298. 忘れえぬ日本人

 【2023年4月8日配信 】



 斎藤静校長の気骨     



           福井市 獣医師

             酒井 與郎                  


 後の祭り

 昭和十三年一月十六日という日は、わが

国今次の大戦にとっても、私たち戦中派に

とっても、絶対忘れることのできない日で

ある。それは、

「帝国政府ハ爾後(じご)国民政府ヲ対手

トセス帝国ト真ニ提携スルニ足ル新興支那

政権ノ成立発展ヲ期待シ……」

 とする第一次近衛声明の出た日だからで

ある。日中戦争の戦火は北支(現在の華北)

へと拡大し、その展望がはっきりしないま

ま、戦争相手国(中華民国=国民政府)を

今後相手にしないというのだから大変なこ

とである。


 昭和十一年二月二十六日におきたいわゆ

る二・二六事件以後、軍部や右翼の政治的

発言力は、日に日に強くなり、歴代内閣も

次第にこれに引きずりこまれていったのだ

から、時代の流れというものは恐ろしいも

のである。そしてさらに困ったことには、

明日への健全な道しるべたるべき新聞まで

もが、これに同調したのだから、まさしく

当時の日本は「暗夜」だったといっても、

決して過言でない。戦争を謳歌する者は忠

義・愛国の士、これに反対する者は不忠・

非国民、というのだから恐ろしい世の中で

ある。


 これはかつて、初代海軍卿・勝海舟が「

忠義の士が国を滅ぼす」と言った言葉通り、

当時の日本国民があまりにも忠義の士であ

り?愛国の士であった?がために、わが国

を敗戦へ敗戦へと追いやったことになるの

である。そして日中戦争が全面戦争に発展

したのは、昭和十二年七月七日におきた盧

溝橋事件である。


 同年十二月十二日には中国の首都「南京」

を占領するまでに、事件は拡大したのであ

る。そして、これが後ほど「南京大虐殺」

として問題になるのであるが、史家は、「

虐殺・強姦・略奪・放火等、未曽有の虐殺

行為を繰り広げ、中国軍民二十数万を死へ

追いやった」と記録している。


 わが郷土連隊もこの戦いに参加したが、

特に脇坂部隊の「南京光華門一番乗り」は

有名である。また、それだけに戦死者数も

思いのほか多く、戦争悲話があちこちで聞

かれたのである。脇坂次郎部隊長は、その

後これら多くの霊を慰めるべく光華門の土

を持ち帰り、これにて観音像を作って、曹

洞宗大本山永平寺に納め、「光華観音」と

して永代供養することにした、ということ

は永平寺を訪れた人なら誰もが知っている

話である。


 日本軍が首都南京を占領したという戦勝

気分が全国にみなぎり、和平工作が一方で

進められているにもかかわらず、政府や軍

の内部には強硬意見をはく者が多く、また

日本政府の提示した和平条件があまりにも

厳しすぎたため、とうてい中国政府の受け

いれられるものではなかった。


 そのうち日本政府は和平打ち切りを決定

し、昭和十三年一月十六日、

「帝国政府ハ爾後国民政府ヲ対手トセス」

との冒頭の声明が出されたのである。


 これが、日中戦争が長期化・泥沼化する

直接の原因であるが、「勝ってオゴル」と

いうことほど恐ろしいものはない。もしこ

こで日本政府に、軍に、戦争を和平へと転

ずる叡智があったとしたら、日本の敗戦も

なかったであろうし、軍人軍属二百三十万

人の死・一般国民八十万人の死傷・九百万

人の被災・三百万戸の焼失はなかったろう

にと思うのであるが、これはまさしく「後

の祭り」である。



 英語は学ぶ必要なし

 日中戦争が全面戦争に発展した昭和十二

年は、ちょうど私は中学三年生であったが、

ここで当時の軍の全く馬鹿げた言動を紹介

しておきたいと思う。


 当時の中学で最も大事な課目(それは、

上級学校の入試科目でもあった。)は、英

語、数学(代数・幾何)、国漢(現代文・

古文・文法・漢文)、理科(植物・動物・

物理・化学)、歴史(日本史・東洋史・西

洋史)であり、なかでも英語は特に重要な

課目として位置づけられていた。


 ところがある日、現役の陸軍少将が、中

学の全職員・生徒を前にして「英語は敵性

語だから勉強する必要なし」と講演したの

である。


 当時の男子中等学校以上には、現役の陸

軍将校が、陸軍から派遣されていて(階級

は大尉から大佐級で、一般に配属将校と呼

ばれていた。)、生徒・学生に、一年から

必須教科として軍事教練を教えていたが、

毎年秋になると、その成果をたしかめる陸

軍の査閲(さえつ)というものがあった。

これは当時学校にとっては一大行事で、も

しこの査閲で成績が悪いと講評されようも

のなら、大変なことであった。通常は軍か

ら大佐が査閲官として二、三人の随員をつ

れてくるのであるが、どうしたことかその

年は、陸軍少将の査閲官が来たのである。


 今ここで、いとも簡単に陸軍少将という

が、この階級は実に大変な位であった。当

時福井県には、鯖江・敦賀の二ヶ所にいず

れも歩兵連隊があったが、その連隊長は大

佐である。一個連隊四千人以上もいる連隊

の長が大佐であるから、少将という位がど

んなものか、およそ想像がつくというもの

である。


 当時私が通っていた福井県立大野中学校

は、一学年二クラス(一クラス定員五十人)

で、一年から五年までで生徒数は四百人ち

ょっとであった。この学校の教練の査閲に、

陸軍少将が来たのだから大変である。私た

ちが、気合も新たに大いに張り切ってやっ

たのは当然である。


 査閲官は、私たちのキビキビした動作と

真剣さを、まずほめあげた。そして、これ

なら戦争の将来は大丈夫だ、と断言した。

これでおけばよいのに、少将は、

「英語は、敵性語である! 勉強する必要

なし!!」

 とやったものである。これには先生も生

徒も驚いてしまった。それというのは当時

の大野中学校校長は、研究社の『大英和辞

典』の著者として有名な英語界の大御所・

斎藤静校長だったからである。


 当時、中学校の校長には、いろんな意味

において名物校長があちこちにいたようだ

が、斎藤校長もその一人であった。斎藤校

長は苦学力行の人で、とにかく大変な勉強

家であった。当時中学生は一応町のエリー

ト?だったが、校長は、この中学生をつか

まえて「このドタワケ」「このボンクラ」

「このドビャクショ」と言うのが常だった。

もしこれが、普通の先生だったら大変なこ

とになるのだが、斎藤校長だけは別だった。

校長に何を言われても、「校長は別なんだ」

と、とにかく別格扱いである。


 査閲官がこの間の事情を知っていて「英

語不要論」をぶちあげたのかどうか全く不

明だが、とにかく大変なことを言ったもの

である。


 校長は、査閲官が帰るやいなや、全校生

徒の緊急召集をかけた。そして、現在日本

がいかなる立場にあるかをまず説き、そし

て何回も海外に出た見聞から、日本がいか

に技術力において劣っているかを例をあげ

て力説した。また、中学で教える英語は、

勉強のための英語ではない、海外から優れ

たものを学ぶための英語だ、と大風呂敷を

広げて生徒にハッパをかけた。そして査閲

官を「あのバカが」とか、「あのドタワケ

が」と口を極めてののしったのである。最

後に校長は、

「今こそ頭を冷やして、静かに勉強するの

だ!!」

 と、その訓話を締めくくった。


 校長の言うことはともかく、英語を勉強

しなければ上級学校に入学できないのだか

ら、私たちは今まで通り英語学習に精を出

した。


 しかし、世の中の現実は、査閲官の言っ

た通りになるのだから、当時の日本は、完

全な軍主導型の敗戦街道を一直線に進んで

いたと言えよう。


 敗戦を経て、時移って昭和五十九年春、

中曽根首相は「学校教育の改革」を声高高

と叫び出したのであるが、私はこれを聞い

て、不吉な予感で背筋がゾーッとした。中

学時代の少将を思い出したのかもしれない。

しかし、それはさておき、時の権力者が教

育に口を出して、いいことが一度としてあ

ったかどうかである。私の小・中学校で受

けた教育は、国にだまされた教育だった、

と前回に書いたが、昨今の教育の変質もま

た「いつか来た道」をあゆみつつあるよう

に思えてならない。


 社会科教科書の現在の混乱ぶりはどうで

あろうか。政府が、政治家が、学者が、ど

う叫ぼうと、どう語ろうと、日中戦争は日

本の中国侵略であったことは間違いない事

実である。そして、そこでは国土の蹂躙、

家屋の破壊と放火、中国人に対する虐殺と

強姦、略奪が、八年間の長きにわたり、日

本軍の手によって繰り広げられていたので

ある。これが侵略でなくして何であろう。

しかし、これとて中曽根首相の語り口によ

れば「それは大東亜共栄圏確立のため、や

むを得なかったのである」ということにな

りかねないのである。「権力者が、教育に

口を出すほど危険なものはない」と、私は

再度強調したいと思う。


 そしてまた、世の親や一部の学校教師ま

でが、政府のこの首唱に同調する様を見て

「いったい歴史は何のために存在するのか」

と、私は反問しないわけにはいかない。親

が子供の出世を願うことは、決して悪いこ

とではない。しかし、それとて平和があっ

ての話である。子供を塾にまでやって、そ

の出世を願っている間に、いつのまにか徴

兵制になっていたとするならどうするのか、

と思う。



 日中戦争長期化へ

 「爾後国民政府ヲ対手トセス」と声明を

出したことにより、日本政府は、戦中を和

平に転ずる道を自ら閉ざしたことになるの

であるが、近衛首相は「惟(おも)うに事

変の前途は遼遠であります。これが解決は、

長期にわたることを覚悟せねばならぬ」と

説くのである。これはまさしく戦争終結へ

の無展望を語って充分と言うべきであるが、

およそ展望のない政治というものがあるの

だろうか。何ともやるせない時代であった。

かくして日中戦争は、さらに長期化へと進

むのである。


 一方、世界の情勢は、中国の国民政府支

援へと足並みをそろえるようになるのであ

るが、わが国はこれとは逆に、昭和十三年

七月にはソ連と張鼓峰事件を、さらに昭和

十四年五月にはノモンハン事件を引きおこ

すのである。そして昭和十六年十二月八日

には、ついに日米戦争へと突入するのであ

る。


 これはどう考えても、まともな国のやる

ことではないが、当時の政府は、必然的な

国力の弱小を知りながらも、悪魔に魅入ら

れたように、大戦争への道を選ぶのである。

ここに私は、「戦争というものの業の怖ろ

しさ」を痛切に感じられてならない。


 和平への拒否声明による日中戦争の泥沼

化、日米戦争への突入、そして世界を敵と

し敗戦への道を急ぐ日本、その時ちょうど

私は、徴兵適齢期であった。








さかい ともお

1922年福井県大野市生まれ、福井市在住

第1回・第19回「現代の声」講座提言者

第1回テーマ:不戦への提言

第19回テーマ:差別の構造と歴史






小社発行誌『北陸の燈』第3号より

当講座記事NO.65再掲

当講座NO.3、179、180、181にも

酒井與郎さんの記事掲載


  3、不戦の誓い

179、不戦の誓い(2)

180、不戦の誓い(3)

181、不戦の誓い(4)




酒井與郎さんと同世代の方々の

登場する当講座記事

   5、ビルマ従軍当時を省みて

     40、秋

     41、秋の夕陽

     66、飢えながら

     81、一俘虜の今後の願い

 261、知られざる歴史「海に消えた布引丸」

 282、政治家の使命・戦争とスポーツ

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224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を述べれば、おわらは  縄文と江戸の文化が八尾で花開いた  ような気がする。  (当講座編集人)    鏡町の踊りに魅入

328. ふるさとなまり

 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな 県都を、白山を源として流れる

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか    小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、誰がこれまでそのことに挑戦し てき ただ ろうか。 他人の褌で相撲を取る話ならいくらでもあ る。傍観者という意味だ。 ぼくの哲学には答えがないかもしれない。 変更

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったです。大いに感謝です。  その日から勢い
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎