249. わび茶の心・良寛と貞心尼

【2022年5月11日配信】 

      

良寛書            





 立夏の夜                




 雲間からシリウスの影夏の空





        京都市 石島 美幸  








〈参考〉


  原点にもどって真の職人集団を!



            石川県加賀市山中温泉 

           塗師 沢田 喜誠   


 このごろ木製漆器の「山中塗」がこの地

上から近く消滅してしまうのではないかと

危惧、心配するようになりました。


 当地の漆器が、他の産地の製品と比較し

て、非常に劣っていたり、また、独特とい

われるような価値ある技術が何もないのだ

ろうか、と静かに自問してみるのですが、

そんな欠点とか、劣るものはまったくあり

ません。それどころか他産地と比べて、た

いへん勝れているもののほうが多く、むし

ろ誇りにさえ思われるのです。


 特別な作家活動をされている方たちとは

別に、職人芸としてまず第一に、ロクロ挽

き物技術は全国的にみても第一級に位する

ものですし、これは自画自賛ではなく非常

に勝れたものであることは、文句なく認め

てもらえるはずです。


 また、塗りにしても、下地、上塗とも京

風の確かな技術を、江戸時代から名もなき

先人たちが、苦心して伝承し残してくれた

ものも、しっかりと生き続けています。

 

 加飾蒔絵も独特の高絵や友治などもあり、

敗戦後の若者たちが金沢蒔絵の本格派を習

得し、すでに出来上がって山中の地に帰っ

て来ています。


 今なら立派な技術を持っている年配者が

充分生存しておられます。これらの技術と

職人気質といえるものを、今のこの時点で

しっかりと見直し、あらゆる視点・角度か

ら総合して、「木地」「下地」「塗り」「

蒔絵」の全部門の職人が、一堂に集って討

論を重ねて、漆器の原点から生いたちを考

え直し問い正していく職人集団をつくる必

要があると思います。


 イロハからみると、原料材料に「うるし」

を塗り重ね生活用具として使ってもらうこ

の漆器は、その用にたえうる耐久力が要る

わけで、「うるし」という塗料は、他のど

んな化学製の塗料などと比べても優雅な気

品と強度の耐久性があります。これは、日

本の永い伝統と歴史の中で磨かれ育まれた

ものですから、かけがえのない大切な日本

の文化です。


 だからこの漆器は、単なる利益だけを追

う商品でないと心しなければなりません。

ここで最も注意すべきことは、美しさを強

調するあまり、原料漆をケチって表面上が

りだけに力を入れ、弱い漆器をつくっては

ならないことです。先輩たちがいくたびと

努力してくれ、教えてくれた下地生漆(き

うるし)の割合混合比率は「鉄則」ですか

ら、これをケチると剝げる器になります。

ともすると椀以外の用途のものは、熱いも

のを入れないのだから、この鉄則を守らな

くてもよいなどという、職人らしからぬ職

人も近ごろはいるようですが、これはまっ

たく残念な考え方です。伝承された鉄則を

決して崩してはいけないと思います。


 また、素材の木は、百年・二百年もの歳

月をかけて生長してきた貴重なものですし、

この木に対しては礼をつくさねばなりませ

ん。「うるし」もまた、これ以上の尊い天

与の素材であり、最上級の敬意を払わねば

なりません。そして、この貴重なものを原

料にこれを使用して仕事に従事する職人は、

長い時間をかけて習い覚えた技術者である

ことを充分に自覚し、今、考えを新たにし、

良心のありったけを製作品に打ち込んで仕

事をしなければならないと思います。


 そこで、化学技術などが極度に産業界を

席捲し発展を遂げている現代という時代に、

私どもの木製漆器が地場産業として、これ

からどうなってゆくのでしょうか。


 このことは、種々議論の分かれるところ

と思いますが、このようなことは、業界の

組合とか自治体の偉い方たちの領分だと思

いますので、大きな観点からの展望はその

方々にお任せすることにして、今こういっ

た時代に私たち職人の考えなければならな

い問題は、商業ベースの方たちの発想と指

導に期待した従来どおりの”待ち”の姿勢で

は、過去の歴史が示すような毎度のパター

ンのお定まりの値段競争で、安かろう・悪

かろうといった作業内容となってしまうと

いうことです。


 この不況の時は、それにいっそう拍車が

かかり、激しい粗悪品化が起こって、伝承

技術が”亡びの道”を走ることは必死です。

この売れない時にこそ、確かなものを世に

出す努力をし新しい創作への苦心をしなけ

ればならないと思いますが、職人のほうは

生活がかかっているために、盲目的に悪い

方向に従ってしまうという状態です。


 では、どうすればよいのでしょうか。原

料材料に「うるし」を塗り、生活用品をつ

くるという本格的な伝統漆器は、もはや現

代という時代では、大発展をし一大産業を

なすということは限界に来ていると思いま

す。初めに私が提言しましたように、漆器

そのものの出直しから始めて、先人たちが

築き上げたこの山中漆器の持つ「大切な文

化」を守るために、真の職人集団を結成し、

まさに開き直った個々、一人ひとりが強い

決意をしなければならないと思います。そ

して、自発的に自らの仕事に責任を持つ立

場で始めなければ「本物」にはなりません。

従ってこの集団には、公共的な援助などに

頼るような心構えは絶対にすべきではない

し、また、当然”金もうけ”を目標にすべき

ではありません。


 こういった発想で「木地」「下地」「塗

り」「蒔絵」の有志の人が相寄り、充分な

時間をかけて話し合い、会合を繰り返し、

その趣旨や意義を理解し、賛同し合ってか

ら、具体的な討論に入ればよいと思います。

そして将来は、「一つの物」にも各分業者

の名前を明記して世に出し、その仕事に一

人ひとりが責任を持つという態勢にまで盛

り上がらせたいと思います。


 以前 NHK テレビで、越前漆器の職人た

ちが、正倉院御物の再生に情熱を傾けてい

る姿を見ましたが、かの産地にはあのよう

な学ぶべき職人の方々が現在いるというこ

とに驚かされました。「伝統」とはあのよ

うな姿勢があって初めて伝承されるものだ

と思います。


 私たちが、この時期にこういう集団の結

成を、少人数でもいいからと呼びかけてい

ることの意味を理解賛同され、ひとりでも

相集い、真の職人集団で伝統の「山中塗」

を守ろうではありませんか。

         (当講座記事NO.19から)



(天径7.5cm×高さ7.5cm 小社撮影)

         

    山中塗・棗(なつめ)

     木地師 梶原 康造

     下地師 河上 和夫

     塗 師 沢田 喜誠









 器(うつわ)への思い



     九谷焼絵付師  宮保 英明



 用という約束の形を提供しながら、その

形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち

得るか、どんな可能性を引き出し得るか、

自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。


 自意識による変身、習慣のタガをはずし、

本来まったく自由に扱える創作表現への自

意識を、材質としての焼きものにぶつけた

い。


 盛られる料理に好かれる器。使いよくて

楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た

目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素

直に語りかけてくる。そんなものを心がけ

てつくりたい。  (当講座記事NO.21から)




みやぼ ひであき

20歳から絵付けをはじめる。

1950年石川県白山市生まれ。

石川県加賀市日谷(ひのや)在住。

日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。

谷間の村・日谷の向こうには人はいない。

宮保家の裏もすでに森である。

仕事をするのにいい場所をさがし歩き、

1984年の夏、白山市から引っ越してきた。

「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。

写真は八幡スタジオ。









わび茶の創始者・珠光


『古市播磨法師宛一紙』

珠光が茶の湯の弟子である古市澄胤に宛て

て書いたとされる『古市播磨法師宛一紙』

  (通称「心の師の文」)は、珠光の茶の湯

に対する考えが記されていることで有名で

ある。『松屋会記』 という茶会記を記した

ことで有名な奈良の松屋が所持し、小堀遠

州に表具を依頼して掛物とした。江戸時代

後期に大坂の豪商である鴻池道億へ譲られ、

近代には平瀬露香が所蔵していたが、現在

は所在不明となっている。


原文

古市播磨法師           珠光

この道、第一わろき事は、心の我慢・我執

なり。功者をばそねみ、初心の者をば見下

すこと、一段勿体無き事どもなり。功者に

は近つきて一言をも歎き、また、初心の物

をば、いかにも育つべき事なり。この道の

一大事は、和漢この境を紛らわすこと、肝

要肝要、用心あるべきことなり。また、当

時、ひえかる(冷え枯る)ると申して、初

心の人体が、備前物、信楽物などを持ちて、

人も許さぬたけくらむこと、言語道断なり。

かるる(枯るる)ということは、よき道具

を持ち、その味わいをよく知りて、心の下

地によりて、たけくらみて、後まて冷え痩

せてこそ面白くあるべきなり。また、さは

あれども、一向かなわぬ人体は、道具には

からかふべからず候なり。いか様の手取り

風情にても、歎く所、肝要にて候。ただ、

我慢我執が悪きことにて候。または、我慢

なくてもならぬ道なり。銘道にいはく、心

の師とはなれ、心を師とせされ、と古人も

いわれしなり。


現代語訳

この道において、まず忌むべきは、自慢・

執着の心である。達人をそねみ、初心者を

見下そうとする心。もっての外ではないか。

本来、達人には近づき一言の教えをも乞い、

また初心者を目にかけ育ててやるべきであ

ろう。

そしてこの道でもっとも大事なことは、唐

物と和物の境界を取り払うこと。(異文化

を吸収し、己の独自の展開をする。)これ

を肝に銘じ、用心せねばならぬ。

さて昨今、「冷え枯れる」と申して、初心

の者が備前・信楽焼などをもち、目利きが

眉をひそめるような、名人ぶりを気取って

いるが、言語道断の沙汰である。「枯れる」

ということは、良き道具をもち、その味わ

いを知り、心の成長に合わせ位を得、やが

てたどり着く「冷えて」「痩せた」境地を

いう。これこそ茶の湯の面白さなのだ。と

はいうものの、それほどまでに至り得ぬ者

は、道具へのこだわりを捨てよ。たとえ人

に「上手」と目されるようになろうとも、

人に教えを乞う姿勢が大事である。それに

は、自慢・執着の心が何より妨げとなろう。

しかしまた、自ら誇りをもたねば成り立ち

難い道でもあるのだが。

この道の至言として、


わが心の師となれ 心を師とするな

(己の心を導く師となれ 我執にとらわれ

た心を師とするな)


と古人もいう。

       (現代語訳 能文社 2009年)


解説

「和漢この境を紛らわす」、つまり、唐物

と和物の茶道具を融和させることが茶の湯

の道で重要だとしている。

「冷え枯るる」の下りは、初心者は「ただ

美しく」という正風体を目指すべきであり、

「冷え枯るる」境地は老境に至ってのみ自

ずと達する、という連歌師心敬による連歌

論を転用している。

最後の「心の師とはなれ、心を師とせざれ」

は、浄土思想の恵心僧都『往生要集』から

の引用。




珠光の孫弟子・紹鷗

若狭武田氏出身

わび、さび

武野紹鷗 - Wikipedia


紹鷗の弟子.丿貫 雪駄

 



珠光の理解者・心敬 

雲間の月を見る如くなる句が

おもしろく候。

言わぬ所に心をかけ冷え寂びたるかたを

悟り知れとなり。境に入りはてたる句は

この風情のみなるべし。

連歌師・心敬



 


 

 


珠光の師・一休


説法説禅挙姓名

辱人一句聴呑声

問答若不識起倒

修羅勝負長無明


一休宗純 - Wikipedia


「有漏路より無漏路へ帰る一休み

 雨ふらば降れ風ふかば吹け」

 父親は後小松天皇
 蓮如と友人


「えりまきの温かそうな黒坊主

 こいつの法が天下一なり」

 藤原北家日野家出自
 娘の覚信尼以後大谷家となる





天下一の法 

親鸞『教行信証』

(小社推薦図書)
真宗門徒を自称する者ですらこの書を読む者は
少ない。また、読んだところで真に親鸞の意を
理解する者はほとんどいない。まして実践する
者は皆無である。ある意味、禁断の書である。









一休の師・普化
黄檗三打

普化

義玄の師・黃檗希運





良寛


この里に手まりつきつつ子どもらと

遊ぶ春日は暮れずともよし


焚くほどは風がもて来る落ち葉かな


鉄鉢に明日の米あり夕涼み


生涯懶立身

騰々任天眞

嚢中三升米

爐邊一束薪

誰問迷悟道

何知名利塵

夜雨草庵裡

雙脚等間伸


 越後国出雲崎の名主橘屋長男
 師は国仙和尚、兄弟子に仙桂
 晩年弟子の貞心尼に愛される





良寛臨終の句

良寛
いついつと待ちにし人は来たりけり今は相見て何か思はむ
貞心尼
生き死にの境離れて住む身にもさらぬ別れのあるぞ悲しき
良寛
裏を見せ表を見せて散る紅葉

貞心尼
来るに似てかへるに似たり沖つ波
良寛
あきらかけり君が言の葉


貞心尼辞世の句

来るに似てかへるに似たり沖つ波たちゐは風の吹くに任せて





当講座記事NO.86から



   阮籍、嵆康、山濤、劉伶、阮咸、向秀、王戎
 天台山裏五百牛
 跳出顛狂者一頭
 賽尽煙花瞞尽眼
 尾巴狼藉転風流
     (道元の師・天童如浄の語録から) 




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224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を述べれば、おわらは  縄文と江戸の文化が八尾で花開いた  ような気がする。  (当講座編集人)    鏡町の踊りに魅入

328. ふるさとなまり

 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな 県都を、白山を源として流れる

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか    小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、誰がこれまでそのことに挑戦し てき ただ ろうか。 他人の褌で相撲を取る話ならいくらでもあ る。傍観者という意味だ。 ぼくの哲学には答えがないかもしれない。 変更

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったです。大いに感謝です。  その日から勢い
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
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         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
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         廣田 克昭
         早津 美寿々
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         早津 美寿々
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         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
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         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
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         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
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         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
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         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
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         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
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167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎