358. ある中学生の考え

【2024年8月28日配信】       






 ある中学生の考え          



       志雄中学校3年 山本 孝志                           


 光陰矢のごとくのように月日がたつのは

早いもので、あと中学校も半年となりまし

た。残りの半年を有意義に過ごすことが、

これからは大事ですが、ここで、今年のこ

とを少し振り返って考えてみたいと思いま

す。


 四月にやっと三年生になり、これで中学

生の中では、怖いもの知らず(?)になっ

たなあ、と思い、同時に、高校受験という

のがせまって来たなあ、あと一年後に、み

んな別れ別れになるのかなあ、と思ったの

でした。


 そして、入学式の次の日(その次の日か

もしれない)に、まったく本人が、何にも

思わないうちに、クラスの会長にされたの

でした。クラスの会長の経験は、何度かあ

り、まあ、いいわ、今までのようにやって

いけばいいだろう、と思い、その日は帰っ

て寝ました。


 そして、三年生の授業が始まった頃、学

級会を放課後かに開くことになりました。

今年の前期の生徒会役員を決めるのに、わ

がクラスからも立候補者を出すためです。

(志雄中学校は、先に学級の役員を決めて

から、学校の役員を決めるのです。)なん

だかんだとやっているうちに、僕の名がで

てきました。会長というところに。そこで、

僕が、「嫌だ。生徒会の会長なんかせん」

と言えば、もしかして今は、生徒会長にな

っていなかったかもしれませんが、少し考

えました。


『僕を推薦してくれたということは、逆か

ら言えば、僕を信頼してくれている。それ

に、去年の生徒会長さんも、答辞の中で、

気がかりなことの一つに、生徒会が活発に

できなかったと言っていた』


 僕は、少し会長さんを尊敬していたので

ある。


『ああ、なるほど、僕らで何とかしなくて

はいかん、とそのとき、心の中で強くそう

思ったではないか………』


「よし、やってやろう」

 と、言ってしまったのでした。


 そして、時はめぐり、玄関などに、僕の

ことを応援するするポスターが張られ(自

分の応援をしてくれているポスターを、自

分自身で見ると、恥ずかしいものだった。)、

いよいよ全校生徒による選挙をするところ

まで来ました。僕の相手の数はひとり。一

騎打ちです。まず、選挙の前の演説で、

「今までの生徒会は活発ではなかった。し

かし、僕は口先で終わらず、実行したい」

 ということを話しました。そして、次に

僕の推薦演説(友達がしてくれた。)があ

り、何か演説していました。その間、『こ

の雰囲気からだと、当選するのは、五分五

分だな』

 と思い、じっとすわっていました。


 さて、演説も最後まですみ、選挙(無記

名投票)も終わりました。これはなんだか

あぶないな、という気がだんだんとしてき

ました。そして放課後、部活(卓球部)を

している間にも、友達から、ぞくぞくと情

報がはいりました。寸差ながら、僕のほう

が数票多いそうです。そして、最後まで見

ていた友達が、僕に、

「おまえが会長に当選したよ」

 と、伝えてくれました。わかったときは、

うれしさよりも、やっと当選したかという

安堵感が強かったのでした。(後日、開票

場へ行ってみると、二十票ぐらいしか差が

なかった。ちなみに、全体の生徒数は、約

三百人。)ほんとうに会長になったと思っ

たのは、校長先生から、任命状をもらって

からです。


 さて、生徒会長となり、特別、活動を起

こさずに、のんびりと一日一日を暮らして

いたある五月上旬の日曜日の朝、僕は、そ

の日ものんびりと朝寝坊を楽しんでいまし

た。何が起こったのかも知らずに。のその

そと起きて、朝食を食べようとすると、母

に、

「朝の新聞、見た?」

 と言われ、僕は、

「まだ見てない」

と、言いつつ、朝刊に手をのばし、三面記

事のところをぱっと見ました。すると、” 

志雄中という学校に暴力事件があり、………

……” と、けっこうでかい活字で書いてあり

ます。『また校内暴力か』と思い、『これ

は違うな』と、次の記事を見ようとすると、

『まてよ、さっきの志雄中は、もしかして

僕の学校の志雄中?』と、いままでの眠気

はいっぺんに覚め、見直すと、やっぱり志

雄中。住所も校長先生の名前もあっている。

(あたりまえのことだが…………。)記事を

よく読むと、ふたりの生徒が、ひとりの生

徒に暴力をはたらき、けがを負わせたとの

ことであった。(もっとくわしく知りたい

と思う方は、新聞社にでも問い合わせてく

ださい。)とにかく、自分で自分の学校の

恥を書くのは、とても嫌なもので耐え難い

ものです。第一、今、大事なのは、それが

どうしたこうしたということではなく、そ

のことについてのひとりひとりの対応の仕

方ではないかと、僕は思うのです。


 思いあたれば、最近いやに報道記者のよ

うな人が学校に来ていたり、職員会議が頻

繁に行なわれていたのであった。今になれ

ば、簡単に説明できるのであった。僕は、

最も恐るべきことになってしまったと思い、

何だかその日は憂うつで、どこにも行きた

くなくなり、ほとんど寝ていました。


 そして次の日、今度はみんなの様子が知

りたくて学校へ行きました。案の定、みな

顔をしかめて、なんだか重苦しい雰囲気と

なっていました。友達と話していて、「ま

ったく、たった二、三人のために、おれら

全員が犠牲にならなきゃならないのかなあ」

とか、「どうして新聞に載ったのか」とか

…………。また、ある人は、「こんで、おれ

ら、高校行くのがむずかしなったな」とか

言う。「少数の人のために、みんなが苦し

まなければならないという面では、学校と

は、不便なものだな」と、僕も思った。そ

れに友達のひとりは、羽咋の店に日曜日行

くと、志雄中の卒業生に、「お~怖い。志

雄中のもんやぞ」と言われたそうである。

(その友達は、家に帰ってから、新聞を見

てその意味がわかったそうである。)まっ

たく志雄中も落ちてきたなと、志雄中の生

徒会長としてではなく、一生徒として、ほ

んとうにひしひしと感じた。「これからど

うなるげんやろ」と、話しているうちに朝

礼となる。そして、一限目は緊急の集会に

なるそうである。


 廊下に並び、講堂にはいる。みんな暗い

顔でしんみょうにはいって行く。


 さて、校長先生の話は、「このたびのこ

とは…………であり、今後二度と繰り返さぬ

よう、ひとりひとりが協力し合ってほしい」

とぐらいしか覚えていないが、ただ、はっ

きりと覚えているのは、話し中報道社の人

が、うしろからフラッシュを何度もたいて

いたことである。このときほどフラッシュ

のあの青い光が、冷たく冷酷なものだと感

じたことはありませんでした。


 話も終わり、教室へ戻るとき、左のほう

から僕を呼ぶ声が聞こえた。その声は少し

涙ぐんでいた。

「おまえ、ひとりひとり、校長先生の話ど

おり協力できると思うか」

 と、声の先生。

「いいえ、協力できないからこうなったと

思います」

「じゃ、なんで手を上げて、『それは違う』

と言わなかった………」


 返す言葉がなかった。どう言っていいか

わからず、気がそんなところへいかなかっ

た。

いけるはずがなかった。さらに、

「今まで先生がしてきたことは、無駄だっ

たのかなあ………」

 と、続けられた。と同時に、

『いや無駄ではない。そのためにも僕が何

とかやって、そのことを証明しなければ』

 と、今まで気がぼうぜんとしていたのが、

一瞬のうちに引き締まったようだった。(

その先生は、僕の二年生のときの担任の先

生でした。)とはいうものの、その日の授

業は、僕をはじめ、みんなうわついていた

ようだ。


 このことは、このようにひとりひとりに

大きな影響を与えたが、僕だけかもしれな

いが、もう一つばかり大きなショックを受

けたのであった。それは、その話があった

日の夕刊か、翌日の朝刊かと思うが、新聞

にまた載った。確かにそれ相当の事件があ

ったので、何回か続けて載ることもあたり

まえかもしれないが、気になったのは「見

出し」であった。「校内暴力の志雄中に …

……… 」となっている。志雄中に、” 校内暴

力の ” という修飾語がついている。これだ

け読むと、志雄中は、校内暴力の代名詞の

ような感じがする。また、僕だけではなく、

この記事を読んだ読者も同じイメージを持

ったのではないのだろうか。そして、志雄

中や、志雄中の生徒は、だれでもそんなこ

とをすると思われるのじゃないだろうか。


 冗談じゃない。真面目な生徒だってたく

さんいるのだ。良いことも、表に現われな

くても、たくさん、みんなしているんだ。

それなのに、一般の人達は、志雄中を悪い

ところと決めつける。それはなぜかという

と、良いことの情報が、一般の人達に届か

ないからだと僕は思う。情報を伝えるもの

は何かというと、新聞、テレビなどのマス

=メディア、つまり、マスコミだと思う。


 僕は言いたい。マスコミや、一般の人々

に。まず、マスコミだが、なぜ、事件後、

その後どうなったかなどを、責任をもって

伝えてくれないのだろうか。なんだか物事

の結果だけを書いて、原因や、その後どう

なったか、なぜ書かないのだろうか。それ

に、表現が、少々オーバーなところがない

だろうか。「校内暴力の志雄中」と表わす

と、なるほど、見ただけで、ああ、前に出

ていた中学校やなと、すぐに思い出される

が、それ以上に、志雄中は、校内暴力の本

家本元であるのかと、とられはしないだろ

うか。多分、その新聞の読者の大半はそう

思ったはずだろう。マスコミは、そこまで

考えて印刷しているだろうか。もっと別な

表現を使ってほしい。その表現のために、

どれだけいやな思いをしたものだろうか。


 また、すんなりと信じる人々も注意して

ほしいものだ。よく考えてみれば、このこ

となども、すぐにわかり、志雄中は、決し

て暴力だけの学校でないと気づかれる方も

おられるのではないだろうか。


 さらにまた、一番迷惑なのは「うわさ」

である。これは、一番たちが悪いもので、

時間とともに広がり、話も大きくなるので

ある。たとえば、「何でも志雄中では、生

徒が授業中に堂々と席をたって、廊下でぶ

らぶらしているらしい」とか、こういうう

わさを聞くと、前に新聞を読んだ関係もあ

って、もう志雄中は荒れ野原と思われるに

違いない。いったいだれがそんな光景を見

たのだろうか。だれが根も葉もないことを

言ったのだろうか…………。ちなみに、実際

には、そんなことは一度もないはずです。

もっと真実とうそを区別してもらいたいも

のです。それだけでも、志雄中に対する誤

解は少なくなると思います。情報化時代の

欠点ともいえるところではないでしょうか。


 つけ加えて書き表わしますが、その問題

を起こした生徒も、俗にいうツッパリの生

徒も、心の奥の奥までねじ曲がっているの

ではないと僕は思います。みんなに相手に

されずにいて、気がむしゃくしゃして、楽

なほう(つまり、正常ではないほう)へ行

こうとする。そうすると、みんなはますま

す無視する。本人は、ますます気がむしゃ

くしゃしてーーという悪循環があり、また、

仲間を求めるが、その仲間もむしゃくしゃ

している。気をはらすために、いっしょに

(必ずひとりでは起こさず複数で起こす。)

異常な行動を起こすーーといったパターン

があると思います。ですから僕は、心が寂

しいからそんな行動を起こすのだと思いま

す。


 もう一つ、パターンというか、原因があ

ります。集団の中の個人の心理みたいなも

のです。それは、ひとりでは大それた行動

はしない真面目な人でも、まわり(いっし

ょにいる人)から、おだてられたり、ほめ

られたりすると、たとえ本人がやってはい

けない、悪いことだと思っても、思うだけ

で、何の抵抗なしにしてしまうことがあり

ます。(また、悪いことだとは、思いもし

ないのかもしれません。)これは、自分で

も気づかないので、案外、僕もそうなって

いるかもしれません。また、集団心理の中

にはいるのですが、悪いことなどをしてい

てもだれも注意しないことがあります。そ

ればかりか知っていても知らないふりをし

ます。そうすると、本人も、またまわりの

人も、少しぐらいのことは………… となり、

最後になると、大きなことになるのです。

つまり、だんだん異常なことになって、正

常な感覚が、まひしてくるのです。ですか

ら、まわりからの圧力というか、影響が大

きいのです。


 では、これからそんなことをなくすため

に、先生方や生徒会は何をしたか書いてい

きたいと思います。


 まず、先生方ですが、職員会議を頻繁に

行なっていました。そして、月一回ぐらい

の割合での授業参観などがあったようです。

また、指導においての細かい点もあったよ

うですが、内部まで知らないので、あまり

くわしく書かれません。


 町は、「親と子の語る会・青少年意見発

表会」(これは、毎年やっているのかもし

れませんが。)を行ないました。志雄町の

小学生・中学生・高校生六人が意見発表し、

そのあとで、児童・生徒・父兄等で意見交

換をしました。僕も意見発表しましたが、

今いち、もり上がりにかけたようでした。


 そして、生徒会では、代議員会(生徒会

役員と各クラスの会長・副会長からなる)

を、ほぼ毎日開いたのでした。志雄中の生

徒はおとなしい人が多いので、出席者の認

識も薄かったこともありましたが、これか

らは、自信をもって、悪いことは悪いと、

お互いに注意できるよう心がけていこうと

いうことを話し合いました。


 もっと書きたいことがたくさんあります

が、今年のことを振り返って、今までに一

番心に残ったことを書いてみました。少し

は、中学生の考えというものをわかってい

ただけたのではないでしょうか。どんなこ

とのあった中学校にも、ひとりぐらいは僕

みたいなのがいるはずです。


 最後に僕が言いたいのは、

「何事も過去のことだけで決めつけないで

ほしい」

 ということです。時がめぐるように、中

学校も僕達ひとりひとりも変わっていくの

ですから。




志雄中学校2年 階戸 陽太

当講座記事NO.44「今、自分の思うこと」


志雄中学校教諭 竹津 清樹(インタビュー)

同NO.43 「教育の原点を求めて」


臼ヶ峰往来にある家持歌碑

之乎路可良 多太古要久礼婆 波久比能海 安佐奈芸思多理 船梶母我毛

子浦路から直越え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船梶もがも

天平二十年(748年)万葉集巻17-4025番


当講座記事NO.170、311から
新川二朗が歌手になるまでの講演
志雄町生まれ育ち、志雄中学校卒
石川県唯一の紅白出場歌手 1964.12.31出場

新川二朗(二郎) 『 東京の灯よいつまでも』(1964)

  レコード売上百万枚の大ヒット曲(当時25歳)


当講座記事NO.348から










   小社発行『北陸の燈』創刊号より

   当講座記事NO.45再掲


〈後記〉

 石川県羽咋郡志雄町は2005年3月1日に

 同郡押水町と合併し同郡宝達志水町となった。

 また、2015年4月1日に、志雄中学校と

 押水中学校が統合して宝達中学校が開校した。


 「しお」「おしみず」という歴史的呼び名を

 いとも簡単に捨てられるのか、当時の町長や

 町議会議員の見識を残念に思ったしだいです。









人気の記事(過去30日)

348. 来たる時代への提言(3)

 【2024年7月1日配信】小社発信記事  当講座記事NO.300、338の続き           来たる時代への提言(1) .           来たる時代への提言(2) .                   261 知られざる歴史「海に消えた布引丸」   267 連帯はいかにして可能か・日本人の気骨 . 318 世界に範たる日本国になるには .                                                                  日本の重心富山県沖、大陸から見た日本        みんな仲良く      (富山県作成)      高句麗、渤海からも近い   久慈あさみ『ブンガワン・ソロ』 同題名映画で歌う    立山、劔岳、虻ヶ 島、鳥、色、紫雲、富山湾     上杉謙信、菅原道真、大伴家持も欲した景色    鳥の位置が立山頂上、世界で三ヶ処の海越景     2023.2.22 撮影  氷見市 木偶乃坊写楽斎さん                 灘浦小学校校歌合唱 - 同校51名全児童         341 申英玉が歌う『碑木』           342 曹秀美が歌う『クリウン金剛山』         アレクサンドラ・ベリコヴァ『鶴 (Журавли)』   図書館へ行く道を   きいている   あのおじさんはきっと   好い人にちがいない!     気仙沼と全世界の   図書館さまへ                      大空詩人・永井叔 当講座記事NO.302、319から 言葉とはなにか 小林秀雄、本居宣長とソクラテス 過去を呼び覚ます記憶、精神の力 「知性」は「勇気」の下僕である 本を書かなかったソクラテスの意 文字なき世の人々の心を読む宣長 『パイドロス』 心を開いて通わせ 対話する。 生きた智慧が飛び交う。    プラトン著『パイドロス』 (藤沢令夫訳、岩波文庫、1967) 本当の保守とは 島崎藤村『夜明け前』 青空文庫 島田清次郎『地上』地に潜むもの 山本直人著『亀井勝一郎 言葉は精神の脈搏である』評 (ミネルヴァ書房、2023.9)  当講座記事NO.307から ジョン・ケージ『4分33秒』 無響室 でケージ、体内の音を聴く    鈴木大拙にも学ぶ 中島敦『名人伝』 本当の思想的・学問的論争

338. 当講座の紹介と記事の開き方

【2024年4月20日配信】小社発信記事  「現代の声」講座 トップページへ .            「現代の声」講座全記事項目の紹介 NO. 223、「職」に関する記事 314、「哲学」に関する記事 227、「コロナ」に関する記事 228、「スポーツ」に関する記事 229、「自然」に関する記事 230、「教育」に関する記事 231、「歌」「音」「踊り」「情」に関する記事 232、「歴史」「非戦」に関する記事 233、「人文」「人権」「人道」に関する記事 170、   世界に響けこの音この歌この踊り 237、   当講座登場作家とその作品・書籍紹介 240、   当講座推薦動画・ツイッターXなど紹介 290、   川柳、俳句、短歌、和歌、詩、小説紹介 当講座記事の開き方  「現代の声」講座へアクセスをいただき 有り難うございます。 NO. 300の記事でも 紹介しましたが、改めて以下のとおり再度 記します。  この講座の趣旨は、「講座の開設にあた って」を見ていただければ幸いです。  当講座を自由に使っていただければ嬉し く思います。  記事を見つけやすくするために記事項目 を上に記しました。  各記事項目を左クリックすると各記事の タイトルが出てきます。その記事タイトル または「続きを読む」を左クリックすると 記事が出てきます。  画面右側目次と併せて何か参考になれば 幸いです。   また、当講座へのご寄稿や当講座記事の 内容等についてのご批判、ご意見、ご感想 など次のメール宛にていつでもいただけれ ばなお有り難いです。   (当講座編集人)    gendainokoe@gmail.com      当講座の画面にある「前の投稿」を左ク リックすると各記事の冒頭部分が順次出て きます。  「ホーム」を左クリックすると一番最初 の画面に戻ります。  「新しい投稿」を左クリックすると一つ 前の画面に戻ります。  また、画面右側の目次の各記事タイトル を左クリックすると、その記事がすぐに出 てきます。目次の NO.215 以降の記事は、 各月別にまとめてあります。「過去の記事」 を適宜左クリックするとタイトルが出てき ます。  「人気の記事」は、最近一ヶ月間にアク セスが多かった記事10本を上から人気順に 紹介してあります。  各記事中の写真は、写真の中または右横

224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を述べれば、おわらは  縄文と江戸の文化が八尾で花開いた  ような気がする。  (当講座編集人)    鏡町の踊りに魅入

307. 職人の心意気 -「技」の文化 -

 【2023年7月3日配信】   手作りへのいざない    -「技」の文化-     縫い針のひとはりに込める夢  敦賀市 宮岸 かなえ                     てのひらに落ちる雨滴が灯をともす     鹿児島市 井上 治朗                        器(うつわ)  器への思い    九谷焼絵付師  宮保 英明         用という約束の形を提供しながら、その 形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち 得るか、どんな可能性を引き出し得るか、 自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。  自意識による変身、習慣のタガをはずし、 本来まったく自由に扱える創作表現への自 意識を、材質としての焼きものにぶつけた い。  盛られる料理に好かれる器。使いよくて 楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た 目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素 直に語りかけてくる。そんなものを心がけ てつくりたい。 みやぼ ひであき 20歳から絵付けをはじめる。 1950年石川県白山市生まれ。 石川県加賀市日谷(ひのや)在住。 日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。 谷間の村・日谷の向こうには人はいない。 宮保家の裏もすでに森である。 仕事をするのにいい場所をさがし歩き、 1984年の夏、白山市から引っ越してきた。 「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。 小社発行・『北陸の燈』第4号より 撮影・八幡スタジオ 当講座記事NO.21、249再掲 当講座記事NO.223、「職」に関する記事から     芭蕉布ムーディー綾番匠くずし 平良 敏子   鋏 川澄 巌  文駒縫(あやこまぬい) 竹内 功   匠  足立区が誇る「現代の名工」    当講座記事NO.269、「世界屈指の技と清ら」から   流し猫壺 河井 寛次郎      「祖父寛次郎を語る」鷺 珠江さん     当講座記事NO.280、「湯の人(4)」から   樹 -卒業制作- 青木 春美     当講座記事NO.22、「織を通して学んだこと」から     絹本著色方便法身尊影  1500年製作      当講座記事NO.72、「松帆榭にて」から   千年の土 珠洲焼 篠原 敬    当講座記事NO.296、「あの日のこと」から     バンチェン土器   タイ・バンチェン遺跡     当講座記事NO.288、「個

328. ふるさとなまり

 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな 県都を、白山を源として流れる

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】小社発信記事   考えることがなぜ大切なのか   小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)           本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、誰がこれまでそのことに挑戦し てき ただ ろうか。 他人の褌で相撲を取る話ならいくらでもあ る。傍観者という意味だ。 ぼくの哲学には答えがないかもしれない。 変更し続

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】   史上最高選手   史上最高演技      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」  葉隠・武士道を覆す号泣             「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉                   「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったです。大いに感謝です。  その日から勢い
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         小社発信記事
         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎