354. 広島被爆軍人の記

【2024年8月6日配信】        




     


                    

 ヒロシマの回想        



      加賀市  建設業 七尾 政治           


 昭和二十年八月六日、日曜日、その日も

から焼けつくような真夏の太陽が輝いて

いた。陸軍の現役兵として私は広島の兵営

で、前夜の空襲警報も解除され、緊張から

解放されて衛兵交替の申し送りをしていた。


 朝八時である。微かな爆音と共に、米国

が誇るB29の機影が、銀色に青空の中に

見えた。B29を広島の上空に見たのはも

う数回、やや慢性化の感でいたのであるが、

衛兵交替時でもあり一瞬緊張して機を見上

げた。


 高度一万、交代終了、八時十五分! 突

然、日光をあざむく閃光が、一瞬、皮膚を

焼く灼熱とともに炸裂して目を眩ませた。

と同時に耳を聾する百雷同落の如き大轟音

と、人をも吹き飛ばす大爆風が、間髪を入

れず広島全市を震撼させたのである。無我

夢中、先を競って営庭の一隅の防空壕に

び込む時、この目に映ったのは、市の上空

に渦を巻いた紅蓮の炎の爆雲が、巨竜のよ

に発生して昇る姿であった。いわゆる『

きのこ雲』である。無気味なその雲に向か

って、「また爆発するぞー」と怒号する者

もいた。もくもくと次から次へと火を吹い

て湧くその雲は、風を巻く音をたててその

夕刻まで消えなかった。


 灼熱の閃光と爆風によって、爆心地から

二・五キロの半径内の家屋は、ことごと

く将棋倒しに倒壊した。爆発三十分後には、

二千度の高熱をともなった閃光によって、

全市は一斉に火災が発生した。径五寸もあ

る火の塊が、きのこ雲から無数に落下して、

屋根の上で飛び散るのも見えた。全市は炎

と煙に包まれて、倒壊した家屋の中から辛

うじて逃げた市民の群れは、雪崩のように

広場や郊外へと走ったのである普通の爆

弾ではない。たった一発で大広島が、一瞬

にして火の海になろとは。憶測が憶測を

生み、全市が不安のど底に陥った。


 かつてない新型爆弾であろう。私は、防

壕の中で、右手甲と鼻下に火腫(ひぶく

れ)ができているのに気づいたが、処置す

る考えも暇もなかった。中隊の水上勤務の

兵隊が裸で作業中に被爆して全身火傷(や

けど)となって次から次へと運ばれてきた。

胸も背も火傷を負っている彼らは、伏すこ

とも仰向くこともできず、重心なく坐って

苦闘していた。手を施す術もない痛々しい

姿だった。水を求める力も弱い彼らに戦友

は水を与えた。その日の夕方から翌々日ま

でに、重傷の彼らはほとんど死亡した。か

わいそうな最期だったと、見守った戦友の

話しだった。


 私の火腫は二か月後の復員までには、幾

の色素を残して外傷は治った。また、ほ

とんどの兵が私と同様に火腫を生じた。露

出部分に直接閃光が当たった皮膚が、大同

小異に火腫となったのである。


 中隊が部隊負傷者の収容と市民の救援活

にはいったのは、やや動揺の鎮まった午

前十時頃だったと思う。私どもの兵舎は、

倒壊をのがれたものの三十度ぐらい傾いた。

無論、窓硝子は一枚もない。足の踏み場も

ない状態になったけれども、火災が発生し

なかったのは何よりだった。私たちは爆心

地の方向へ急行したが、兵舎から一キロ地

点で既に火がすさまじく、市民の避難で驚

天動地の場となっていた。


 比治山の宇品寄りで市民の誘導や救援活

にわれを忘れた。市民に「兵隊さん、兵

隊さん」と飛びつかれて叱咤激励した。逃

げ惑う市民のほとんどが火傷を負い、焼け

ただれた夏服の肌も露わな跣(はだし)の

ままだった。地上に落ちた無数の電線が足

を奪い転びつまずき、その有様は、日本滅

ぶの様相だった。


 救援活動にはいって最初に私に飛びつい

来た二人の少年。それこそ灰の中から出

て来た頭の毛を焼かれた少年は、散髪屋で

被爆して家とは反対の方向に逃げたと息き

れぎれに語った。郊外の避難所に行くよう

に指示したが、後髪を引かれる思いだった。

あの子どもたちは、どうなったのだろうか。

中心地から外へ外へと猛火は拡がる。炎と

真夏の太陽と放射能による火傷、裸同然の

夏服。白昼炎に追われる市民の大人も子ど

もも、その顔は尋の形相ではなかった。

高層ビルから嘗めるように吹き出す炎と煙、

紙屑のように燃える住宅。全市一斉の火災

は、広島の空を薄暮のように暗くした。そ

の夜も一晩中火災は続いた。


 私たちは、避難した市民の治安に一睡も

かった。南瓜(かぼちゃ)の蔓が延びた

畠だったのが妙に忘れられない。不安にお

ののく人々が、「また空襲はあるのだろう

か」と再四問いかけるが、私たちにも知る

術はなかった。私は故郷のことが気になっ

た。今頃は広島と同じ運命にあるのではな

かろうか。私の召集後、あとを追うように

して応召した父。子どもと女だけの家族は

大丈夫だろうか。心中、秘かに共の無事を

祈った。軍から支給の乾パンをかじる放心

の市民、それすら食えない負傷者に、衛生

兵は白い薬を塗っていた。猛火の炎は中天

に達し、それらの人々を赤く浮きぼりに染

めた。


 広島、最後の炎の長い一夜は開けた。翌

日、猛火は広島すべての一木一草に至る

までことごとく焼き尽くし、駅前のビル群

が黒焦げの姿で一階の根っこから丸見えに

なったのには驚いた。全市を包んだ猛火の

前にはすべての機関も機能も全滅した。日

本、否、世界の歴史に、一瞬にして全市全

滅の戦争記録はかつてあっただろうか。視

界のすべてが焼野が原である。戦争と化学

の恐ろしさに慄然とした。後日、この広島

を原子砂漠と人は形容した。


 私たちは負傷兵を除く全員、治安と救援

余燼と熱気の市内に出た。比治山の下で

焦げた電車の中に、乗客の焼死体が破れた

窓から見えた時、これが現実かと自分の目

を疑った。焼けた消防車、飴のように曲が

った線路、洞穴のような日赤病院。多くの

患者はどうなっただろう。昔、大本営のあ

った五層の天守広島城も跡形もなかった。


 広島は川が多い。その川に灼熱を避けて

び込み息絶えたおびただしい死体。燃え

跡の家屋の中にも死体の頭が見えた。これ

らの収容作業や焼却火葬は、広島在住の陸

軍部隊のすべてが従事した。約一週間、私

たちもこの作業に従事した。異臭を放つ腐

乱死体の無残さに、現役兵を自負した私た

ちが、夜間、屋外の厠には独りで行けず、

戦友に同道を願ったことなど軽度の神経衰

になったのは、私一人ではなかった。


 焼け跡の門柱やトタン板に、立ち戻った

々が離散した家族に安否や消息を消し炭

で書いてあった。右往左往する放心の市民

の姿に、十日後の終戦を待たず、私たちは

敗戦の予感を膚で感じたのである。………


 体重七十キロの私の重心を失わせた爆風、

火を吹いたきのこ雲、救いを求めて飛びつ

た灰だらけの少年、収容所の筵(むしろ)

呻いた負傷者、集積所に並べた死体をか

き分けて不明の肉親を必死に探す人々。あ

の日の広島の追憶は尽きない。広島の惨禍

は私の網膜と鼓膜からは生涯消えないだろ

う。


 当時、広島ではこの爆弾をピカドンと名

けた。爆発瞬時をとらえた印象として現

在もその代名詞となっている。世界最初の

原子爆弾は市民軍人あわせて二十万の命を

奪い、負傷者は二十万とも二十五万人とも

いわれた。続いて九日には長崎市にも原爆

が。長崎市の惨状も広島同様だったことは

想像に難くない。


 私は二年前の八月六日、広島市主催の被

者慰霊式に招かれて、平和公園で開かれ

たこの式典に参列して、非業の死を遂げた

犠牲者に、同じ被爆者として心からの黙祷

を捧げたのである。参列した多くの人々が、

立ち昇る香煙のその中に、友や肉親や知己

の面影を幻の如く見たであろう。当時まだ

二十三歳だった私も「われ長らえり」の感

懐を、青年の日、国家の干城として過ごし

た一か年のなつかしい想い出の地、復興な

った広島で、しみじみと味わったのである。

私どもが厳しい軍律の日々を送った兵営跡

も訪れたが、昔を留める面影は更になく、

時の流れを無性に感じたのである。そこに

は平和な文化都市として鉄筋の小学校が建

ち、戦争を知らない子どもたちがプール

水飛沫をあげていた。


 原爆の恐ろしさを身をもって体験した広

市民が、世界の平和を祈り、核兵器の廃

絶と全面完全軍縮を世界に訴える慰霊式に、

参加した人々と共に、平和の願いを更に深

めたのであるが、核兵器はますます量的拡

大と質的高度化の一途を辿り、限定核戦争

や先制攻撃論が台頭し、人類はまさに核戦

争の危機に陥ろうとしている。原爆の過酷

さを体験した広島市民、否、日本人は、慄

然とする当時を回想する時、核戦争には勝

者も敗者もなく、ただ全人類の破滅をもた

らすものでしかあり得ないということを、

全人類に向かって血涙のほとばしる雄叫び

で訴え続けなければならない世界の代表で

あり、世界の旗手であらねばならぬと深く

感じたのである。


 原爆資料館の写真や資料を見て、当時の

シマが髣髴として思い出された。真夏

の太陽を受けて光る無気味な原子雲、暗い

影を落としながら北西に広がるその下に核

時代の原点となったヒロシマの、三十万と

も四十万ともいわれる市民の慟哭や呻き声

が、当時、米軍が撮した写真を透かして、

海鳴りのように私の耳底に聞こえる気がし

てならなかった。


「ヒロシマは、単なる歴史の証人ではない」

「ヒロシマは、人類未来への限りない警鐘

る」


 私は、荒木武広島市長が、全世界に向か

声高く読みあげた宣言の一部を、独り

心して繰り返した。


 


 睡蓮  氷見市 十二町潟水郷公園

 2024.6.6 木偶乃坊写楽斎さん撮影



  原爆投下後テニアン島に帰還したとされるエノラ・ゲイ

  時事通信




 






 小社発行『北陸の燈』第4号より

 当講座記事NO.11再掲


〈参考

 当講座記事NO.247から

  原爆炸裂点・高度567m
  1998.8.6 NHK放送・Nスペ



〈小社推薦図書〉

 大江健三郎著『ヒロシマ・ノート』
    (岩波新書、1965)



〈後記〉

 七尾政治さんが上の『ヒロシマの回想』を
 執筆したのは1984年である。
 七尾さんは石川県内で数人しかいない被爆
 者健康手帳を持っていたひとりである。
 当時は気がつかなかったが、文中にB29を
 午前8時に見たとあるのは、本当にB29だ
 ったのだろうか。またB29だったとすれば、
 それはエノラ・ゲイだったのだろうか。
 というのは、近年、原爆は地上起爆だった、
 エノラ・ゲイでは科学・技術的にみて起爆
 装置を運べない旨の言説を述べる人がいる
 からである。
 事実、真実には、謙虚で忠実でなくてはな
 らない。
 もしこの言説が正しいとすれば、広島長崎
 原爆は日米共同で行なうが、米国が投下し
 た(事実、ルーマン米国大統領は米国が
 投下した、と声明ている。)ことにする、
 ということになる。そうであれば、当時の
 戦争の意味もまったく違ってくる。
 当日の朝、七尾さんが見た広島上空の状況
 を詳しく聞かなかったのがいま悔やまれる。
             (当講座編集人)




〈追記〉

2024.8.7 産経新聞




2024.8.9 毎日新聞
長崎平和宣言、鈴木史朗市長

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 中継

  2024.8.9 長崎放送




2024.8.10 佐藤章さん、上の式典から考える

こんな時代を繰り返してはいけない
軍国少年少女の授業  教育映画『戦ふ少国民』
1944電通製作  国民皆兵教育
戦後、校長はじめ教員はその後どうしたのだろうか
国家の要請に応える姿勢、体質だけは一貫している
 「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」


   (青木書店、1952)

  (岩波文庫、1995)




2024.8.11 朝日新聞
当講座記事NO.327から




〈小社推薦図書〉
   プラトン著『パイドロス』
(藤沢令夫訳、岩波文庫、1967) 
   ソクラテスは、本を書かない。
(書いたのは、プラトンである)   
   心を開いて通わせて対話する。
   生きた智慧が互いに飛び交う。











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【2023年11月4日配信】小社発信記事   考えることがなぜ大切なのか   小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)           本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、誰がこれまでそのことに挑戦し てき ただ ろうか。 他人の褌で相撲を取る話ならいくらでもあ る。傍観者という意味だ。 ぼくの哲学には答えがないかもしれない。 変更し続

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

266. 混迷する現代と統一協会 

【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】   史上最高選手   史上最高演技      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」  葉隠・武士道を覆す号泣             「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉                   「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの金 メダルを独占したエリック・ハイデンは

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったです。大いに感謝です。  その日から勢い
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
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         正見  巖
         正見  巖
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         広瀬 心二郎
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         御堂河内 四市
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         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
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         谷野 あづさ
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         小林 ときお
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         竹内 緋紗子
         笠尾  実
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         伊勢谷 功
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         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
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         伊勢谷 功
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         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
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         田代 真理子
         花水 真希
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         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
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         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
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         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
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         前田 佐智子
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         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
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         石井 洋三
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         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎