264. 靖国問題を通して「死と生」を考える
【2022年8月15日配信】小社発信記事
本日は敗戦記念の日、8月15日です。
当講座の記事 NO.182 で紹介しました小社
企画・制作の靖国問題を考える映像ドキュ
メンタリー『まだ軍服を着せますか?』を
再掲します。
レジュメも以下に再掲します。
『まだ軍服を着せますか?』(1989年制作)
レジュメ
-前半-
1)靖国神社拝殿前
1987年8月15日 東京都千代田区九段北
男性4人-白手袋、帽子、制服姿、日の丸
タイトル
各地から参拝者 旗 リボン 賽銭箱 幕
拝殿から本殿の祭壇を撮る
祭壇の向こうに霊璽簿奉安殿がある
閣僚の公式参拝
田村元・通商産業大臣
橋本龍太郎・運輸大臣
斎藤十朗・厚生大臣
御祓、玉串奉納
【田村通産相・橋本運輸相は「二礼二拍
手一礼」の神社形式、斎藤厚相は内閣の
方針にそって「一礼」した】と新聞記事
(共同通信)にある
三閣僚(ともに慶應義塾大学出身、田村
通産相は先輩風を吹かしている)とも、
「公式参拝である」と記者団に語る
斎藤厚相の記帳、肩書をふたつ(字の大
きさ、高さが違う)記す
葉梨信行・自治相、参拝・記帳のあと記者
団に囲まれ「非公式な参拝」と語る
2)靖国神社神門前
大村益次郎(長州出身)の銅像のうしろ姿、
向こうに大鳥居が見える
境内のテント内では 『英霊にこたえる会』
(井本台吉会長)、『日本を守る国民会議』
(黛敏郎委員長)共催の「戦没者追悼中央
国民集会」が行われている
拝殿に向かいラッパを吹く男性のインタビ
ュー
軍服姿の男性のインタビュー、その男性の
周囲にいた人たちの声
写真提供 仏教タイムス
靖国神社に隣接する遊就館前の神馬
3)石川護国神社
1987年11月1日 石川県金沢市
石川県戦友諸団体の合同招魂祭
同神社前の神馬
雅楽奏者 神主登場(笏、冠、衣、靴)
旗 リボン
来賓 石川県知事、石川県選挙区選出の自
民党国会議員、自民党県議会議員、
現職自衛官(小松基地)幹部、殉職
自衛官遺族代表
団体代表挨拶
玉串奉納 来賓の全員が「二拝(礼)二拍
手一拝(礼)」
雅楽の楽器とその音
4)東本願寺御影堂
1987年12月 京都市下京区烏丸通七条
東本願寺(真宗大谷派)報恩講
雅楽の楽器とその音 火
雅楽奏者 門首登場(扇、修多羅、衣、靴、
世襲制) 内陣
門徒のインタビュー(鳥取県から参拝、朝
5時、一番乗り) 外陣
各地から参拝者 旗 襷 篭 幕
拝む僧侶と門徒、拝まれる親鸞の像
5)北陸の浄土真宗門徒の家
仏壇の阿弥陀如来図 居間に神棚 仏間に
戦死者の写真
座敷に東本願寺門首の直筆、明治・大正天
皇の写真、靖国神社と戦死者の額
6)戦死した息子の母親の家
靖国神社と戦死者の額 神棚(「皇大神宮」
の文字、伊勢神宮の提灯)
仏間で母親のインタビュー
靖国神社境内での参拝女性の声
遊就館の展示品
出征浄土真宗門徒が身につけたお守り
靖国神社拝殿前の遺族
再び遊就館の展示品
再び靖国神社境内での参拝女性の声
7)明達寺
石川県松任市(現白山市)北安田
暁烏敏の生家
境内に「日の丸」掲揚台の跡、戦時毎朝「
宮城遥拝」、朝鮮総督府でも活動
明達寺境内にある「臘扇堂」内
拝む暁烏敏の像、拝まれる清澤満之の像
朗読 『国体と仏教』(暁烏敏著、北安田
パンフレット)から
【日本帝国の臣民として我が日本の国を
お開きあらせられました皇祖皇宗の大
神の御社に参拝しないといふものがあ
るならば、それこそしれものでありま
す】
戦時下の宗教出版物
『神ながらの道と浄土真宗』(文化時報
社刊)
『われらの翼賛体制』(浄土真宗本願寺
派刊)
『真宗寺院名簿-朝鮮寺院』(浄土真宗
本願寺派刊)
『真宗聖典』(真宗大谷派刊)-教育勅
語、戊申詔書、国民精神作興の詔書
西本願寺(浄土真宗本願寺派)、東本願寺、
東本願寺勅使門(各京都市)
8)石川県珠洲市の一真宗寺院
布教師の法話(節談説教、祖父江省念の最
後の弟子)
『恩徳讃』(親鸞作「正像末和讃」より)
の合唱
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
合掌「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、…」
9)夫が戦死した女性の家
農家、前項で参拝していた女性
仏間でインタビュー
夫の額(肖像画)
軍服 軍帽 鍔 顎紐 徽章 釦
詰襟 勲章
戦死者の院号法名 即成院、還生院、
義烈院、顕忠院、浄土院、護国院など
寺院の住職が考えて自坊の門徒に命名
朗読 親鸞作「正像末和讃」より
かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す
-後半-
10)関東地方放映の寺社祈願のCM等
水子供養 初詣で 厄除け 家内安全 交
通安全 神社での結婚式(石川県羽咋市・
気多大社) 地域の祭り(「皇国再建」の
文字)ほか地鎮祭、火入式等
11)皇居前広場
1988年9月23日 東京都千代田区千代田
昭和天皇の病気回復を祈る人々
正坐する「生長の家」の青年たち
坂下門前での一般記帳
訪れた人々の声
「君が代」を歌う茨城県から来た青年
12)加納実紀代さんのインタビュー
「君死にたまふことなかれ」
-旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて-
(与謝野晶子『明星』1904年9月号に発表)
あゝおとうとよ君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみづからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこゝろのふかければ
もとよりいかで思されむ
(抜粋)
13)靖国神社とは
明治2年(1869年)5月、戊辰の役終結
明治2年(1869年)6月、東京招魂社鎮座、
第1回合祀祭、合祀祭に併せて相撲奉納
横綱小錦土俵入り、露払い逆鉾、太刀持ち朝汐(錦絵)
明治7年(1874年)1月、明治天皇が初めて
東京招魂社に行幸
明治10年(1877年)2月、西南の役勃発
明治12年(1879年)6月、靖国神社に改称、
別格官幣社に列せられる
明治15年(1882年)1月、軍人勅諭煥発
明治15年(1882年)2月、遊就館開館挙行
明治22年(1889年)2月、大日本帝国憲法
発布
明治23年(1890年)10月、教育勅語煥発
明治23年(1890年)11月、第1回帝国議会
召集
明治26年(1893年)2月、大村益次郎銅像
竣工(日本初の本格的西洋式銅像)
明治27年(1894年)8月、日清戦争勃発
社号標 上部にあった「別格官幣」の文字
の部分がGHQの命令で戦後、切断
されている
大鳥居 高さ25メートル、鋼板、前の坂の
真下から小学生の目線で撮影
大村益次郎銅像(高さ12メートル、
半身の構え、左手に双眼鏡、髷、
佩刀、草鞋)の上半身が見える
拝殿前 一礼する神官、参拝者、掲示板(
「戦死者の遺書」の文章)
遊就館 前と中にある展示物品
大鳥居前の坂 雨のなか黄色い傘をさし家
路を急ぐ制服姿の小学生
14)国家の宗教政策
清国兵をくしざしにする日本兵(ビゴー画)
凱旋兵を迎える民衆、分捕品の絵と寺にあ
った鉄砲の弾(日清戦争)
天牌(「聖躬万歳」の文字、菊)と仏壇
「天牌奉安所」の記念碑、寺の住職が建立
15)加納実紀代さんのインタビュー(2)
戦前の小学校の国語教科書
16)英霊とその変遷
靖国神社神門で参拝する傷痍軍人、脱帽
菊
国民歌謡・『靖国の宮に』
立山中尉(作詩者の部下・戦死)の母堂
に打電す
【靖国の宮にみ霊は鎮まるもをりをりか
へれ母の夢路に】
作詩 大江一二三(陸軍中佐)
作曲 信時 潔(『海ゆかば』作曲者)
歌 四家 文子
ラジオ(日本放送協会へ主婦の友社と内
閣情報局が橋渡し)で歌声が流れる
『九段の母』(売上百万枚)
作詩 石松 秋二
作曲 佐藤 富房
歌 塩 まさる
一 上野駅から九段まで
勝手知らないじれったさ
杖を頼りに一日がかり
せがれ来たぞや逢いに来た
二 空をつくよな大鳥居
こんな立派な御社に
神とまつられ勿体なさよ
母は泣けます嬉しさに
三 両手掌せてひざまづき
拝むはずみのお念仏
ハッと気付いてうろたえました
せがれ許せよ田舎者
四 鳶が鷹の子うんだよで
いまじゃ果報が身にあまる
金鵄勲章がみせたいばかり
逢いに来たぞや九段坂
社頭対面(『靖国の絵巻』陸軍省・海軍省
編纂-表紙題字・東條英機-から)
同絵巻には画家の宮本三郎、藤田嗣治ほ
かの作品が多数掲載されている
17)辰巳国雄さんのインタビュー
石川県小松市立波佐谷小学校にて
小松市安宅町生まれ、小学校教諭
当講座記事NO.12の執筆者
父親に赤紙召集令状、フィリピンで戦死
銃後 東京音楽学校女生徒たちの銃訓練
実践高女の女生徒たちの薙刀訓練
東京貯金局女性職員の銃剣術訓練
慰問袋をつくる国防婦人会の人々
教員、保母養成所を終了し靖国参拝
をする戦争未亡人
「無言の凱旋」(『主婦の友』1938
年9月号口絵)
軍事訓練を受ける永平寺の修行僧
18)箕面忠魂碑訴訟
各地の忠魂碑(すべての碑が将官の筆蹟)
箕面市立西小学校校門前の忠魂碑前で
古川佳子さんのインタビュー
兄が戦死
19)靖国訴訟
福岡地裁前
郡島恒昭さん(九州靖国訴訟原告団長)
ほか
大阪地裁前
和田洋一さん(同志社大学名誉教授・
内村鑑三の義甥)ほか
神戸地裁姫路支部前
藤元正樹さん(当ビデオ監修者)ほか
インタビュー
尺一 顕正さん
桑原 重夫さん
世古 孜さん(元海軍特攻兵、フィリ
ピンで不時着、負傷)
金城 実さん(彫刻家、志願兵の父が
戦死)
脇坂 信子さん
靖国神社境内で『英霊にこたえる会』の
アンケート調査 襷
九段坂に集う右翼の人たち 車、旗、服、
腕章、靴、「日の丸」
20)自衛官合祀拒否訴訟
以下山口市内
陸上自衛隊山口駐屯部隊 訓練中
山口県護国神社(同駐屯部隊の真向かい)
同神社境内にある戦争記念碑(「戦争裁判
殉国烈士」の文字)
日本キリスト教団山口信愛教会で
インタビュー
中谷 康子さん
矢吹 一夫さん
「最高裁敗訴」の新聞記事見出し
21)神坂玲子さんのインタビュー
箕面忠魂碑前で
22)洪仁成さんのインタビュー
高槻市成合北の町の全景
高槻むくげの会設立メンバー
近くの山にある兵器工場(タチソ)跡
「官幣大社」朝鮮神宮 釜山の龍頭神社
サイパン神社
23)ルベン・アビトさんのインタビュー
上智大学にて
上智大学助教授
フィリピン・カトリック神父
虐殺されたフィリピンの人々
処刑する日本兵(撮影 毎日新聞従軍記者)
著書に『解放の神学が問いかけるもの-
アジアの現実と日本の課題』(山田経三
氏との共著、女子パウロ会、1985) ほか
24)『英霊にこたえる会』一会員の
インタビュー
靖国神社境内で 幟
インパール作戦で生き残る
25)中村信さんのインタビュー
石川県根上町(現能美市)の自家田で
農家、元一兵卒、浄土真宗門徒
和田稠さん(当ビデオ監修者)に学ぶ
小松基地を飛び立つ戦闘機、同基地への
帰還
26)加納実紀代さんのインタビュー(3)
出撃前の特攻兵と上官の別れの杯
特攻兵の出撃を見送る知覧高等女学校の
生徒たち(1945.4.12・撮影 毎日新聞)
戦死者の空柩を軍から貰って来る、それ
を迎える近所の人々
特攻兵の絵・像(遊就館の展示品)
特攻兵と最期の面会をする母と弟
27)『戦友』を合唱する元第九師団兵士
NO.3の石川護国神社での合同招魂祭で
多くが浄土真宗門徒
式典後、来賓が帰ると立ち上がり全員で
『戦友』全歌詩14番まで懇ろに歌う
1905年、作詩・真下飛泉(明星派詩人)、
作曲・三善和気
空しく冷えて魂は
故郷へ帰ったポケットに
時計許りがコチコチと
動いてゐるもなさけなや
それより後は一本の
煙草も二人わけてのみ
ついた手紙も見せ合ふて
身の上ばなしくりかえし
(抜粋)
参考
『戦友』を歌う嘉手苅林昌
嘉手苅林昌.大城美佐子 対談(当講座記事NO.170から)
https://www.youtube.com/watch?v=WULh6-wQy8A
戦友 - Wikipedia
櫻井忠温
(『肉弾』の作者、夏目漱石の大田実
(海軍沖縄根拠地隊司令官島田叡
(沖縄県知事、東大野球部出身、牛島満
(日本陸軍最後の大将、沖縄戦非道な命令を下した司令官の孫として
28)夫が戦死した女性のインタビュー
NO.9の女性
29)エンディング
1987年8月15日の靖国神社拝殿前の
音と声
本殿で祝詞奏上のとき昇殿参拝遺族が悲涙
嗚咽、慟哭、号泣、すすり泣き
クランク・イン 1987.8.15
クランク・アップ 1989.1.7
ナレーション 石倉 和江
監修 藤元 正樹
和田 稠
取材・撮影 番匠 正一
制作全責任 金沢出版社
〈後記〉
レジュメについて
最初の撮影で、閣僚が大手新聞社・放送
局の記者の前でパフォーマンスを見せて彼
らに「公式参拝」か「非公式(私的)参拝」
と語ることで公式参拝か非公式参拝かが決
まる(政治家と新聞社・放送局が決めてい
る)という実態に驚きました。
「あれは公式参拝とは認めない」という
議論、対話、行為も必要だと思いました。
首相の靖国神社公式参拝違憲訴訟を支援し
ている何人かの方々にもこのことを伝えま
したが、「そんな意(異)見は初めて聞い
た」と言われただけでした。
私個人としては、首相・閣僚の靖国参拝
や教団・寺院・教会などの靖国的体質、信
教の自由などを問うことと同時にレジュメ
の(6)・(9)・(24)・(27)等に出
ている方々が戦死を受け容れ、納得し、心
が癒され、解放されることが本当にありえ
るのか、できるのかということを最大の課
題として撮影当初から考えていました。
靖国神社以上のものがない人にとってそ
れは可能かという問題です。昇殿参拝して
みたときにこの思いをさらに強くしました。
この答えは、私自身いまでもはっきりとは
分かりませんし、政治家、宗教者、学者、
弁護士、報道人、靖国問題に関わる方々等
からも納得できる回答をいまだ聞いたこと
も見たことも私はありません。
また、靖国神社を必要としない人も本当
に確たる信念や信仰心で対処できているの
でしょうか。戦死者のことに限らず、残さ
れた者や生き残った者の心の拠所の問題は
今日でも大きな課題だと思います。
できる限りの努力をしましたが、残念な
がらこのビデオでも私の思いは各所に充分
反映できませんでした。レジュメの行間に
少しは忍ばせたつもりです。このレジュメ
が少しでも何らかの思料、参考になりまし
たらこれ以上の喜びはありません。
1989年8月15日記
金沢出版社代表 番匠正一