274. 「光」のゆくえ・悪人正機
【2022年10月9日配信】
心なきものへの耀き
シリウスの光にまどうウクライナ
竹内 緋紗子
撮影者 東京都練馬区 中山 由さん
〈以下参考〉
『歎異抄』第三章冒頭
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
悪人正機説
仏説無量寿経「第十八願」
設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念。
若不生者不取正覚。
唯除五逆誹謗正法。
たといわれ仏を得たらんに、十方の衆生、
至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、
乃至十念せん。
もし生ぜずば、正覚を取らじ。
ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
ジョン・レノンの「音」
懐奘・道元の仏意
良寛臨終のときの貞心尼とのやりとり
孫文、戴季陶、習近平の決意
2022.7.20 TBSテレビ
ローマ教皇フランシスコの謝罪
先住民の子どもを大規模虐待
「第二次大戦下における日本基督教
団の責任についての告白」の表明は
「無責任についての告白」とすべき
である。今日に至るも無責任のまま
である。告白の責任はいまだ実行さ
れていない。
(以下に告白の全文)
わたくしどもは、1966年10月、第14
回教団総会において、教団創立25周年
を記念いたしました。今やわたくしど
もの真剣な課題は「明日の教団」であ
ります。わたくしどもは、これを主題
として、教団が日本及び世界の将来に
対して負っている光栄ある責任につい
て考え、また祈りました。
まさにこのときにおいてこそ、わたく
しどもは、教団成立とそれにつづく戦
時下に、教団の名において犯したあや
まちを、今一度改めて自覚し、主のあ
われみと隣人のゆるしを請い求めるも
のであります。
わが国の政府は、そのころ戦争遂行の
必要から、諸宗教団体に統合と戦争へ
の協力を、国策として要請いたしまし
た。
明治初年の宣教開始以来、わが国のキ
リスト者の多くは、かねがね諸教派を
解消して日本における一つの福音的教
会を樹立したく願ってはおりましたが、
当時の教会の指導者たちは、この政府
の要請を契機に教会合同にふみきり、
ここに教団が成立いたしました。
わたくしどもはこの教団の成立と存続
において、わたくしどもの弱さとあや
まちにもかかわらず働かれる歴史の主
なる神の摂理を覚え、深い感謝ととも
におそれと責任を痛感するものであり
ます。
「世の光」「地の塩」である教会は、あ
の戦争に同調すべきではありませんで
した。まさに国を愛する故にこそ、キ
リスト者の良心的判断によって、祖国
の歩みに対し正しい判断をなすべきで
ありました。
しかるにわたくしどもは、教団の名に
おいて、あの戦争を是認し、支持し、
その勝利のために祈り努めることを、
内外にむかって声明いたしました。
まことにわたくしどもの祖国が罪を犯
したとき、わたくしどもの教会もまた
その罪におちいりました。わたくしど
もは「見張り」の使命をないがしろに
いたしました。心の深い痛みをもって、
この罪を懺悔し、主にゆるしを願うと
ともに、世界の、ことにアジアの諸国、
そこにある教会と兄弟姉妹、またわが
国の同胞にこころからのゆるしを請う
次第であります。
終戦から20年余を経過し、わたくしど
もの愛する祖国は、今日多くの問題を
はらむ世界の中にあって、ふたたび憂
慮すべき方向にむかっていることを恐
れます。この時点においてわたくしど
もは、教団がふたたびそのあやまちを
くり返すことなく、日本と世界に負っ
ている使命を正しく果たすことができ
るように、主の助けと導きを祈り求め
つつ、明日にむかっての決意を表明す
るものであります。
1967年3月26日 復活主日
日本基督教団総会議長 鈴木正久
1947年5月5日、東京・築地本願寺で
開かれた全日本宗教平和会議における
「懺悔の表明」も言葉だけで、今日に
至るも「懺悔」の薄明かりすら見られ
ない。
(以下に表明の全文)
全日本宗教平和会議の開催に際し、わ
れら宗教人はここに衷心から痛恨と懺
悔の意を表明する。
いずれの宗教も平和を本領とせざる
ものなきに拘らず、われらは昭和六年
九月満州事変以来の軍国主義的風潮を
阻止することができず、悲惨なる今次
戦争の渦中に巻きこまれたことは、神
佛に対し、祖国に対し、かつは世界の
全人類に対し、慚愧に堪えないところ
である。今にして静かに思えば、われ
われはかかる凄惨なる戦争の勃発する
以前に、身命を賭しても、平和護持の
運動を起し、宗教の本領発揮に努むべ
きであった。この点、われわれは深く
われらの無為にして殉教精神に欠けた
るを恥ずるものである。今こそわれら
は蹶然起ちてわれら宗教人の本務の完
遂に邁進しなければならない。
新憲法は世界に向つて戦争放棄を誓
約したが、この人類史上類いなき崇高
なる理想の実現は、人間精神の改造に
よる宗教的基礎に立ちてのみ可能なの
である。われらは、ただに既往の過失
を天下に陳謝し、頭を垂れて彼我戦争
犠牲者に詫ぶるのみならず、茲に全日
本宗教平和会議の開催を契機として、
力強く平和国家の建設に挺身せんこと
を宣誓する。
〈追記〉
小社推薦動画
2022.10.17 ベルリン在住めいこさん
小社推薦論文
当講座記事NO.208、226から
松永知子さん(金沢大学4年)
卒業論文
カントの幸福論
当講座記事NO.251から
田中ひかるさん博士論文
アナーキズム思想に見られる革命観とその背景
小社推薦法話
浄土真宗布教使 阿部信幾さん
神のはたらきのメカニズムを語っている。
カントの物自体の内実を語っているようにも
思える。
七高僧
龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空
一非高非僧
因幡の権左 「ようこそ ようこそ さてもさても」
真宗各派が年に一度揃って「親鸞会」も誘って
安居に集ってみたらいかがだろうか。
また、全僧侶が当講座記事 NO.170 で紹介した
東京大衆歌謡楽団のような形で辻法話、辻問答、
辻対話もされてみてはいかがだろうか。
『歎異抄』と『御文章』の違い、阿部さんの経歴と
「親鸞会」についても語っている。
法然・親鸞の教え、蓮如のがんばり、助け合いの心
兵戈無用
〈後記〉
親鸞が比叡山から降りたように親鸞の教えを
聞き学ぶ真宗者は本願寺を去る時が来ている。
阿部信幾さんの法話は、私がこれまで聴いた
真宗僧侶・学者の中で最高内容の法話である。
親鸞を真に理解するただ一人の人物といって
いい。これだけの見識を持たれた方が、喫緊
の課題として、新型コロナの虚構を見破れな
いのか不思議である。あるいは分かっていて
沈黙しているのかもしれない。しかしながら、
コロナワクチンで斃れていくであろう浄土真
宗門徒の方々に対して、命と暮らしを救う責
務があるはずである。浄土真宗本願寺派僧侶
としてではなく、浄土真宗信心者として門徒
と対峙していただきたく切に望むものである。
(当講座編集人)
青蓮華の上に立つ阿弥陀仏
四十八願の光(1500年製作)
金沢市・真宗大谷派専長寺所蔵
当講座記事NO.70から