356. マスコミの戦争責任
【2024年8月15日配信】小社発信記事
ポツダム宣言受諾決定の情報を知った直後
毎日新聞・西部本社の高杉孝ニ郎(富山県
出身)編集局長が辞表とともに提出した同
社社長への「進言書」
「その日まで戦争を謳歌し、扇動した大新
聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪
しなければならない。本社は解散し、毎日
新聞は廃刊、それが不可ならば重役並びに
最高幹部は即時総退陣する」
『まだ軍服を着せますか?』
靖国問題を考える映像ドキュメンタリー
小社企画・制作、73分、1989年
この動画のレジュメと推薦文は当講座記事
NO.182と264にあります。
一銭五厘の赤紙
2024.8.11 kyouseiさんnote
2024.9.8
ポツダム宣言受諾決定の情報を知った直後
毎日新聞・西部本社の高杉孝ニ郎(富山県
出身)編集局長が辞表とともに提出した同
社社長への「進言書」(井上靖と対極の姿勢)
「その日まで戦争を謳歌し、扇動した大新
聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪
しなければならない。本社は解散し、毎日
新聞は廃刊、それが不可ならば重役並びに
最高幹部は即時総退陣する」
1945年8月15日井上靖 (社会部記者・
金沢市の第四高等学校柔道部出身)執筆
翌8月 16日付け毎日新聞大阪本社発行
「毎日新聞」社会面 (2面) トップ記事
「玉音ラジオを拝して」
十五日正午ーーそれは、われわれが否三
千年の歴史がはじめて聞く思いの「君が代」
の奏でだった。その荘厳な「君が代」の響
の音が消えてからも、ラジオの前に直立不
動、頭を垂れた人々は二刻、三刻、微動だ
にしなかった。生まれて初めて拝した玉の
御声はいつまでも耳にあった。忝(かたじ
けな)さ、尊さに身内は深い静けさに包ま
れ、たれ一人毛筋一本動かすことはできな
かった。幾刻か過ぎ、人々の眼から次第に
涙がにじみあふれ肩が細く揺れはじめてき
た。本土決戦の日、大君に捧げまつる筈の、
数ならぬ身であった。畏(かしこ)くも、
陛下にはその数ならぬわれら臣下の身の上
に御心をかけさせられ、大東亜戦争終結の
詔書をいま下し給われたのであった。
ーー帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニ
アラス 爾(ナンジ)臣民ノ衷情モ朕善ク
之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)
ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万
世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲(コ
コ)ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ
赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
玉音は幾度も身内に聞え身内に消えた。
幾度も幾度もーー勿体なかった。申訳なか
った。事茲に至らしめた罪は悉(ことごと)
くわれとわが身にあるはずであった。限り
ない今日までの日の反省は五体を引裂き地
にひれ伏したい思いでいっぱいにした。い
まや声なくむせび泣いている周囲の総ての
人々も同じ思いであったろう。日本歴史未
曾有のきびしい一点にわれわれはまぎれも
なく二本の足で立ってはいたが、それすら
も押し包む皇恩の偉大さ! すべての思念
はただ勿体なさに一途に融け込んでゆくの
みであった。
詔書を拝し終るとわれわれの職場、毎日
新聞社でも社員会議がニ階会議室で開かれ
た。下田主幹が壇上に立って「詔書の御趣
旨を奉戴するところに臣民として進むべき
ただ一本の大道がある」と社員の今日から
進むべき道を説けば、上原主筆続いて「職
場を離れず己が任務に邁進することのみが、
アッツ島の、サイパンの、沖縄の英霊に応
える道である」とじゅんじゅんと声涙共に
下る訓示を与え、最後に鹿倉専務また社員
のこれまでの「闘い抜く決意」を新しい日
本の建設に向けることを要請した。われわ
れの進むべき道は三幹部の訓示をまつまで
もなくすでに御詔勅を拝した瞬間から明ら
かであった。
一億団結して己が職場を守り、皇国興建
へ新発足すること、これが日本臣民の道で
ある。われわれは今日も明日も筆をとる!
井上靖はこの後、同社学芸部副部長となり、
1950年に『闘牛』で芥川賞を受賞し、翌年
同社を退職。日本の有名作家となる。
1945年11月7日付け朝日新聞の記事
「国民と共に立たん」 の宣言は今日
に至るも、いまだ実行されていない。
「国民と共に立たず」のままである。
(以下に宣言の全文)
宣言
國民と共に立たん
本社、新陣容で「建設」へ
支那事変勃発以来、大東亞戰争終結
にいたるまで、朝日新聞の果たした
る重要なる役割にかんがみ、我等こ
ゝに責任を國民の前に明らかにする
とともに、新たなる機構と陣容とを
もつて、新日本建設に全力を傾倒せ
んことを期するものである。
全重役、および編集総長、同局長、
論説両主幹が総辞職するに至つたの
は、開戰より戰時中を通じ、幾多の
制約があつたとはいへ、眞実の報道、
厳正なる批判の重責を十分に果たし
えず、またこの制約打破に微力、つ
いに敗戦にいたり、國民をして事態
の進展に無知なるまゝ今日の窮境に
陥らしめた罪を天下に謝せんがため
である。
今後の朝日新聞は、全従業員の総意
を基調として運營さるべく、常に國
民とともに立ち、その聲を聲とする
であらう、いまや狂瀾怒涛の秋、日
本民主主義の確立途上來るべき諸々
の困難に対し、朝日新聞はあくまで
國民の機関たることをこゝに宣言す
るものである。
「NHK番組基準」 (1959年7月21日
制定) も、今日に至るも基準はどれ
ひとつとして実行されていない。
(以下に基準の当該文)
日本放送協会は、全国民の基盤に立つ
公共放送の機関として、何人からも干
渉されず、不偏不党の立場を守って、
放送による言論と表現の自由を確保し、
豊かで、よい放送を行うことによって、
公共の福祉の増進と文化の向上に最善
を尽くさなければならない。
この自覚に基づき、日本放送協会は、
その放送において、
1 世界平和の理想の実現に寄与し、
人類の幸福に貢献する。
2 基本的人権を尊重し、民主主義
精神の徹底を図る。
3 教養、情操、道徳による人格の
向上を図り、合理的精神を養う
のに役立つようにする。
4 わが国の過去のすぐれた文化の
保存と新しい文化の育成・普及
に貢献する。
5 公共放送としての権威と品位を
保ち、公衆の期待と要望にそう
ものであることを基本原則とし
て、ここに、国内放送の放送番
組の編集の基準を定める。
訂正
放送が事実と相違していることが明ら
かになったときは、すみやかに取り消
し、または訂正する。
報道番組
1 言論の自由を維持し、真実を報
道する。
2 ニュースは、事実を客観的に取
り扱い、ゆがめたり、隠したり、
また、せん動的な表現はしない。
3 ニュースの中に特定の意見をは
さむときは、事実と意見とが明
らかに区別されるように表現す
る。
4 災害などの緊急事態に際しては、
すすんで情報を提供して、人命
を守り、災害の予防と拡大防止
に寄与するようにつとめる。
5 ニュース解説または論評は、ニ
ュースと明確に区別されるよう
に取り扱う。
宗教者責任
「第二次大戦下における日本基督教
団の責任についての告白」の表明は
「無責任についての告白」とすべき
である。今日に至るも無責任のまま
である。告白の責任はいまだ実行さ
れていない。
(以下に告白の全文)
わたくしどもは、1966年10月、第14
回教団総会において、教団創立25周年
を記念いたしました。今やわたくしど
もの真剣な課題は「明日の教団」であ
ります。わたくしどもは、これを主題
として、教団が日本及び世界の将来に
対して負っている光栄ある責任につい
て考え、また祈りました。
まさにこのときにおいてこそ、わたく
しどもは、教団成立とそれにつづく戦
時下に、教団の名において犯したあや
まちを、今一度改めて自覚し、主のあ
われみと隣人のゆるしを請い求めるも
のであります。
わが国の政府は、そのころ戦争遂行の
必要から、諸宗教団体に統合と戦争へ
の協力を、国策として要請いたしまし
た。
明治初年の宣教開始以来、わが国のキ
リスト者の多くは、かねがね諸教派を
解消して日本における一つの福音的教
会を樹立したく願ってはおりましたが、
当時の教会の指導者たちは、この政府
の要請を契機に教会合同にふみきり、
ここに教団が成立いたしました。
わたくしどもはこの教団の成立と存続
において、わたくしどもの弱さとあや
まちにもかかわらず働かれる歴史の主
なる神の摂理を覚え、深い感謝ととも
におそれと責任を痛感するものであり
ます。
「世の光」「地の塩」である教会は、あ
の戦争に同調すべきではありませんで
した。まさに国を愛する故にこそ、キ
リスト者の良心的判断によって、祖国
の歩みに対し正しい判断をなすべきで
ありました。
しかるにわたくしどもは、教団の名に
おいて、あの戦争を是認し、支持し、
その勝利のために祈り努めることを、
内外にむかって声明いたしました。
まことにわたくしどもの祖国が罪を犯
したとき、わたくしどもの教会もまた
その罪におちいりました。わたくしど
もは「見張り」の使命をないがしろに
いたしました。心の深い痛みをもって、
この罪を懺悔し、主にゆるしを願うと
ともに、世界の、ことにアジアの諸国、
そこにある教会と兄弟姉妹、またわが
国の同胞にこころからのゆるしを請う
次第であります。
終戦から20年余を経過し、わたくしど
もの愛する祖国は、今日多くの問題を
はらむ世界の中にあって、ふたたび憂
慮すべき方向にむかっていることを恐
れます。この時点においてわたくしど
もは、教団がふたたびそのあやまちを
くり返すことなく、日本と世界に負っ
ている使命を正しく果たすことができ
るように、主の助けと導きを祈り求め
つつ、明日にむかっての決意を表明す
るものであります。
1967年3月26日 復活主日
日本基督教団総会議長 鈴木正久
1947年5月5日、東京・築地本願寺で
開かれた全日本宗教平和会議における
「懺悔の表明」も言葉だけで、今日に
至るも「懺悔」の薄明かりすら見られ
ない。
(以下に表明の全文)
全日本宗教平和会議の開催に際し、わ
れら宗教人はここに衷心から痛恨と懺
悔の意を表明する。
いずれの宗教も平和を本領とせざる
ものなきに拘らず、われらは昭和六年
九月満州事変以来の軍国主義的風潮を
阻止することができず、悲惨なる今次
戦争の渦中に巻きこまれたことは、神
佛に対し、祖国に対し、かつは世界の
全人類に対し、慚愧に堪えないところ
である。今にして静かに思えば、われ
われはかかる凄惨なる戦争の勃発する
以前に、身命を賭しても、平和護持の
運動を起し、宗教の本領発揮に努むべ
きであった。この点、われわれは深く
われらの無為にして殉教精神に欠けた
るを恥ずるものである。今こそわれら
は蹶然起ちてわれら宗教人の本務の完
遂に邁進しなければならない。
新憲法は世界に向つて戦争放棄を誓
約したが、この人類史上類いなき崇高
なる理想の実現は、人間精神の改造に
よる宗教的基礎に立ちてのみ可能なの
である。われらは、ただに既往の過失
を天下に陳謝し、頭を垂れて彼我戦争
犠牲者に詫ぶるのみならず、茲に全日
本宗教平和会議の開催を契機として、
力強く平和国家の建設に挺身せんこと
を宣誓する。
1945年9月2日
随員の岡崎勝男終戦連絡中央事務局長官が、
重光葵外相の意を取り付け、リチャード・
サザランド米中将に、4カ国代表の降伏文
書署名の間違いを指摘して、署名のし直し
を求める。サザランド中将が署名欄を訂正。
日本側の態度は立派である。その時の映像。