して崩してはいけないと思います。
また、素材の木は、百年・二百年もの歳
月をかけて生長してきた貴重なものですし、
この木に対しては礼をつくさねばなりませ
ん。「うるし」もまた、これ以上の尊い天
与の素材であり、最上級の敬意を払わねば
なりません。そして、この貴重なものを原
料にこれを使用して仕事に従事する職人は、
長い時間をかけて習い覚えた技術者である
ことを充分に自覚し、今、考えを新たにし、
良心のありったけを製作品に打ち込んで仕
事をしなければならないと思います。
そこで、化学技術などが極度に産業界を
席捲し発展を遂げている現代という時代に、
私どもの木製漆器が地場産業として、これ
からどうなってゆくのでしょうか。
このことは、種々議論の分かれるところ
と思いますが、このようなことは、業界の
組合とか自治体の偉い方たちの領分だと思
いますので、大きな観点からの展望はその
方々にお任せすることにして、今こういっ
た時代に私たち職人の考えなければならな
い問題は、商業ベースの方たちの発想と指
導に期待した従来どおりの”待ち”の姿勢で
は、過去の歴史が示すような毎度のパター
ンのお定まりの値段競争で、安かろう・悪
かろうといった作業内容となってしまうと
いうことです。
この不況の時は、それにいっそう拍車が
かかり、激しい粗悪品化が起こって、伝承
技術が”亡びの道”を走ることは必死です。
この売れない時にこそ、確かなものを世に
出す努力をし新しい創作への苦心をしなけ
ればならないと思いますが、職人のほうは
生活がかかっているために、盲目的に悪い
方向に従ってしまうという状態です。
では、どうすればよいのでしょうか。原
料材料に「うるし」を塗り、生活用品をつ
くるという本格的な伝統漆器は、もはや現
代という時代では、大発展をし一大産業を
なすということは限界に来ていると思いま
す。初めに私が提言しましたように、漆器
そのものの出直しから始めて、先人たちが
築き上げたこの山中漆器の持つ「大切な文
化」を守るために、真の職人集団を結成し、
まさに開き直った個々、一人ひとりが強い
決意をしなければならないと思います。そ
して、自発的に自らの仕事に責任を持つ立
場で始めなければ「本物」にはなりません。
従ってこの集団には、公共的な援助などに
頼るような心構えは絶対にすべきではない
し、また、当然”金もうけ”を目標にすべき
ではありません。
こういった発想で「木地」「下地」「塗
り」「蒔絵」の有志の人が相寄り、充分な
時間をかけて話し合い、会合を繰り返し、
その趣旨や意義を理解し、賛同し合ってか
ら、具体的な討論に入ればよいと思います。
そして将来は、「一つの物」にも各分業者
の名前を明記して世に出し、その仕事に一
人ひとりが責任を持つという態勢にまで盛
り上がらせたいと思います。
以前 NHK テレビで、越前漆器の職人た
ちが、正倉院御物の再生に情熱を傾けてい
る姿を見ましたが、かの産地にはあのよう
な学ぶべき職人の方々が現在いるというこ
とに驚かされました。「伝統」とはあのよ
うな姿勢があって初めて伝承されるものだ
と思います。
私たちが、この時期にこういう集団の結
成を、少人数でもいいからと呼びかけてい
ることの意味を理解賛同され、ひとりでも
相集い、真の職人集団で伝統の「山中塗」
を守ろうではありませんか。
(当講座記事NO.19から)
(天径7.5cm×高さ7.5cm 小社撮影)
山中塗・棗(なつめ)
木地師 梶原 康造
下地師 河上 和夫
塗 師 沢田 喜誠
器(うつわ)への思い
九谷焼絵付師 宮保 英明
用という約束の形を提供しながら、その
形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち
得るか、どんな可能性を引き出し得るか、
自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。
自意識による変身、習慣のタガをはずし、
本来まったく自由に扱える創作表現への自
意識を、材質としての焼きものにぶつけた
い。
盛られる料理に好かれる器。使いよくて
楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た
目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素
直に語りかけてくる。そんなものを心がけ
てつくりたい。 (当講座記事NO.21から)
みやぼ ひであき
20歳から絵付けをはじめる。
1950年石川県白山市生まれ。
石川県加賀市日谷(ひのや)在住。
日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。
谷間の村・日谷の向こうには人はいない。
宮保家の裏もすでに森である。
仕事をするのにいい場所をさがし歩き、
1984年の夏、白山市から引っ越してきた。
「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。
写真は八幡スタジオ。
『古市播磨法師宛一紙』
珠光が茶の湯の弟子である古市澄胤に宛て
て書いたとされる『古市播磨法師宛一紙』
(通称「心の師の文」)は、珠光の茶の湯
に対する考えが記されていることで有名で
ある。『松屋会記』 という茶会記を記した
ことで有名な奈良の松屋が所持し、小堀遠
州に表具を依頼して掛物とした。江戸時代
後期に大坂の豪商である鴻池道億へ譲られ、
近代には平瀬露香が所蔵していたが、現在
は所在不明となっている。
原文
古市播磨法師 珠光
この道、第一わろき事は、心の我慢・我執
なり。功者をばそねみ、初心の者をば見下
すこと、一段勿体無き事どもなり。功者に
は近つきて一言をも歎き、また、初心の物
をば、いかにも育つべき事なり。この道の
一大事は、和漢この境を紛らわすこと、肝
要肝要、用心あるべきことなり。また、当
時、ひえかる(冷え枯る)ると申して、初
心の人体が、備前物、信楽物などを持ちて、
人も許さぬたけくらむこと、言語道断なり。
かるる(枯るる)ということは、よき道具
を持ち、その味わいをよく知りて、心の下
地によりて、たけくらみて、後まて冷え痩
せてこそ面白くあるべきなり。また、さは
あれども、一向かなわぬ人体は、道具には
からかふべからず候なり。いか様の手取り
風情にても、歎く所、肝要にて候。ただ、
我慢我執が悪きことにて候。または、我慢
なくてもならぬ道なり。銘道にいはく、心
の師とはなれ、心を師とせされ、と古人も
いわれしなり。
現代語訳
この道において、まず忌むべきは、自慢・
執着の心である。達人をそねみ、初心者を
見下そうとする心。もっての外ではないか。
本来、達人には近づき一言の教えをも乞い、
また初心者を目にかけ育ててやるべきであ
ろう。
そしてこの道でもっとも大事なことは、唐
物と和物の境界を取り払うこと。(異文化
を吸収し、己の独自の展開をする。)これ
を肝に銘じ、用心せねばならぬ。
さて昨今、「冷え枯れる」と申して、初心
の者が備前・信楽焼などをもち、目利きが
眉をひそめるような、名人ぶりを気取って
いるが、言語道断の沙汰である。「枯れる」
ということは、良き道具をもち、その味わ
いを知り、心の成長に合わせ位を得、やが
てたどり着く「冷えて」「痩せた」境地を
いう。これこそ茶の湯の面白さなのだ。と
はいうものの、それほどまでに至り得ぬ者
は、道具へのこだわりを捨てよ。たとえ人
に「上手」と目されるようになろうとも、
人に教えを乞う姿勢が大事である。それに
は、自慢・執着の心が何より妨げとなろう。
しかしまた、自ら誇りをもたねば成り立ち
難い道でもあるのだが。
この道の至言として、
わが心の師となれ 心を師とするな
(己の心を導く師となれ 我執にとらわれ
た心を師とするな)
と古人もいう。
(現代語訳 能文社 2009年)
解説
「和漢この境を紛らわす」、つまり、唐物
と和物の茶道具を融和させることが茶の湯
の道で重要だとしている。
「冷え枯るる」の下りは、初心者は「ただ
美しく」という正風体を目指すべきであり、
「冷え枯るる」境地は老境に至ってのみ自
ずと達する、という連歌師心敬による連歌
論を転用している。
最後の「心の師とはなれ、心を師とせざれ」
は、浄土思想の恵心僧都『往生要集』から
の引用。
珠光の孫弟子・紹鷗
若狭武田氏出身
わび、さび
武野紹鷗 - Wikipedia
「えりまきの温かそうな黒坊主
こいつの法が天下一なり」
親鸞『教行信証』
(小社推薦図書)普化
義玄の師・黃檗希運
良寛
この里に手まりつきつつ子どもらと
遊ぶ春日は暮れずともよし
焚くほどは風がもて来る落ち葉かな
鉄鉢に明日の米あり夕涼み
生涯懶立身
騰々任天眞
嚢中三升米
爐邊一束薪
誰問迷悟道
何知名利塵
夜雨草庵裡
雙脚等間伸
来るに似てかへるに似たり沖つ波
あきらかけり君が言の葉