254. 小説「心あり」(3)
【2022年5月28日配信】
広瀬 心二郎
ブロックに当てた右足が折れていた。入
院ののちに、ほかの中学に移っていった。
木村はどうしても見舞いに行くことができ
ず、それから高校入試までの半年ほどを、
今度はクラスじゅうの侮蔑を浴びて暮らす
ことになった。そしてようやく入った高校
で、心を病んでいることに気がついていた。
どうしてあんなことをした。思い返せば、
わがことながら不可解なことばかりだ。好
きなら好きと素直でいればよいものを、や
がて舞い狂うようになり、相手を傷つける
ことに夢中になる。もともとそのような少
年ではなく、むしろ繊細で傷つきやすかっ
た自分が、である。
思い悩んだのは、その愛も憎悪もどこか
うさんくさい、にせもののように思えて仕
方がなかったことである。
心がある、避けようもなく心があるから、
そこに何かの感情や思いを盛らなければな
らない。それだけのことで、仮り初めに、
らしきものを盛ってみただけのような気が
していた。本当は、心と呼ばれるほどのた
しかなものなどもち合わせてはおらず、そ
して他人の視線を受けると舞い狂うように
なってしまう。そんな空虚な人間でしかな
かった。
そうした問いかけばかりを繰り返し、激
しい嫌悪で自分をあぶり、内にこもる思い
の重さに疲れ果て、周囲の暮らしの速さに
ついていけなくなっていた。気がつくと、
授業のことは何も頭に残らずに、一日は暮
れていた。ひどく歳をとったような乾きを
唇に浮かべ、青白くかさかさと荒れた肌か
らまず病んでいくようだった。朝夕に胃が
疼き、思いも動きも鈍重になり、とにかく
ひどく疲れ、日曜ともなれば夕方まで果て
もない眠気につかまってしまう。そのくせ、
ふだん眠るべき時間には冴え返っている。
親なども心配し、どこかへ気分転換に出か
けてはとしきりに勧めるのだが、なにしろ
心というものが見えてくるまでは停滞のま
まに暮らすことも仕方がないと、そこでは
開き直って、むしろ病いの中に望んでとど
まっているようなところもあった。
「つらい、つらい」と呻いていた。身も
心も。
学校の担任にだけは知らせて心理療法の
クリニックに通い、薬も呑んでみたが、そ
んなことで癒されるものでもないと確信め
いたものを抱いていた。不思議なことにそ
れほど疲れてはいても、その心の中心に澄
みきった部分があり、自分の空虚を見つめ
ている。たしかなものといえば、それだけ
だった。何か心に浮かぶたび、それもおま
えの心ではない、おまえの言葉ではない、
自分をだましているだけだ、いや、だます
というよりも先に借り物の人真似の言葉に
すがって流されているだけだ、そんなこと
を囁きつづけている。
懺悔をするつもりで礼子の家の前まで行
っては引き返す。思いを決めて来たはずな
のに、庭先に家人の姿がちらりと見えれば
後戻りしてしまう。ひどい時には一日じゅ
う、汗まみれになって同じことを繰り返し、
川沿いに続く白い道を、ああ、俺はやっぱ
り狂っているなとつぶやきながら、行きつ
戻りつしていた。
会って話すのが怖いなら、手紙を出せば
いい。それだけの思いにたどり着くのもや
っとという有りさまで、その果てに送った
手紙はひとまわり大きな封筒にくるまれ、
開きもせずに送り返されてきた。礼子ので
はない、母親のらしい筆跡だった。同じこ
とが繰り返され、ようやく戻ってこなくな
ったが、開かずに焼き捨ててでもいるのか、
返事などは届きもしない。
辛い、辛い、と呻いていた。生きていく
ことじたいが。
病院で同い年ぐらいの看護婦に肩を叩か
れ、頑張りなさいと叱咤されて、帰り道に
涙が溢れて止まらなくなったりする。いつ
から病んでいた、もう生まれてからずっと
病んでいた、そんなことをつぶやきつつ、
顎を突き出して猫背でふらふらと歩きなが
ら、胃の痛みの中で、その病んだ心に向か
ってああ俺にも心というものがあったと初
めて気がついたような思いに行き着いたり
する。礼子に対する罪こそが核となって、
そこにようやく心が結晶していくような感
覚なのだった。
高校の間には体が回復しなかったので、
大学を受けることにした。受験を控えた頃
になってようやく礼子から、私は元気でい
るから、余念なく入試に向かってください
と、短い葉書が届いた。
(つづく)