356. マスコミの戦争責任

 【2024年8月15日配信】小社発信記事





ポツダム宣言受諾決定の情報を知った直後

毎日新聞・西部本社の高杉孝ニ郎(富山県

出身)編集局長が辞表とともに提出した同

社社長への進言書」          


「その日まで戦争を謳歌し、扇動した大新

聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪

しなければならない。本社は解散し、毎日

新聞は廃刊、それが不可ならば重役並びに

最高幹部は即時総退陣する」




『まだ軍服を着せますか?』        

 靖国問題を考える映像ドキュメンタリー  

 小社企画・制作、73分、1989年      


 


この動画のレジュメと推薦文は当講座記事

 NO.182と264にあります。

 182 『まだ軍服を着せますか?』レジュメ

 264  靖国問題を通して「死と生」を考える.












いつかきた道
           

 一銭五厘の赤紙

  奉公袋



2024.8.11 kyouseiさんnote

当講座記事NO.319「何者でもない者が生きる哲学」から

まずマスコミが戦争の反省を

マスコミのつくる価値観を打ち破り
如何に自分自身と自由を獲得するか


国を守ること、家族を守ることとは




ポツダム宣言受諾決定の情報を知った直後

毎日新聞・西部本社の高杉孝ニ郎(富山県

出身)編集局長が辞表とともに提出した同

社社長への進言書(井上靖と対極の姿勢


「その日まで戦争を謳歌し、扇動した大新

聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪

しなければならない。本社は解散し、毎日

新聞は廃刊、それが不可ならば重役並びに

最高幹部は即時総退陣する」




 1945年8月15日井上靖 (社会部記者・

金沢市の第四高等学校柔道部出身)執筆

翌8月 16日付け毎日新聞大阪本社発行

「毎日新聞」社会面  (2面) トップ記事


「玉音ラジオを拝して」

 十五日正午ーーそれは、われわれが否三

千年の歴史がはじめて聞く思いの「君が代」

の奏でだった。その荘厳な「君が代」の響

の音が消えてからも、ラジオの前に直立不

動、頭を垂れた人々は二刻、三刻、微動だ

にしなかった。生まれて初めて拝した玉の

御声はいつまでも耳にあった。忝(かたじ

けな)さ、尊さに身内は深い静けさに包ま

れ、たれ一人毛筋一本動かすことはできな

かった。幾刻か過ぎ、人々の眼から次第に

涙がにじみあふれ肩が細く揺れはじめてき

た。本土決戦の日、大君に捧げまつる筈の、

数ならぬ身であった。畏(かしこ)くも、

陛下にはその数ならぬわれら臣下の身の上

に御心をかけさせられ、大東亜戦争終結の

詔書をいま下し給われたのであった。

 ーー帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニ

アラス 爾(ナンジ)臣民ノ衷情モ朕善ク

之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)

ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万

世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲(コ

コ)ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ

赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

 玉音は幾度も身内に聞え身内に消えた。

幾度も幾度もーー勿体なかった。申訳なか

った。事茲に至らしめた罪は悉(ことごと)

くわれとわが身にあるはずであった。限り

ない今日までの日の反省は五体を引裂き地

にひれ伏したい思いでいっぱいにした。い

まや声なくむせび泣いている周囲の総ての

人々も同じ思いであったろう。日本歴史未

曾有のきびしい一点にわれわれはまぎれも

なく二本の足で立ってはいたが、それすら

も押し包む皇恩の偉大さ! すべての思念

はただ勿体なさに一途に融け込んでゆくの

みであった。

 詔書を拝し終るとわれわれの職場、毎日

新聞社でも社員会議がニ階会議室で開かれ

た。下田主幹が壇上に立って「詔書の御趣

旨を奉戴するところに臣民として進むべき

ただ一本の大道がある」と社員の今日から

進むべき道を説けば、上原主筆続いて「職

場を離れず己が任務に邁進することのみが、

アッツ島の、サイパンの、沖縄の英霊に応

える道である」とじゅんじゅんと声涙共に

下る訓示を与え、最後に鹿倉専務また社員

のこれまでの「闘い抜く決意」を新しい日

本の建設に向けることを要請した。われわ

れの進むべき道は三幹部の訓示をまつまで

もなくすでに御詔勅を拝した瞬間から明ら

かであった。

 一億団結して己が職場を守り、皇国興建

へ新発足すること、これが日本臣民の道で

ある。われわれは今日も明日も筆をとる!


1945.8.15 正午 NHK、 天皇玉音放送


井上靖はこの後、同社学芸部副部長となり、

1950年に『闘牛』で芥川賞を受賞し、翌年

同社を退職。日本の有名作家となる。




 1945年11月7日付け朝日新聞の記事

 「国民と共に立たん」 の宣言は今日

 に至るも、いまだ実行されていない。

 「国民と共に立たず」のままである。

(以下に宣言の全文)


宣言

國民と共に立たん

本社、新陣容で「建設」へ

 

支那事変勃発以来、大東亞戰争終結

にいたるまで、朝日新聞の果たした

る重要なる役割にかんがみ、我等こ

ゝに責任を國民の前に明らかにする

とともに、新たなる機構と陣容とを

もつて、新日本建設に全力を傾倒せ

んことを期するものである。

今回村山社長、上野取締役会長以下

全重役、および編集総長、同局長、

論説両主幹が総辞職するに至つたの

は、開戰より戰時中を通じ、幾多の

制約があつたとはいへ、眞実の報道、

厳正なる批判の重責を十分に果たし

えず、またこの制約打破に微力、つ

いに敗戦にいたり、國民をして事態

の進展に無知なるまゝ今日の窮境に

陥らしめた罪を天下に謝せんがため

である。

今後の朝日新聞は、全従業員の総意

を基調として運營さるべく、常に國

民とともに立ち、その聲を聲とする

であらう、いまや狂瀾怒涛の秋、日

本民主主義の確立途上來るべき諸々

の困難に対し、朝日新聞はあくまで

國民の機関たることをこゝに宣言す

るものである。




「NHK番組基準」 (1959年7月21日 

制定) も、今日に至るも基準はどれ

ひとつとして実行されていない。

(以下に基準の当該文)


日本放送協会は、全国民の基盤に立

公共放送の機関として、何人からも干

渉されず、不偏不党の立場を守って、

放送による言論と表現の自由を確保し、

豊かで、よい放送を行うことによって、

公共の福祉の増進と文化の向上に最善

を尽くさなければならない。

この自覚に基づき、日本放送協会は、

その放送において、

 1 世界平和の理想の実現に寄与し、

   人類の幸福に貢献する。

 2 基本的人権を尊重し、民主主義

   精神の徹底を図る。

 3 教養、情操、道徳による人格の

   向上を図り、合理的精神を養う

   のに役立つようにする。

 4 わが国の過去のすぐれた文化の

   保存と新しい文化の育成・普及

   に貢献する。

 5 公共放送としての権威と品位を

   保ち、公衆の期待と要望にそう

   ものであることを基本原則とし

   て、ここに、国内放送の放送番

   組の編集の基準を定める。


訂正

放送が事実と相違していることが明ら

かになったときは、すみやかに取り消

し、または訂正する。


報道番組

 1 言論の自由を維持し、真実を報

   道する。

 2 ニュースは、事実を客観的に取

   り扱い、ゆがめたり、隠したり、

   また、せん動的な表現はしない。

 3 ニュースの中に特定の意見をは

   さむときは、事実と意見とが明

   らかに区別されるように表現す

   る。

 4 災害などの緊急事態に際しては、

   すすんで情報を提供して、人命

   を守り、災害の予防と拡大防止

   に寄与するようにつとめる。

 5 ニュース解説または論評は、ニ

   ュースと明確に区別されるよう

   に取り扱う。







宗教者責任


「第二次大戦下における日本基督教

団の責任についての告白」の表明は

「無責任についての告白」とすべき

である。今日に至るも無責任のまま

である。告白の責任はいまだ実行さ

れていない。

(以下に告白の全文)


わたくしどもは、1966年10月、第14

回教団総会において、教団創立25周年

を記念いたしました。今やわたくしど

もの真剣な課題は「明日の教団」であ

ります。わたくしどもは、これを主題

として、教団が日本及び世界の将来に

対して負っている光栄ある責任につい

て考え、また祈りました。

まさにこのときにおいてこそ、わたく

しどもは、教団成立とそれにつづく戦

時下に、教団の名において犯したあや

まちを、今一度改めて自覚し、主のあ

われみと隣人のゆるしを請い求めるも

のであります。

わが国の政府は、そのころ戦争遂行の

必要から、諸宗教団体に統合と戦争へ

の協力を、国策として要請いたしまし

た。

明治初年の宣教開始以来、わが国のキ

リスト者の多くは、かねがね諸教派を

解消して日本における一つの福音的教

会を樹立したく願ってはおりましたが、

当時の教会の指導者たちは、この政府

の要請を契機に教会合同にふみきり、

ここに教団が成立いたしました。

わたくしどもはこの教団の成立と存続

において、わたくしどもの弱さとあや

まちにもかかわらず働かれる歴史の主

なる神の摂理を覚え、深い感謝ととも

におそれと責任を痛感するものであり

ます。

「世の光」「地の塩」である教会は、あ

の戦争に同調すべきではありませんで

した。まさに国を愛する故にこそ、キ

リスト者の良心的判断によって、祖国

の歩みに対し正しい判断をなすべきで

ありました。

しかるにわたくしどもは、教団の名に

おいて、あの戦争を是認し、支持し、

その勝利のために祈り努めることを、

内外にむかって声明いたしました。

まことにわたくしどもの祖国が罪を犯

したとき、わたくしどもの教会もまた

その罪におちいりました。わたくしど

もは「見張り」の使命をないがしろに

いたしました。心の深い痛みをもって、

この罪を懺悔し、主にゆるしを願うと

ともに、世界の、ことにアジアの諸国、

そこにある教会と兄弟姉妹、またわが

国の同胞にこころからのゆるしを請う

次第であります。

終戦から20年余を経過し、わたくしど

もの愛する祖国は、今日多くの問題を

はらむ世界の中にあって、ふたたび憂

慮すべき方向にむかっていることを恐

れます。この時点においてわたくしど

もは、教団がふたたびそのあやまちを

くり返すことなく、日本と世界に負っ

ている使命を正しく果たすことができ

るように、主の助けと導きを祈り求め

つつ、明日にむかっての決意を表明す

るものであります。

 1967年3月26日 復活主日

 日本基督教団総会議長  鈴木正久




1947年5月5日、東京・築地本願寺で

開かれた全日本宗教平和会議における

「懺悔の表明」も言葉だけで、今日に

るも「懺悔」の薄明かりすら見られ

(以下に表明の全文)


全日本宗教平和会議の開催に際し、わ


れら宗教人はここに衷心から痛恨と懺


悔の意を表明する。


 いずれの宗教も平和を本領とせざる


ものなきに拘らず、われらは昭和六年


九月満州事変以来の軍国主義的風潮を


阻止することができず、悲惨なる今次


戦争の渦中に巻きこまれたことは、神


佛に対し、祖国に対し、かつは世界の


全人類に対し、慚愧に堪えないところ


である。今にして静かに思えば、われ


われはかかる凄惨なる戦争の勃発する


以前に、身命を賭しても、平和護持の


運動を起し、宗教の本領発揮に努むべ


きであった。この点、われわれは深く


われらの無為にして殉教精神に欠けた


るを恥ずるものである。今こそわれら


は蹶然起ちてわれら宗教人の本務の完


遂に邁進しなければならない。


 新憲法は世界に向つて戦争放棄を誓

約したが、この人類史上類いなき崇高

なる理想の実現は、人間精神の改造に

よる宗教的基礎に立ちてのみ可能なの

である。われらは、ただに既往の過失

を天下に陳謝し、頭を垂れて彼我戦争

犠牲者に詫ぶるのみならず、茲に全日

本宗教平和会議の開催を契機として、

力強く平和国家の建設に挺身せんこと

を宣誓する。

 

全日本宗教平和会議は、日本宗教連
盟(前身は大日本戦時宗教報告会)、
仏教連合会、日本キリスト教連合会、
神社本庁、宗教文化協会が共催した。




2022.6.8 真宗大谷派
  この決議は 「NATO・欧米側の横暴」と
  ウクライナの実状・実態の把握に欠ける。  
  ロシア侵攻の真因の究明・検証に欠ける。
  上の「」内の一言が決議文に欠けている。
  宗祖親鸞を悲嘆・悲涙させる慚愧の決議。

〈小社推薦図書〉





教育者責任

軍国少年少女の授業  教育映画『戦ふ少国民』
1944電通製作  国民皆兵教育
戦後、校長はじめ教員はその後どうしたのだろうか
国家の要請に応える姿勢、体質だけは一貫している
 「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」





日本の降伏  全米生中継 1945.9.2 
戦艦ミズーリ甲板  当講座記事NO.267、348から

1945年9月2日

随員の岡崎勝男終戦連絡中央事務局長官が、

重光葵外相の意を取り付け、リチャード・

ザランド米中将に、4カ国代表の降伏文

書署名の間違いを指摘して、署名のし直し

を求める。サザランド中将が署名欄を訂正。

日本側の態度は立派である。その時の映像。

 ミズリ上で毅然とした態度、気骨を示す岡崎勝男
 重光葵は日本人としての誇り、威厳をただよわせる




2024.8.15 TBS
鹿児島の特攻資料館を見学することは何ら批判される
ことではない。行って見てみることは何の問題もない。
どこにでも行って、見て、学ぶことはできるのである。
問われるのは、資料館の在り方や自分自身の生き方や
特攻隊や戦争をどのように考えたかということである。
また、早田選手の発言を批判・賛同する人がいるなら、
その理由を述べるべきである。そして対話すればよい。
                 (当講座編集人)

特攻兵の出撃を見送る知覧高等女学校の
生徒たち(1945.4.12・撮影 毎日新聞)
当講座記事NO.182、264から

〈小社推薦図書〉
  (岩波文庫、1995)
   プラトン著『パイドロス』
(藤沢令夫訳、岩波文庫、1967) 
   ソクラテスは、本を書かない。
(書いたのは、プラトンである)   
   心を開いて通わせて対話する。
   生きた智慧が互いに飛び交う。





  









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348. 当講座記事の開き方と記事項目           

 【2024年7月1日配信】小社発信記事 「現代の声」講座 トップページへ .            「現代の声」講座全記事項目の紹介 NO. 223、「職」に関する記事 314、「哲学」に関する記事 227、「コロナ」に関する記事 228、「スポーツ」に関する記事 229、「自然」に関する記事 230、「教育」に関する記事 231、「歌」「音」「踊り」「情」に関する記事 232、「歴史」「非戦」に関する記事 233、「人文」「人権」「人道」に関する記事 170、   世界に響けこの音この歌この踊り 237、   当講座登場作家とその作品・書籍紹介 240、   当講座推薦動画・ツイッターXなど紹介 290、   川柳、俳句、短歌、和歌、詩、小説紹介 当講座記事の開き方  「現代の声」講座へアクセスをいただき 有り難うございます。 NO. 300とNO. 338 の記事でも紹介しましたが、改めて以下の とおり再度記します。  この講座の趣旨は、「講座の開設にあた って」を見ていただければ幸いです。  当講座を自由に使っていただければ嬉し く思います。  記事を見つけやすくするために記事項目 を上に記しました。  各記事項目を左クリックすると各記事の タイトルが出てきます。その記事タイトル または「続きを読む」を左クリックすると 記事が出てきます。  画面右側目次と併せて何か参考になれば 幸いです。   また、当講座へのご寄稿や当講座記事の 内容等についてのご批判、ご意見、ご感想 など次のメール宛にていつでもいただけれ ばなお有り難いです。   (当講座編集人)    gendainokoe@gmail.com      当講座の画面にある「前の投稿」を左ク リックすると各記事の冒頭部分が順次出て きます。  「ホーム」を左クリックすると一番最初 の画面に戻ります。  「新しい投稿」を左クリックすると一つ 前の画面に戻ります。  また、画面右側の目次の各記事タイトル を左クリックすると、その記事がすぐに出 てきます。目次の NO.215 以降の記事は、 各月別にまとめてあります。「過去の記事」 を適宜左クリックするとタイトルが出てき ます。  「人気の記事」は、最近一ヶ月間にアク セスが多かった記事10本を上から人気順に 紹介してあります。  各記事中の写真は、写真の

307. 職人の心意気 -「技」の文化 -

 【2023年7月3日配信】   手作りへのいざない    -「技」の文化-     縫い針のひとはりに込める夢  敦賀市 宮岸 かなえ                     てのひらに落ちる雨滴が灯をともす     鹿児島市 井上 治朗                        器(うつわ)  器への思い    九谷焼絵付師  宮保 英明         用という約束の形を提供しながら、その 形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち 得るか、どんな可能性を引き出し得るか、 自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。  自意識による変身、習慣のタガをはずし、 本来まったく自由に扱える創作表現への自 意識を、材質としての焼きものにぶつけた い。  盛られる料理に好かれる器。使いよくて 楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た 目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素 直に語りかけてくる。そんなものを心がけ てつくりたい。 みやぼ ひであき 20歳から絵付けをはじめる。 1950年石川県白山市生まれ。 石川県加賀市日谷(ひのや)在住。 日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。 谷間の村・日谷の向こうには人はいない。 宮保家の裏もすでに森である。 仕事をするのにいい場所をさがし歩き、 1984年の夏、白山市から引っ越してきた。 「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。 小社発行・『北陸の燈』第4号より 撮影・八幡スタジオ 当講座記事NO.21、249再掲 当講座記事NO.223、「職」に関する記事から     芭蕉布ムーディー綾番匠くずし 平良 敏子   鋏 川澄 巌  文駒縫(あやこまぬい) 竹内 功   匠  足立区が誇る「現代の名工」    当講座記事NO.269、「世界屈指の技と清ら」から   流し猫壺 河井 寛次郎      「祖父寛次郎を語る」鷺 珠江さん     当講座記事NO.280、「湯の人(4)」から   樹 -卒業制作- 青木 春美     当講座記事NO.22、「織を通して学んだこと」から     絹本著色方便法身尊影  1500年製作      当講座記事NO.72、「松帆榭にて」から   千年の土 珠洲焼 篠原 敬    当講座記事NO.296、「あの日のこと」から     バンチェン土器   タイ・バンチェン遺跡     当講座記事NO.288、「個

366. 来たる時代への提言(5)

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224. 天と地をつなぐ「おわらの風」

【2022年1月22日配信】   大寒           七尾市 石島 瑞枝             雪解けの春風を待つ坂の町               秋風 (2023.9.3)            横浜市 髙祖 路子    夜流しの音色に染まる坂の街                         鏡町地方衆、先人のご苦労をしのびその息吹に応える夜流し .  今町のおわら .      2023.9.3 最終日、西町青年団最終おわらの舞い .                               撮影 木偶乃坊写楽斎さん         〈参考〉                               越中八尾おわら風の盆               「深夜の夜ながし」      日本と日本人が失くしてしまった、  奪 われてしまった温かい心情、 郷愁  --それらを求めて各地から 数多の  見物者 が、 魅入られたかのように、  取りもどす か の ように八尾へ と 足を  運 ぶ の だろうか。  高橋治と石川さゆりの『風の盆恋歌』  の影響が大きいとも八尾ではいわれ  て いる。言葉と 歌の 力のすごさか。  事実、この 歌 の前と後とでは、風の  盆訪問 者 数に圧倒的な差がある。  紅白で、「命を賭けてくつ がえす」  と、着物の 袖 を 強く 握りしめ 揺さぶ  り ながらうた った 「くつがえす」の  一語の中に、日本の 歌手 として歩ん  できた 石川さゆりの、 自 らの心の奥  底にある深い 懐 いをも 包んだ 全 情念  が 込め ら れて い る。  旅人の多くが八尾に滞在してい る中、  わずかのさすがの通だけが、おわら  本来 の良 さ が漂っている深夜の夜流  し の、 後ろ姿を見ている。個性 ある  いで たちもすばらしい。  おわらは見せるものなのか、見られ  るこ とを意識すらせずに心ゆく まで  自ら楽しむものなのか。あるいはま  た、…… …… 高橋治と 石川さゆりは、  諸々のことを考える、見直すための  たいへ ん な「契機」 を 与 えて くれ た  ので ある 。    個人的な所感を述べれば、おわらは  縄文と江戸の文化が八尾で花開いた  ような気がする。  (当講座編集人)    鏡町の踊りに魅入

328. ふるさとなまり

 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな 県都を、白山を源として流れる

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか    小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、誰がこれまでそのことに挑戦し てき ただ ろうか。 他人の褌で相撲を取る話ならいくらでもあ る。傍観者という意味だ。 ぼくの哲学には答えがないかもしれない。 変更

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったです。大いに感謝です。  その日から勢い
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
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         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
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         廣田 克昭
         早津 美寿々
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         早津 美寿々
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         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
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         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
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         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
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         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
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         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
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         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
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167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎