274. 「光」のゆくえ・悪人正機

 【2022年10月9日配信】



 心なきものへの耀き                   




 シリウスの光にまどうウクライナ



             竹内 緋紗子    




 2022.10.29 午後7時撮影  輪島市の千枚田  
 この光も惑っている   

 
2022.11. 2 午後5時半撮影  内灘海岸の落陽
 この光は本物

 白山 弥陀ヶ原 黒ボコ岩
 2022.11.4正午撮影

2022.10.28正午撮影 
立山をのぞむ
      

 撮影者 東京都練馬区 中山  由さん   









〈以下参考〉


 『歎異抄』第三章冒頭

 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。 

   

 

悪人正機説

   この説の「悪人」の範疇には、いわゆる国際金融資本家、
    戦争屋、グローバリスト、新自由主義者、世界連邦政府
  運動者、コロナワクチン・SDGs 推進者は含まれるのだ
    ろうか。
  すなわち、「善人」の皮をかぶりながらあらんかぎりの
    悪知恵を駆使し現実世界を金と虚偽と暴力とで支配して
  喜んでいる彼らが真心から回心し、歴史的謝罪を行ない、
  非戦を決意し、かつ、全人類の生命の躍動と自由、人権、
  文化、健康、幸福に寄与する存在に生まれ変わることが、
    はたして実際ありうるのかという課題である。
    また、バチカンをはじめとするおよその宗教教団が彼ら
  に加担し一体になっている現状---衆生の苦悩の根本原因
  である彼らの存在や行為を決して問うことはしない。---
  をみるとき、イエスやゴータマは、我が名を騙る「悪人」
  となった彼らとれら教団の全宗教者のひとりひとりに
  対して、膝つきあわせて冒頭の言葉を投げかけることが
  できるのだろうか。
  あるいは、イエス、ゴータマ自らが、ヤハウェや世自在
  王仏の前で頭を垂れて懺悔し、自身もただの「善人」に
  すぎなかったと、我が身をふるわせて歎き告白するだけ
  なのだろうか。ヤハウェ、世自在王仏の責任も問いたい。
                   (当講座編集人)
  

 


  仏説無量寿経「第十八願」

     設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念。

   若不生者不取正覚。

   唯除五逆誹謗正法。


   たといわれ仏を得たらんに、十方の衆生、

   至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、

     乃至十念せん。

   もし生ぜずば、正覚を取らじ。

   ただ五逆と誹謗正法とをば除く。   

     

       現実世界をみると、正覚は、まだ取れないはずである。
       そうであれば法蔵菩薩は阿弥陀仏にはいまだなれない。
       ということは、法蔵菩薩はまだ修行中であり、既存の
   阿弥陀仏像はすべて虚像ということになる。
       しかしたとい阿弥陀仏がいなくても、法蔵菩薩の師の
   世自在王仏や弥勒仏など諸仏が常に控えている。しか
   しながら、修行の身であることのほうが仏になること
   以上に重要ではないだろうか。
        往生も浄土も、死後の世界のことではないはずである。
        一切の衆生が悟り救われるのが仏法、宗教であるなら、
        五逆、誹謗正法の「悪人」こそ必ず往生をとげられな
        ければならない存在である。親鸞は、そう述べている。
                             (同)
                                                 

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      ジョン・レノンの「音」

 

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   2022.7.20 TBSテレビ

  ローマ教皇フランシスコの謝罪

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「第二次大戦下における日本基督教

団の責任についての告白」の表明は

「無責任についての告白」とすべき

である。今日に至るも無責任のまま

である。告白の責任はいまだ実行さ

れていない。

(以下に告白の全文)


わたくしどもは、1966年10月、第14

回教団総会において、教団創立25周年

を記念いたしました。今やわたくしど

もの真剣な課題は「明日の教団」であ

ります。わたくしどもは、これを主題

として、教団が日本及び世界の将来に

対して負っている光栄ある責任につい

て考え、また祈りました。

まさにこのときにおいてこそ、わたく

しどもは、教団成立とそれにつづく戦

時下に、教団の名において犯したあや

まちを、今一度改めて自覚し、主のあ

われみと隣人のゆるしを請い求めるも

のであります。

わが国の政府は、そのころ戦争遂行の

必要から、諸宗教団体に統合と戦争へ

の協力を、国策として要請いたしまし

た。

明治初年の宣教開始以来、わが国のキ

リスト者の多くは、かねがね諸教派を

解消して日本における一つの福音的教

会を樹立したく願ってはおりましたが、

当時の教会の指導者たちは、この政府

の要請を契機に教会合同にふみきり、

ここに教団が成立いたしました。

わたくしどもはこの教団の成立と存続

において、わたくしどもの弱さとあや

まちにもかかわらず働かれる歴史の主

なる神の摂理を覚え、深い感謝ととも

におそれと責任を痛感するものであり

ます。

「世の光」「地の塩」である教会は、あ

の戦争に同調すべきではありませんで

した。まさに国を愛する故にこそ、キ

リスト者の良心的判断によって、祖国

の歩みに対し正しい判断をなすべきで

ありました。

しかるにわたくしどもは、教団の名に

おいて、あの戦争を是認し、支持し、

その勝利のために祈り努めることを、

内外にむかって声明いたしました。

まことにわたくしどもの祖国が罪を犯

したとき、わたくしどもの教会もまた

その罪におちいりました。わたくしど

もは「見張り」の使命をないがしろに

いたしました。心の深い痛みをもって、

この罪を懺悔し、主にゆるしを願うと

ともに、世界の、ことにアジアの諸国、

そこにある教会と兄弟姉妹、またわが

国の同胞にこころからのゆるしを請う

次第であります。

終戦から20年余を経過し、わたくしど

もの愛する祖国は、今日多くの問題を

はらむ世界の中にあって、ふたたび憂

慮すべき方向にむかっていることを恐

れます。この時点においてわたくしど

もは、教団がふたたびそのあやまちを

くり返すことなく、日本と世界に負っ

ている使命を正しく果たすことができ

るように、主の助けと導きを祈り求め

つつ、明日にむかっての決意を表明す

るものであります。

 1967年3月26日 復活主日

 日本基督教団総会議長  鈴木正久




1947年5月5日、東京・築地本願寺で

開かれた全日本宗教平和会議における

「懺悔の表明」も言葉だけで、今日に

るも「懺悔」の薄明かりすら見られ

(以下に表明の全文)


全日本宗教平和会議の開催に際し、わ


れら宗教人はここに衷心から痛恨と懺


悔の意を表明する。


 いずれの宗教も平和を本領とせざる


ものなきに拘らず、われらは昭和六年


九月満州事変以来の軍国主義的風潮を


阻止することができず、悲惨なる今次


戦争の渦中に巻きこまれたことは、神


佛に対し、祖国に対し、かつは世界の


全人類に対し、慚愧に堪えないところ


である。今にして静かに思えば、われ


われはかかる凄惨なる戦争の勃発する


以前に、身命を賭しても、平和護持の


運動を起し、宗教の本領発揮に努むべ


きであった。この点、われわれは深く


われらの無為にして殉教精神に欠けた


るを恥ずるものである。今こそわれら


は蹶然起ちてわれら宗教人の本務の完


遂に邁進しなければならない。


 新憲法は世界に向つて戦争放棄を誓

約したが、この人類史上類いなき崇高

なる理想の実現は、人間精神の改造に

よる宗教的基礎に立ちてのみ可能なの

である。われらは、ただに既往の過失

を天下に陳謝し、頭を垂れて彼我戦争

犠牲者に詫ぶるのみならず、茲に全日

本宗教平和会議の開催を契機として、

力強く平和国家の建設に挺身せんこと

を宣誓する。

 

 全日本宗教平和会議は、日本宗教連
 盟(前身は大日本戦時宗教報告会)、
 仏教連合会、日本キリスト教連合会、
 神社本庁、宗教文化協会が共催した。




〈追記〉

 小社推薦動画

 2022.10.17 ベルリン在住めいこさん

 最近元気のない人へ

    改憲したらこうなるよ

    改憲・九条・国防について



 小社推薦論文

 当講座記事NO.208、226から

 松永知子さん(金沢大学4年)

 卒業論文

 

カントの幸福論

 



   当講座記事NO.251から

    田中ひかるさん博士論文   

 

アナーキズム思想に見られる革命観とその背景


  田中ひかる著
  『ドイツ・アナーキズムの成立
   -「フライハイト」派とその思想』
  (御茶の水書房、2002年)

 



 小社推薦法話 

 浄土真宗布教使 阿部信幾さん

  神のはたらきのメカニズムを語っている。

     カントの物自体の内実を語っているようにも

     思える。

     七高僧 

    龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空

     一非高非僧

    因幡の権左 「ようこそ ようこそ さてもさても」 

    浪曲親鸞聖人京日記  京山幸枝若

    

  安居、三願転入、二種深信、仏教は他力、還相回向

      真宗各派が年に一度揃って「親鸞会」も誘って

      安居に集ってみたらいかがだろうか。

    また、全僧侶が当講座記事 NO.170 で紹介した

        東京大衆歌謡楽団のような形で辻法話、辻問答、

    辻対話もされてみてはいかがだろうか。

   

     念仏者の生き方

   第十八願について

   阿部さんの経歴と「親鸞会」についても語っている

  『歎異抄』と『御文章』の違い、阿部さんの経歴と

   「親鸞会」についても語っている。


  法然・親鸞の教え、蓮如のがんばり、助け合いの心

  生きるということ.世界を救う日本という国

  兵戈無用

  死の解決、死に方・生き方を問わない


     仏教の真髄を語る阿部信幾さん




〈後記〉

   親鸞が比叡山から降りたように親鸞の教えを

 聞き学ぶ真宗者は本願寺を去る時が来ている。

 阿部信幾さんの法話は、私がこれまで聴いた

 真宗僧侶・学者の中で最高内容の法話である。

 親鸞を真に理解するただ一人の人物といって

 いい。これだけの見識を持たれた方が、喫緊

 の課題として、新型コロナの虚構を見破れな

 いのか不思議である。あるいは分かっていて

 沈黙しているのかもしれない。しかしながら、

 コロナワクチンで斃れていくであろう浄土真

 宗門徒の方々に対して、命と暮らしを救う責

 があるはずである。浄土真宗本願寺派僧侶

 としてではなく、浄土真宗信心者として門徒

 と対峙していただきたく切に望むものである。

               (当講座編集人)

 


  青蓮華の上に立つ阿弥陀仏

  四十八願の光(1500年製作)

  金沢市・真宗大谷派専長寺所蔵

  当講座記事NO.70から

  


〈小社推薦図書〉

   当講座記事NO.249から

  

親鸞『教行信証』(1224年)

   

  阿部信幾さん

    

 カント『実践理性批判』(1788年)





〈追記〉

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【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか     小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ             朱買臣 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、...

261. 知られざる歴史「海に消えた布引丸」

【2022年7月19日配信】              日本の重心富山県沖、大陸から見た日本       みんな仲良く        (富山県作成)                      久慈あさみ『ブンガワン・ソロ』 .           アジア連帯への熱情              金沢市 山口 隆重                兼六園近くの小立野台に建つ紫錦台中学 校、ここはかつて旧制金沢第二中学校があ ったところだ。  今から40年ほど前、大正二桁生まれの この旧制二中卒業生を主なメンバーとする 十数人が、「二十一世紀を語る夢の会」な る親睦会をつくった。  親睦会といっても酒好きの彼らは、この 夢の会発足前からも、毎夕仕事帰りに各自 それぞればらばらに市内の片町や香林坊の 居酒屋、小料理屋で顔を合わせ、夢の会を 開いていたのだが、そこでは国政や県政、 社会、教育、海外情勢などあらゆる時事問 題、身近な話題をだれに遠慮することなく 忌憚なく熱く語り合っていた。  彼らの多くは定年間近のサラリーマンで、 県庁、市役所、郵便局、学校、新聞社、専 売公社、電電公社、国鉄、労働組合などに 勤めていた。若き日、戦場を体験した世代 である。彼らは多くの友人や親、兄弟たち を失っていた。戦争否定は言わずもがなの 彼らの共通認識であった。また、高学歴で ありながら「長」の付く要職を拒んだ人た ちでもあった。東大、早稲田、慶応を出て いようと彼らは平社員、平教員を貫いた。 満鉄退職後、県庁に勤めていた人もいた。  居酒屋で彼らとよく顔をあわせていた私 は、なぜか彼らに可愛がられて、いつの間 にか親子ほども歳の離れた特別会員となっ てしまった。私は旅行代理業をしていたこ ともあって年に数回、「夢の会懇親旅行」 を企画、担当し、彼らを日本各地の名所へ 案内した。  このメンバーの中に、林政文の孫の林さ んという方がいた。林さんの父は林政武で、 第4代の北國新聞社長だった。祖父が第2 代社長の林政文である。  なお、初代は政文の実兄の赤羽万次郎で あり、3代目は政文の義父・林政通である。  林政武は昭和18年(1943年) に亡くなり、 同社の経営は林家から離れた。赤羽家、林 家は長野県松本市出身だった。   明治26年(1893年) 8月5日、...

365. 瓊音(ぬなと)のひびき

 【2024年10月5日配信】   縄文の音 第二楽章 . 白山に秘められた日本建国の真実      追悼    長野県 中野市  文明アナリスト   新井  信介         共振する縄文の心・翡翠の 波形       -泰澄の白山開山の意味-                                                                               白山は縄文時代からの山として人々の信 仰を集めてきた。六千年前、日本列島では、   お互いの命の響きを正確に伝え合う共振装 置としてヒスイを発見し、大切に身に着け 出した。その信仰の中心に最も響きの分か る女神を選び、ヌナカワ姫と代々呼ばれ続 けた。太古の時代から白山の存在は、北の 日本海と南の太平洋へと流れ行く命の水を 分け恵む特別な水分(みくまり)の山だっ た。そんな日本列島に憧れ入植した人たち から、命を産み育てる力はイザナミと呼ば れ、人々はこの力を、水そのものと同一に 見ていたのだ。                           一方で、国や統治体のことをイザナギと   呼んだ。これらは陰と陽のように表裏を成   し、この二つの力がこれまでの日本国を導   いてきた。しかし令和が始まった今、日本   国というこの統治体は人々の幸福よりも経   済の発展を重視し、マネーの追求に明け暮   れ、その結果多くの問題と疑問と苦痛を人   々にもたらしてきた。そして今、かつて経   験したことがないような、先行きの見えな   い不安が日本人と社会を覆っている。                               さらに今、縄文から続く六千年来の人々   の覚醒が静かに始まった。                                    白山には三つの入口がある。一つは加賀   から入る道で、ここは古代に崇神(...

381. 混迷する現代と統一協会(続き)

 【2025年2月26日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本...

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったで...

275. スポーツを文化に

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」         慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉                              史上最高演技    中国・張博恒(左)と台湾・唐嘉鴻   唐 「こんなのもらっちゃったよオレ」   張 「よかったらオイラのもあげるよ」   唐 「そっちのは錆びてるみたいだね」   張 「ほんとだ。だったら交換してよ」   唐 「ならオレのも持ってけよ」            石原裕次郎『錆びたナイフ』   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑いをこらえるが、笑って何が悪いんだ」    台湾、中国、日本、コロンビア  体操鉄棒4選手      葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎