299. 石田甚太郎著『野の荊棘』跋文
【2023年4月20日配信】
戦後日本の精神を問い糾す作業
石田甚太郎の文学
文芸評論家 林 浩治
安倍晋三首相は、就任後初の訪米で従軍
慰安婦に言及して「彼女たちが慰安婦とし
て存在しなければならなかった状況に、日
本の首相として謝罪した」と発言した。ア
メリカ議会での従軍慰安婦問題に関して日
本政府を追及する動きと、欧米のマスコミ
による人権問題報道攻勢に譲ったかたちで
ある。安倍晋三は訪米前には、米紙の取材
に応じて「従軍慰安婦の強制に軍が関わっ
た証拠はない」などと発言している。彼は
もともと日本軍国主義の犯罪をなかったも
のにしようという歴史修正主義の動きに与
している。今回の謝罪は米政府との関係を
考慮した形式的なものであると言えよう。
しかし問題は国民レベルの排外主義であ
る。インターネットの世界や、雑誌などの
マスコミも日本軍国主義の正当化で溢れて
いる。「嫌韓流」に代表される単純で感情
的、表層的、マンガの手法を使った、情緒
に訴えた日本民族主義プロパガンダは、今
や右翼の街宣車が来なくとも、至る所で普
通に耳目に触れる。虚構の日本人種主義が
跋扈するなか、従軍慰安婦問題や朝鮮人強
制連行など軍国主義時代の負の遺産は消し
去られようとしている。史実の抹殺はある
時はかまびすしく、またある時はひっそり
と進んでいる。彼らは「歴史的事実がはっ
きりしていないのだから、教えてはいけな
い。語ってはいけない。」という。犠牲者
の人権を無視し、自己充足的情緒の満足を
得るために、多くの記憶を抹殺しようとし
ているのだ。
石田甚太郎は日本人の前に、日本の負の
遺産と、それを精算出来ないばかりに現代
にまで続く、日本人の愚かで醜い姿を突き
つけてきた作家である。
石田は、一九二二年福島県生まれ、元海
軍兵士で電波探知機基地に勤務していた。
復員後、会社員、中学校教員を経験し、五
十歳を過ぎてから作家を志した。そのため
に日本文学学校や英語の専門学校で学び、
アフリカや南米を取材、沖縄やフィリピン
には長期滞在して徹底的に取材した。その
結実が『ヤマトンチュの沖縄日記-ライト
ブルーの空の下で』(創樹社)や『ワラン
・ヒヤ-日本軍によるフィリピン住民虐殺
の記録』(現代書館)、『殺した殺された
-元日本兵とフィリピン人二〇〇人の証言』
(径書房)らのルポルタージュである。特
に、『ワラン・ヒア』と『殺した殺された』
は、日本軍によるフィリピン住民虐殺を追
及したルポルタージュとして注目された。
このとき石田甚太郎はすでに七十に手の届
く歳になっていた。
その後石田甚太郎はフィリピンをモチー
フに小説を書き続けた。『モンテンルパへ
の道』、『海辺の怒り』、『JFC(ジャパ
ニーズ・フィリピーノ・チルドレン)の母
と子の物語』、『夜明け』(以上、新読書
社)などである。この一連のフィリピンシ
リーズの主人公たちはフィリピン人である。
日本人も登場するが構造的な加害の立場と
してであり、あくまで主人公はフィリピン
人であった。石田は歴史的被害者の立場で
書く希有な日本人作家でもある。
その石田甚太郎が今回挑んだ作品は朝鮮
人従軍慰安婦であった。従軍慰安婦につい
ては、いまさら説明するまでもない。植民
地支配下の朝鮮から、日本軍に従った「業
者」によって拉致され、脅され、騙され、
強制、半強制的に日本軍「慰安所」に監禁
され、日に何十人という日本軍兵隊に犯さ
れ続けた被害者である。
いままでに「従軍慰安婦」をモチーフに
した小説といえば、韓国の作家尹静慕の『
母・従軍慰安婦-かあさんは「朝鮮ピー」
と呼ばれた-』、在日韓国人である作家つ
かこうへいの『娘に語る祖国 満州駅伝-
従軍慰安婦編』、コリアン・アメリカン作
家チャンネ・リーの『最後の場所で』など
がある。
しかし、日本人作家の小説を寡聞にして
私は知らない。日本人作家が小説として書
くには勇気のいる題材である。研究書やル
ポルタージュと違い、虚構を媒体にして真
実を鮮明にしようとした場合の壁は巨大だ。
しかも、左右からのあらゆる「非難」を覚
悟しなければならない。石田甚太郎の覚悟
も並々ならぬものであった。
石田甚太郎は体験の作家である。分から
ないことは現地調査し、人と会って話を聞
くという手段を徹底している。そのために
五十歳を過ぎてから胃の痛む思いをして英
会話を学んだのだった。今石田は八十を過
ぎ、さすがに韓国語を学ぶ余裕はなかった
が、通訳を頼んで何度も訪韓した。初校が
出てからも再度訪韓して調べ直すという労
を惜しまなかった。
石田の小説の特徴の一つに、虐げられた
女性の芯の強さがある。虐げられたままで
終わらない。生き抜いてやるという強さを
持つ女性を必ず主人公にしている。『野の
荊棘』の主人公順伊(スニ)も例外ではな
い。幼い頃から虐げられて生きてきた。下
働きにだされ、掠われて慰安婦にされ日本
兵の慰みものにされても、逞しく生き抜い
た女性である。決して許すことの出来ない
生活のなかで、何とか小さな光を見いだそ
うと努力する。憎むべき仇であっても生き
るためには愛そうと努める。生きることに
貪欲で、生きて生きて生き抜くことによっ
て何かを取り返そうとするかのようである。
『野の荊棘』のもう一つの特徴は、山田
勇像の表出が優れているということである。
山田勇はこの小説のもう一人の主人公と言
ってもよいほどである。大日本帝国軍の兵
隊となった庶民とはこんなものではなかっ
たかと思わせるリアリティがある。
この山田勇像をどう捉えるかは、戦後日
本の民衆像を考える上でも小さくない意味
を持つだろう。山田こそ戦中・戦後を通し
て生きた軍隊経験を持つ日本人男子の典型
ではないか。戦中は上官から虫けらのよう
に扱われ、道に迷えば脱走兵扱いされ、怪
我して行軍の邪魔になったら棄てられる兵
隊であり、折れ曲がりそうな鬱屈した精神
状態にありながら、貪欲な性欲を慰安婦相
手に満たすことによって何とか兵隊として
の自己を保っている。
戦後はヤミ屋買い出しをして生き、官憲
に取締られても逞しく生き延びようとする。
ときおり優しさを垣間見せることもあるが、
根深い差別観を持っていて、自己内部の不
安がふくらみ始めると、差別を爆発させる
ことによって精神の安定を保とうとする。
山田は常に自己の責任についてはこれを回
避し、他者の責任には差別的言行でこれに
あたる。山田は時に冷淡だが時には優しく、
自分の攻撃性には気づかず、虐められ押さ
えつけられる憤懣を順伊にぶつける。
石田がかつて『殺した殺された』を書い
たときに取材した、フィリピンでの虐殺に
加わった多くの元日本兵の陰が山田勇と重
なって見える。彼らは自分こそ歴史の犠牲
者で、自分の犯した殺人や強盗については
歴史の過ちで仕方のなかったことだと精算
する。個としての責任感が希薄なのである。
個人としての戦争への負担を問おうとはし
ない。
山田勇は、いじめられっ子が同時にいじ
めっ子であるような現代日本人の姿そのも
のである。我が内なる山田勇をどう克服し
ていくのかが今こそ問われているのではな
いか。
そして、日本人が今世界から問われてい
るのも、この点ではないか。歴史の負の遺
産を自己のものとしてしっかり見据えるこ
と。戦争への反省から始まったかのように
思えた戦後日本の平和主義をもう一度問い
直すのか。それとも戦争の犠牲者としてだ
けの自己を、虚構の「日本」と同一化した
上で嘆き、軍国主義の歴史を正当化して胸
を張り、周囲の国々を敵にまわして軍事国
家への道をひた走るのかだ。
『野の荊棘』は小説として構成されたも
のであるから、歴史的背景の設定などディ
テールに事実と異なる点が見つかるかも知
れないが、それは問題ではない。従軍慰安
婦問題と日本人の精神史を考える上でのこ
の小説の指し示すヒントは小さくはないは
ずだ。
(小社発行誌『北陸の燈』第5号から)
石田甚太郎著『野の荊棘』
2007.7.1 スペース伽耶発行
巻頭言「日本軍によって性奴隷にされた
朝鮮半島の女性たちに捧げる」
いしだ じんたろう
作家、1922年 福島県生まれ、
埼玉県在住
アジア・アフリカ作家会議会員
第29回「現代の声」講座で提言
テーマ「アジアの人たちの証言」
〈参考〉
林浩治さんの「愚銀のブログ」
詩・曲 김민기 金敏基
歌 양희은 楊姬銀
方定煥
방정환辻野弥生著『福田村事件
-関東大震災・知られざる悲劇』