358. ある中学生の考え
【2024年8月28日配信】
ある中学生の考え
志雄中学校3年 山本 孝志
光陰矢のごとくのように月日がたつのは
早いもので、あと中学校も半年となりまし
た。残りの半年を有意義に過ごすことが、
これからは大事ですが、ここで、今年のこ
とを少し振り返って考えてみたいと思いま
す。
四月にやっと三年生になり、これで中学
生の中では、怖いもの知らず(?)になっ
たなあ、と思い、同時に、高校受験という
のがせまって来たなあ、あと一年後に、み
んな別れ別れになるのかなあ、と思ったの
でした。
そして、入学式の次の日(その次の日か
もしれない)に、まったく本人が、何にも
思わないうちに、クラスの会長にされたの
でした。クラスの会長の経験は、何度かあ
り、まあ、いいわ、今までのようにやって
いけばいいだろう、と思い、その日は帰っ
て寝ました。
そして、三年生の授業が始まった頃、学
級会を放課後かに開くことになりました。
今年の前期の生徒会役員を決めるのに、わ
がクラスからも立候補者を出すためです。
(志雄中学校は、先に学級の役員を決めて
から、学校の役員を決めるのです。)なん
だかんだとやっているうちに、僕の名がで
てきました。会長というところに。そこで、
僕が、「嫌だ。生徒会の会長なんかせん」
と言えば、もしかして今は、生徒会長にな
っていなかったかもしれませんが、少し考
えました。
『僕を推薦してくれたということは、逆か
ら言えば、僕を信頼してくれている。それ
に、去年の生徒会長さんも、答辞の中で、
気がかりなことの一つに、生徒会が活発に
できなかったと言っていた』
僕は、少し会長さんを尊敬していたので
ある。
『ああ、なるほど、僕らで何とかしなくて
はいかん、とそのとき、心の中で強くそう
思ったではないか………』
「よし、やってやろう」
と、言ってしまったのでした。
そして、時はめぐり、玄関などに、僕の
ことを応援するするポスターが張られ(自
分の応援をしてくれているポスターを、自
分自身で見ると、恥ずかしいものだった。)、
いよいよ全校生徒による選挙をするところ
まで来ました。僕の相手の数はひとり。一
騎打ちです。まず、選挙の前の演説で、
「今までの生徒会は活発ではなかった。し
かし、僕は口先で終わらず、実行したい」
ということを話しました。そして、次に
僕の推薦演説(友達がしてくれた。)があ
り、何か演説していました。その間、『こ
の雰囲気からだと、当選するのは、五分五
分だな』
と思い、じっとすわっていました。
さて、演説も最後まですみ、選挙(無記
名投票)も終わりました。これはなんだか
あぶないな、という気がだんだんとしてき
ました。そして放課後、部活(卓球部)を
している間にも、友達から、ぞくぞくと情
報がはいりました。寸差ながら、僕のほう
が数票多いそうです。そして、最後まで見
ていた友達が、僕に、
「おまえが会長に当選したよ」
と、伝えてくれました。わかったときは、
うれしさよりも、やっと当選したかという
安堵感が強かったのでした。(後日、開票
場へ行ってみると、二十票ぐらいしか差が
なかった。ちなみに、全体の生徒数は、約
三百人。)ほんとうに会長になったと思っ
たのは、校長先生から、任命状をもらって
からです。
さて、生徒会長となり、特別、活動を起
こさずに、のんびりと一日一日を暮らして
いたある五月上旬の日曜日の朝、僕は、そ
の日ものんびりと朝寝坊を楽しんでいまし
た。何が起こったのかも知らずに。のその
そと起きて、朝食を食べようとすると、母
に、
「朝の新聞、見た?」
と言われ、僕は、
「まだ見てない」
と、言いつつ、朝刊に手をのばし、三面記
事のところをぱっと見ました。すると、”
志雄中という学校に暴力事件があり、………
……” と、けっこうでかい活字で書いてあり
ます。『また校内暴力か』と思い、『これ
は違うな』と、次の記事を見ようとすると、
『まてよ、さっきの志雄中は、もしかして
僕の学校の志雄中?』と、いままでの眠気
はいっぺんに覚め、見直すと、やっぱり志
雄中。住所も校長先生の名前もあっている。
(あたりまえのことだが…………。)記事を
よく読むと、ふたりの生徒が、ひとりの生
徒に暴力をはたらき、けがを負わせたとの
ことであった。(もっとくわしく知りたい
と思う方は、新聞社にでも問い合わせてく
ださい。)とにかく、自分で自分の学校の
恥を書くのは、とても嫌なもので耐え難い
ものです。第一、今、大事なのは、それが
どうしたこうしたということではなく、そ
のことについてのひとりひとりの対応の仕
方ではないかと、僕は思うのです。
思いあたれば、最近いやに報道記者のよ
うな人が学校に来ていたり、職員会議が頻
繁に行なわれていたのであった。今になれ
ば、簡単に説明できるのであった。僕は、
最も恐るべきことになってしまったと思い、
何だかその日は憂うつで、どこにも行きた
くなくなり、ほとんど寝ていました。
そして次の日、今度はみんなの様子が知
りたくて学校へ行きました。案の定、みな
顔をしかめて、なんだか重苦しい雰囲気と
なっていました。友達と話していて、「ま
ったく、たった二、三人のために、おれら
全員が犠牲にならなきゃならないのかなあ」
とか、「どうして新聞に載ったのか」とか
…………。また、ある人は、「こんで、おれ
ら、高校行くのがむずかしなったな」とか
言う。「少数の人のために、みんなが苦し
まなければならないという面では、学校と
は、不便なものだな」と、僕も思った。そ
れに友達のひとりは、羽咋の店に日曜日行
くと、志雄中の卒業生に、「お~怖い。志
雄中のもんやぞ」と言われたそうである。
(その友達は、家に帰ってから、新聞を見
てその意味がわかったそうである。)まっ
たく志雄中も落ちてきたなと、志雄中の生
徒会長としてではなく、一生徒として、ほ
んとうにひしひしと感じた。「これからど
うなるげんやろ」と、話しているうちに朝
礼となる。そして、一限目は緊急の集会に
なるそうである。
廊下に並び、講堂にはいる。みんな暗い
顔でしんみょうにはいって行く。
さて、校長先生の話は、「このたびのこ
とは…………であり、今後二度と繰り返さぬ
よう、ひとりひとりが協力し合ってほしい」
とぐらいしか覚えていないが、ただ、はっ
きりと覚えているのは、話し中報道社の人
が、うしろからフラッシュを何度もたいて
いたことである。このときほどフラッシュ
のあの青い光が、冷たく冷酷なものだと感
じたことはありませんでした。
話も終わり、教室へ戻るとき、左のほう
から僕を呼ぶ声が聞こえた。その声は少し
涙ぐんでいた。
「おまえ、ひとりひとり、校長先生の話ど
おり協力できると思うか」
と、声の先生。
「いいえ、協力できないからこうなったと
思います」
「じゃ、なんで手を上げて、『それは違う』
と言わなかった………」
返す言葉がなかった。どう言っていいか
わからず、気がそんなところへいかなかっ
た。
いけるはずがなかった。さらに、
「今まで先生がしてきたことは、無駄だっ
たのかなあ………」
と、続けられた。と同時に、
『いや無駄ではない。そのためにも僕が何
とかやって、そのことを証明しなければ』
と、今まで気がぼうぜんとしていたのが、
一瞬のうちに引き締まったようだった。(
その先生は、僕の二年生のときの担任の先
生でした。)とはいうものの、その日の授
業は、僕をはじめ、みんなうわついていた
ようだ。
このことは、このようにひとりひとりに
大きな影響を与えたが、僕だけかもしれな
いが、もう一つばかり大きなショックを受
けたのであった。それは、その話があった
日の夕刊か、翌日の朝刊かと思うが、新聞
にまた載った。確かにそれ相当の事件があ
ったので、何回か続けて載ることもあたり
まえかもしれないが、気になったのは「見
出し」であった。「校内暴力の志雄中に …
……… 」となっている。志雄中に、” 校内暴
力の ” という修飾語がついている。これだ
け読むと、志雄中は、校内暴力の代名詞の
ような感じがする。また、僕だけではなく、
この記事を読んだ読者も同じイメージを持
ったのではないのだろうか。そして、志雄
中や、志雄中の生徒は、だれでもそんなこ
とをすると思われるのじゃないだろうか。
冗談じゃない。真面目な生徒だってたく
さんいるのだ。良いことも、表に現われな
くても、たくさん、みんなしているんだ。
それなのに、一般の人達は、志雄中を悪い
ところと決めつける。それはなぜかという
と、良いことの情報が、一般の人達に届か
ないからだと僕は思う。情報を伝えるもの
は何かというと、新聞、テレビなどのマス
=メディア、つまり、マスコミだと思う。
僕は言いたい。マスコミや、一般の人々
に。まず、マスコミだが、なぜ、事件後、
その後どうなったかなどを、責任をもって
伝えてくれないのだろうか。なんだか物事
の結果だけを書いて、原因や、その後どう
なったか、なぜ書かないのだろうか。それ
に、表現が、少々オーバーなところがない
だろうか。「校内暴力の志雄中」と表わす
と、なるほど、見ただけで、ああ、前に出
ていた中学校やなと、すぐに思い出される
が、それ以上に、志雄中は、校内暴力の本
家本元であるのかと、とられはしないだろ
うか。多分、その新聞の読者の大半はそう
思ったはずだろう。マスコミは、そこまで
考えて印刷しているだろうか。もっと別な
表現を使ってほしい。その表現のために、
どれだけいやな思いをしたものだろうか。
また、すんなりと信じる人々も注意して
ほしいものだ。よく考えてみれば、このこ
となども、すぐにわかり、志雄中は、決し
て暴力だけの学校でないと気づかれる方も
おられるのではないだろうか。
さらにまた、一番迷惑なのは「うわさ」
である。これは、一番たちが悪いもので、
時間とともに広がり、話も大きくなるので
ある。たとえば、「何でも志雄中では、生
徒が授業中に堂々と席をたって、廊下でぶ
らぶらしているらしい」とか、こういうう
わさを聞くと、前に新聞を読んだ関係もあ
って、もう志雄中は荒れ野原と思われるに
違いない。いったいだれがそんな光景を見
たのだろうか。だれが根も葉もないことを
言ったのだろうか…………。ちなみに、実際
には、そんなことは一度もないはずです。
もっと真実とうそを区別してもらいたいも
のです。それだけでも、志雄中に対する誤
解は少なくなると思います。情報化時代の
欠点ともいえるところではないでしょうか。
つけ加えて書き表わしますが、その問題
を起こした生徒も、俗にいうツッパリの生
徒も、心の奥の奥までねじ曲がっているの
ではないと僕は思います。みんなに相手に
されずにいて、気がむしゃくしゃして、楽
なほう(つまり、正常ではないほう)へ行
こうとする。そうすると、みんなはますま
す無視する。本人は、ますます気がむしゃ
くしゃしてーーという悪循環があり、また、
仲間を求めるが、その仲間もむしゃくしゃ
している。気をはらすために、いっしょに
(必ずひとりでは起こさず複数で起こす。)
異常な行動を起こすーーといったパターン
があると思います。ですから僕は、心が寂
しいからそんな行動を起こすのだと思いま
す。
もう一つ、パターンというか、原因があ
ります。集団の中の個人の心理みたいなも
のです。それは、ひとりでは大それた行動
はしない真面目な人でも、まわり(いっし
ょにいる人)から、おだてられたり、ほめ
られたりすると、たとえ本人がやってはい
けない、悪いことだと思っても、思うだけ
で、何の抵抗なしにしてしまうことがあり
ます。(また、悪いことだとは、思いもし
ないのかもしれません。)これは、自分で
も気づかないので、案外、僕もそうなって
いるかもしれません。また、集団心理の中
にはいるのですが、悪いことなどをしてい
てもだれも注意しないことがあります。そ
ればかりか知っていても知らないふりをし
ます。そうすると、本人も、またまわりの
人も、少しぐらいのことは………… となり、
最後になると、大きなことになるのです。
つまり、だんだん異常なことになって、正
常な感覚が、まひしてくるのです。ですか
ら、まわりからの圧力というか、影響が大
きいのです。
では、これからそんなことをなくすため
に、先生方や生徒会は何をしたか書いてい
きたいと思います。
まず、先生方ですが、職員会議を頻繁に
行なっていました。そして、月一回ぐらい
の割合での授業参観などがあったようです。
また、指導においての細かい点もあったよ
うですが、内部まで知らないので、あまり
くわしく書かれません。
町は、「親と子の語る会・青少年意見発
表会」(これは、毎年やっているのかもし
れませんが。)を行ないました。志雄町の
小学生・中学生・高校生六人が意見発表し、
そのあとで、児童・生徒・父兄等で意見交
換をしました。僕も意見発表しましたが、
今いち、もり上がりにかけたようでした。
そして、生徒会では、代議員会(生徒会
役員と各クラスの会長・副会長からなる)
を、ほぼ毎日開いたのでした。志雄中の生
徒はおとなしい人が多いので、出席者の認
識も薄かったこともありましたが、これか
らは、自信をもって、悪いことは悪いと、
お互いに注意できるよう心がけていこうと
いうことを話し合いました。
もっと書きたいことがたくさんあります
が、今年のことを振り返って、今までに一
番心に残ったことを書いてみました。少し
は、中学生の考えというものをわかってい
ただけたのではないでしょうか。どんなこ
とのあった中学校にも、ひとりぐらいは僕
みたいなのがいるはずです。
最後に僕が言いたいのは、
「何事も過去のことだけで決めつけないで
ほしい」
ということです。時がめぐるように、中
学校も僕達ひとりひとりも変わっていくの
ですから。
志雄中学校2年 階戸 陽太
志雄中学校教諭 竹津 清樹(インタビュー)
之乎路可良 多太古要久礼婆 波久比能海 安佐奈芸思多理 船梶母我毛
子浦路から直越え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船梶もがも
新川二朗(二郎) 『 東京の灯よいつまでも』(1964)
小社発行『北陸の燈』創刊号より
当講座記事NO.45再掲
〈後記〉
石川県羽咋郡志雄町は2005年3月1日に
同郡押水町と合併し同郡宝達志水町となった。
また、2015年4月1日に、志雄中学校と
押水中学校が統合して宝達中学校が開校した。
「しお」「おしみず」という歴史的呼び名を
いとも簡単に捨てられるのか、当時の町長や
町議会議員の見識を残念に思ったしだいです。