253. 小説「心あり」(2)
【2022年5月27日配信】
広瀬 心二郎
よく似た、むごいような目で、こちらに
向かってくる心をもてあそんでいたことが
あった。まだ、中学の頃だ。同じクラスの
礼子という女生徒の視線がことあるごとに
自分に注がれていると感じていた。木村は
そこそこ成績もよく、あながちうぬ惚れで
なく顔立ちにも人を惹きつけるものがある
ようで、それ以前にも可愛らしい告白をさ
れた経験は何度かあった。
礼子は学校の登山のおり、山荘での朝の
食事にわざわざ遠いところから手を伸ばし
て木村の飯に海苔を載せてくれたりした。
遠足で昼食になるとさりげなく隣りに座っ
て、自分でこしらえたというおやつを分け
てくれもする。整った面立ちで、体ももう
成熟しつつあり、廊下で木村と出会って慌
てて階段を上る時など、胸がまぶしく揺れ
ていた。授業中にも視線を合わせたりして
幸福感にひたったが、やがてその淡い恋の
輪郭が崩れはじめた。
なぜなのだろう。礼子に向かう思いが濃
くなればなるほど、何かそれを思いきりぶ
ち壊してしまいたいような衝動も同時に強
くなっていくような感覚があった。思いつ
づけるのに疲れてしまったといえばいいの
か、相手が女だから殊更にということでは
なく、他人というもののあまりの遠さ重さ
に、まだ幼かった心が閉じはじめたのだろ
うか。ある日木村のほうから棘のある言葉
を浴びせ、たちまち後悔して謝る機会を窺
っていたが、今度は礼子がうとましいよう
な素振りを見せた。その程度の仲違いにと
どめておけずに、羽目がはずれるようにし
て、陰湿ないじめにはまっていった。
あいつ、すましていやがるな。
そんな陰口を男の子たちのあいだにまわ
すと、礼子は目立つ子だったから、うらや
みも憧れもその裏返しの反感へと変わって
いくのは不思議にたやすかった。少なくと
も木村にはそう思えるほど同調する者がい
て、いじめの空気は醸し出されていった。
いじめを繰り返してはなお深く傷つきなが
ら、陰惨な喜びもたしかに覚えていた。積
極的にいたぶるというのではなく、無視し、
疎外する。休み時間の雑談に、クラスの決
めごとに、休日の遊びに、礼子にその輪を
近づけながら、しっかり彼女ひとりを退け
る。そんな微妙な行為に木村は熱中し、し
かも熱している自分の姿の醜さに充分気づ
きながら、とどめることができなかった。
繰り返し、いじめ募りながら実は礼子の
ことばかり見詰めている。そして向こうが
折れて出て、前と同じように言葉を交わし
たいふうな素振りを見せると、また奇妙に
残酷なものが心に湧いて、前にも増して手
厳しい仕打ちを加えてしまう。
ある日の昼休み、例によって礼子の近く
で彼女ひとりを除け者にした話の輪をつく
り、木村はその中心にいた。もうその頃に
は、そんな心中を見透かした生徒もいて、
木村君はほんとは礼子さんが好きなんでし
ょうと気の強い女生徒に囁かれたり、男の
子の中にも冷ややかな視線を向けてくる者
があった。
礼子は窓際の席に掛けて、陽の照り返し
を受けて頬を上気させていた。机の下で手
を握り合わせ、涙をこらえているようにも
思えた。窓の外ではニセアカシアの葉が風
にきらめいていた。
次の瞬間、礼子は不意に腰を浮かしたか
と思うと、窓際の上にすっと立ち上がり、
普通に歩き出すような形で視界から消えて
しまった。窓際にいた女の子が悲鳴をあげ、
居合わせた生徒たちがいっせいに窓に駆け
寄った。動転した木村が彼らの肩越しに覗
いてみると、礼子は色とりどりの花に溢れ
た花壇の縁に眠っているような格好で倒れ
ていた。
(つづく)