272. 学級通信「あいこでしょ」の願い

【2022年10月4日配信】




「命」の新文化創造の世へ 



         小松市立稚松小学校  

           教諭 辰巳 国雄       



題字 井上碧山さん (北九州市) 

絵  本多千鶴子さん(金沢錦丘高校1年)




同266 酒井由記子、混迷する現代と統一協会

同294 小原基子、おんな川にかかる橋

同303 今野ゆうひ、教え子を再び何処へ送るのか

同318 髙森文子、世界に範たる日本国になるには




 学級文集とか、学級通信とか、学級機関

といわれるものを発行することを、教師

の仕事の軸の一つにして実践を積み重ねて

いる人がずい分多いと思う。


 私は、学級通信(学級文集・学級機関紙

含めて)を発行してから、もう三十年近

くになる。あるときは季刊であったり、月

間であったり、週刊であったり、日刊であ

ったり、その形はさまざまである。その一

年、一年で形も異なり、内容も変わってき

ている。大ざっぱな言い方をすれば次のよ

うになるだろう。


 子どもたちの生活のなかみや、思いや考

を、本音のところで知りたい。それは、

話すということででもできるかも知れない

が、数十人の学級の子どもたち全員の本音

を知ることはむずかしい。話すことの不得

手な子でも書くことによって本音を語って

くれるだろう。また書くことによって、さ

らに、自分の生活や、思いや考えを、見つ

め直すことになり、印刷されたものを通し

て、学級のみんなの共通の認識を得られる

だろう。共通の認識を持った学級集団(子

どもたち)は、それをステップに、学級集

団の文化を創り上げていく力にするだろう。


 これが、私の教育の大きな柱だった。こ

して始めた学級通信発行の仕事は、子ど

もたちの全面発達を願う私の教育実践のそ

のときそのときの証しともなるものになっ

た。学級通信が発行できなくなるというこ

とは、私と子どもたちとの歩みが止まるこ

とである。ただ子どもたちの作文や詩を書

いていくだけではなく、教師としての自分

と子どもたちとのかかわりや、私の思想を

も反映させた学級の歩みを学級通信の中に

定着させていくことだった。それは、一時

間一時間の授業を最高に充実させるという

きびしい仕事に支えられてのみ続けられる

仕事ということであった。日刊の学級通信

は、こんな一つの証しであると思った。


 今年の学級機関紙「あいこでしょ」は、

定期刊行だが、平均すれば、週二~三回

(一号六ページ平均)になる。


 子どもたちの書く作文や詩、学級集団の

みや問題点を出しながら、親・子ども・

教師が共に考え合い、学び合い、子どもた

ち一人一人を個性的に、うんと大切に、本

音を出し合って育てていきたいという願い

の「あいこでしょ」にしたい。




学級機関紙「あいこでしょ」から

              稚松小学校三年一組


もをたべた話

                山本 雅也

 ぼくがテレビを見ていたら、ばあちゃん

わらい声がかいだんからしてきた。ばあ

ちゃんは二かいにきてもまだわらっていた。

そして、ぼくが、ばあちゃんの手の方を見

た。そしたら、ばあちゃんは、いもをもっ

ていた。

 そして、

それどうしてん。」

とばあちゃんにきいた。そしたらばあちゃ

は、

「まあちゃんのうんこみたいや。」

といったので、ぼくは、

「そういえばそうやな。」

といってわらった。いもをたべたら自分の

んこをたべたきもちになった。



たのしみにしているおばあさん

                後藤 祐美

 いつも、ばあちゃんは「あいこでしょ」

よんでいる。

「たつみ先生は、こどもがすきで、ほんと

ねっしんな先生やわ。それと、たつみ先

生は、いつもこれをもたせる。ちょっとよ

んで。」

と「あいこでしょ」をだした。おかあさん

よんで、

「ほんとうにいいことかいてあるわ。」

といいました。

 こないだ「あいこでしょ」がなかった日、

ばあちゃんは、ざんねんそうなかおをして、

「ざんねんや、たのしみにしとったのに。」

といいました。

「あいこでしょ」にわたしのがでたと、ば

ちゃんにいったら、うれしそうなかおを

して、

「よかったね。」といってくれた。とても

れしかった。

 わたしは、三年生になったから、もっと

ょうずになりたいと思った。とうぶん、

「あいこでしょ」は、みんなの人気もので

しょう。



うちのおかあさん

                北村 美抄

 うちのおかあさんは、やさしいです。も

も95てんとかをとっても、

「あら、おしかったね。」

でおわりです。

 わたしがねていると、ようふくをうえに

せてくれます。あそぶ人がいなかったら

あそんでくれます。ねこにひっかかれたら、

おくすりをぬってくれます。

 いつもわたしがかえるまでまってくれて、

いっしょにスーパーへいきます。

「このおかしかって。」

といったら、かってくれる日もあるし、か

てくれない日もあります。

 わたしは、うちのおかあさんがすきです。

かぞくぜんいんすきです。みんなながいき

てほしい。



おかあさんが来た

                山崎 勝義

 きのうは、さんかん日でした。おかあさ

は、しごとでいそがしいので、さいごの

ほうで来ましたが、すぐかえりました。ぼ

くは、ざんねんでした。でも、しごとがい

そがしいのだから、しょうがない。でも、

来てくれただけでいい。ぼくはそう思った。

 ぼくは、うちにかえったら、みせの中は

きゃくさんで、まんいんだった。ぼくは、

つもなら、「ただいまー。」と大ごえで

いうのに、きょうは、まんいんなので、ち

いさいこえで「ただいま。」といった。



やさしいけどおこるおかあさん

                柿田 真弓

 わたしのおかあさんは、やさしいけどお

ります。でも、かんじテストで100点

をとったら、なにかをくれます。うれしい

です。

 おかあさんはねむたくなっても、子ども、

あかちゃんのせわをしています。いそがし

とおもう。おかあさんは、やすむひまも

なく、ずーっとおしごとです。

 わたしもてつだってあげようと思うけど、

おかあさんがろうじんになってもながいき

てほしい。



いそがしいおかあさん

                前田 美和

 わたしのおかあさんは、つとめをしてい

て、五時~六時にかえってきます。

 それから、かえって、ようふくをきがえ

から、しょくじのしたくをしたり、おま

いりをしたり、いろいろします。

 その中で、一ばんいそがしいのは、おち

わんをふいたり、あげものをしたりする

ときです。

 わたしはそのとき、

「いそがしそうだな。」

と思って手つだいをするときもあります。

あちゃんも、おかあさんがかえってく

るまでしたくをまい日しています。

 朝は、おかあさんがつとめに行くまで、

や、お米をはかって入れものに入れま

す。

 わたしは、これから、おかあさんとかを

り心ぱいをさせないで、あんしんして、

はんやおかずを作ってもらいたいと思い

ました。



おかあさんの仕事

                安井 秀樹

 あかあさんは、朝五時におき、けしょう

て、朝のごはんのよういをして、おと

うさんのおべんとうを作ります。おとうさ

んがでかけてから、せんたくをして、げん

かんや、お店のかいだんをそうじしていま

す。

 おかあさんは美よういんをしています。

八時半から、夜六時半までの仕事です。

きゃくさんのかみをきれいにする仕事で

す。

 今日、朝からパーマをかける人がいまし

た。かみをあらって、それからカットをし

て、ロトでまき、ドライヤーでかわかし

て、その人がきにいるようにしてあげます。

 おわったら、ゴムとロットをあらって、

をかっこの中にかわかします。

 たくさんたまったら、ぼくもひろげてあ

す。一日に、カットやパーマやヘアダ

イといろいろな仕事をしています。たまに

男の人もパーマをかけにきています。男の

人は、小さいロットでまくので、女の人よ

り一時間おそくなります。みんなだいじな

おきゃくさんなので、ていねいにしてあげ

て、よろこばれるようにがんばっています。

お店のひまをみつけて、夜のごはんのよう

いをしています。

一日中いそがしくしごとをして、夜、ごは

をたべてからマーケットに行き、あすの

おかずをかって来ます。

 ぼくは、いっしょうけんめいはたらいて

おかあさんを見て、おてつだいをたま

にしてあげようと思っていますが、お天気

がいいので、外にばかり遊びに行くのでで

きません。ぼくは、がんばりやのおかあさ

んだと思います。ぼくも勉強をがんばらな

くてはと思っています。



ぼくにできそうもない仕事だった

                   村田 篤哉

 お母さんの仕事は、九谷焼の絵つけです。

くの家からちょっとはなれた近藤さんと

いう家ではたらいています。

 ぼくらが学校にいってからそうじをした

て、九時ごろからいきます。おひるに

は帰ってきます。その時おやつを用意しと

いてくれます。そして、またひるから五時

ごろまで仕事をしています。

 ぼくが学校から帰ると、お母さんの仕事

いく時があります。見てるとかんたん

そうに見えますが、とてもたいへんだそう

です。ざぶとん二まいにすわり、小さいテ

ーブルの上に九谷のしなものをおいて、色

をぬったり、ふでで絵をかいたり、しぼり

だしたりしています。

 ぬる色をつくる時は、ガラス板に色のこ

おいて、それにニカワというものをよ

くまぜます。よくまぜたら、ぬりやすくな

るまでお水をいれて、よくガラス板の上で

すります。するときの音は、「ギー」とい

います。ぼくは、その音をきくと、さぶく

なります。

 しぼりだしの色を作る時は、色のこなに

りをまぜて、これも、とろーっとなる

まで、水をたしながらかきまわします。

 絵を書くまでに、こういうじゅんびをし

てはなりません。こうして、しあげた

しなものは、よこのかまで、650度~7

50度の温度で焼いて、せい品になるそう

です。

 お母さんは、一日じゅうすわり仕事なの

で、かなりこん気がいるし、運動ぶそくに

なるとっていました。

 とてもぼくにはできそうもないたいへん

事だと思いました。



大工さん

              磯野 好美

 お父さんは大工さんです。手はゴツゴツ

たいです。ちまめもあります。きずあ

ともあります。私は、(すごいなあ)と思

います。

 家をたてるとき、いろいろなどうぐをつ

ます。とくにきかいをたくさんつかい

ます。をいっぱいはこぶので、力もちで

す。

 あなのあいているところは、さしこむだ

と思ったら、ちゃんとくぎでうってい

ました。

 休みの日は、いねかりをしたり、たまに

んでくれます。お父さんは大工さんだ

から、んまりひまがないので大変です。

 家のかわらは、かわらやさんがもってき

をお父さんがはるのかとおもったら、

かわらやさんが、かわらをはるのでした。

私は、そのはんたいだと思っていました。

 あさ七時ごろにおきて、八時ごろに仕事

きます。ひるは一時ごろに仕事に行き

ます。えってくるのは七時ごろです。ご

はんをたべてから、また仕事に行きます。

お父さんは、いつも朝おきるのが一番おそ

いです。

 これからも、けがをしないようにがんば

ください。



夏休みが休みでないおとうさん

              松本 仁美

 わたしのおとうさんは、中学校の先生で

す。夏休みがあるのですが、毎日のように

学校へ行ったり、クラスの人の家へかてい

ほうもんをして、

「がんばって勉強しているか。」

などといって、はげましているそうです。

 また、わたしのまちの子ども会のせわが

もしています。だからおとうさんは、

「夏休みがあっても休みでない気がする。」

といっています。そんな毎日だけどその間

に海や山や川へ遊びにつれていってくれた

ので、とてもうれしかったです。



お父さんのはたらく工場へ行った

              田部 知里

 お父さんはセキスイじゅしにつとめてい

ます。夜おそく行ったり、朝はやく行った

りします。お父さんはホースをつくってい

ます。人はあまりいません。ほとんどきか

いがやります。ホースをつくるげんりょう

は、小麦このようなもので、二かいにおい

てあります。そのぱんこのようなものと水

のようなものを二かいから入れます。ミキ

サーでまぜあわせると、色のついたお米の

ようなものができます。それをあついとこ

ろでホースにします。

 できたばかりのホースは、とてもあつい

水でひやします。それがながれていき

ます。

 黒いホースをまくものが、いっぱいつん

であります。それをきかいにかけて、なが

れてきたホースをきかいでまきます。

 お父さんのふくそうは、はい色のふくの

よこに入れるところがあって、そこにはさ

みを入れてあります。

 黒いホースをまくものにホースをまきお

わったら「ピー」となります。お父さんは

なったら、はさみでホースを切ります。ま

いてホースを切るのを、きかいがやるのも

ありました。

 できたものには、とうめいのテープがは

ってあって、たくさんつんでありました。

いろんな色がありました。つんであるんで

はなくて、長ほそいはこに入れてあって、

リフトではこんであるのもありました。

 はこに黒いものが入れてあって、上に

かいがあった。そのきかいは、手のようで

黒いものを持って、そのはこにおとしてい

ました。わたしは、それで何をするのかわ

かりませんでした。



ぼくの家は植木屋

              竹林 忠邦

 ぼくの家は植木屋です。おじいちゃんと

うさんと、おしごとさんが四人ほどで

す。

 天気の良い日は、外で木にのぼり、さん

ぱつをしたり、にわをつくったり、しょう

どくをしたりします。

 雨の日は、できないので休みです。その

日が、ぼくの家の日よう日です。夏などは、

あつくて、まっ黒になります。

 ひるになると帰ってきて、あせびっしょ

りで、シャツとパンツをかえてから、ごは

んをたべます。ぼくは、たいへんだなあと

思います。

 冬になると、なわをたくさんつかって、

えだがおれないように、雪つりをします。

とてもきれいです。ときどき、てつだいに

いきますが、とてもむずかしいです。でも、

おもしろいです。

 竹のさきになわをつけるのがむずかしい

けど、つないだなわを木のえだにむすびま

す。ぼくは、それがとくいです。

 にわをつくるときは、おじいちゃんがか

んがえて、おとうさんとそうだんしてつく

ります。木や石をたくさんいれて、すてき

なにわをつくります。そんなおじいちゃん

とおとうさんをえらいと思います。



うちのみせはとこやです

                小村 康史

 うちのみせはとこやです。まい日、じい

ちゃんが六時三十分におきて、商売のよう

いをしています。おかあさんは、せんたく

と二かいのそうじをしてから、おみせにで

ます。おじいちゃんとおとうさんは、新聞

を見ています。

 あさからパーマをする人もいます。パー

マは、三時間ぐらい時間がかかります。と

きどき、ひまなとき、おとうさんがキャッ

チボールをしてくれます。

 おきゃくさんがくると、おきゃくさんが、

「こんにちは。」

といったら、おとうさんと、おかあさんと、

じいちゃんが、

「いらっしゃいませ。」

と大きい声でいいます。

 休みの日は、第三日曜と月曜日です。お

じいちゃんは、ゲートボールにいきます。

おとうさんは、けいばとか、つりとか、ソ

フトボールのしあいにいきます。

 ときどき大そうじをします。そのとき、

ワックスをぬったり、ゆかをふいたりしま

す。いつも大へんな三人。これからも、そ

のちょうしでがんばってください。



おねえちゃんありがとう

                 出口 美鈴

 わたしのおねえちゃんは、へんなことを

言ってきらいだ。

 でも、本当はやさしい。

 今日なんか、えんぴつを二本くれた。

ねえちゃんが、

「このえんぴつ、いらんしあげる。」

と言ったので、心の中で、ありがとうと思

った。いっぺんに二本ももらって、うんが

ついていると思った。ふつうの日ならあた

らないのに、今日だけもらえた。おねえち

ゃん、ありがとう。



おにいちゃんとかえった

                岡久  笑

 きょう、おにいちゃんとかえりました。

おにいちゃんは、おなかがいたかったから、

ほけんしつへいったそうです。かえるとき

もいたかったとおもいました。おにいちゃ

んは、いつもはやくあるくけど、きょうは

おなかがいたいから、のんびりあるきまし

た。わたしものんびりいきました。かけは

しがわをいったとき、きらいな人が二人い

ました。おにいちゃんもきらいだから、お

にいちゃんは、はやくあるきました。も

いえのちかくのときものんびりしてあるい

いました。



おみやげもらった

              鍛治 瑞希

 おかあさんのおにいちゃんのおにいちゃ

んのこどもは、中学の三年一くみです。

 そのあんちゃんは、しゅうがくりょこう

というのにいきました。

 おみやげをもらいました。おとうさんと

おかあさんは、おちゃわんでした。おとう

とは、でっかいすずでした。いもうととわ

たしは、かがみでした。

 おかあさんのおにいちゃんは、小学二年

生のなつやすみぐらいにしにました。だか

ら、おかあさんのおにいちゃんのおにいち

ゃんは、たばことさいふです。あんちゃん

のおとうとと、じいちゃんとばあちゃんは、

わかりません。

 あんちゃんは、人のことばっかりかんが

えていたから、じぶんのをかってくるのを

わすれました。

 おみやげもらってよかった。



しんせきのみつるくん

              鹿島 幸代

 わたしは、しんせきの家へ行って、犬の

ベルとあそびました。そのベルはとしより

です。だから、あまりあそんでくれません。

 しんせきのとこには、わたしとおばあち

ゃんとおとうとと行きました。しんせきの

家には、あかちゃんがいます。その子のな

まえは、みつるくんです。まだ八かげつし

かたっていません。その子ともあそびまし

た。



「トゲウオ」を知っているかい

              佐垣 大輔

 このあいだ、中田くんとザリガニとりに

いきました。中田くんが、川の中を見てい

たので、

「どうしてん。」

といいました。そうしたら中田くんが、

「トゲウオがいる。」

といったので、いってみたら、ほんとうに

トゲウオでした。

 トゲウオというのは、せなかに一本とげ

がついていて、おなかに一本とげがついて

いるので、トゲウオです。

 トゲウオの中に、「イトウ」と「トリヨ」

トミヨ」の三しゅるいいます。

 とちゅうで、ザリガニが二ひきとれまし

た。用水ろの中をのぞくと、ぼんやりした

「トゲウオ」がいました。あみを水の中に

入れました。一かいですくえました。

 家へ帰って水そうにいれました。そうし

たら元気よくおよぎました。とてもうれし

そうでした。「きっと水がきれいになった

からうれしいんだ。」と思いました。「な

るべくながいきしてほしい。」と思いまし

た。



名前がおもしろい

              伴場 洋平

 せんせいの名前は、たつみくにおってい

う名前だ。はんたいからよむと、おにくみ

つただからおもしろい。とくに、おにくが

おもしろい。たつみもおもしろい。かえて

みると、たたみになる。もっとかえてみる

と、たたりになる。くにおをかえてみると、

にくいおにになる。

  



   

小社発行・『北陸の燈』第2号より
当講座記事NO.12再掲





たつみ くにお
「現代の声」講座第3回目の提言者
テーマ:学級文集と子どもたち
当講座記事NO.182と264の映像ドキ
ュメンタリー・『まだ軍服を着せま
すか?』でも登場、発言しています。
著書に『学級集団の機関車・学級通
信』(国土社. 1978年)があります。
その他に『消えた「夏休み帳」』で、
第15回 (2004年)「週刊金曜日
ポルタージュ大賞」佳作を受賞して
います。




〈参考〉

  かほく市立高松小学校・大海小学校
  六年生の作文











    
   
 






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 【2023年7月3日配信】             手作りへのいざない       -「技」の文化-       縫い針のひとはりに込める夢             敦賀市 宮岸 かなえ            てのひらに落ちる雨滴が灯をともす                    鹿児島市 井上 治朗                        器(うつわ)  器への思い                        九谷焼絵付師  宮保 英明         用という約束の形を提供しながら、その 形の中でどれだけ新鮮な自身の感覚を保ち 得るか、どんな可能性を引き出し得るか、 自身を試す姿勢で器と向かい合いたい。  自意識による変身、習慣のタガをはずし、 本来まったく自由に扱える創作表現への自 意識を、材質としての焼きものにぶつけた い。  盛られる料理に好かれる器。使いよくて 楽しくて、ついつい使ってしまう器。見た 目に静かで、しかし強い存在感を持ち、素 直に語りかけてくる。そんなものを心がけ てつくりたい。 みやぼ ひであき 20歳から絵付けをはじめる。 1950年石川県白山市生まれ。 石川県加賀市日谷(ひのや)在住。 日谷川をはさんで両側に民家と山が並ぶ。 谷間の村・日谷の向こうには人はいない。 宮保家の裏もすでに森である。 仕事をするのにいい場所をさがし歩き、 1984年の夏、白山市から引っ越してきた。 「ときどき熊が顔を出す」と妻の文枝さん。 小社発行・『北陸の燈』第4号より 撮影・八幡スタジオ 当講座記事NO.21、249再掲 当講座記事NO.223、「職」に関する記事から     芭蕉布ムーディー綾番匠くずし 平良 敏子   鋏 川澄 巌  文駒縫(あやこまぬい) 竹内 功   匠  足立区が誇る「現代の名工」    当講座記事NO.269、「世界屈指の技と清ら」から   流し猫壺 河井 寛次郎      「祖父寛次郎を語る」鷺 珠江さん     当講座記事NO.280、「湯の人(4)」から   樹 -卒業制作- 青木 春美     当講座記事NO.22、「織を通して学んだこと」から...

328. ふるさとなまり

 【2024年1月28日配信】   おばばの言葉                       白山市 番匠 俊行                                私の両親は石川県石川郡美川町(現白山 市)に生まれ育ちました。両親のそれぞれ の両親も同町の生まれ、育ちです。除籍簿 を見ると、私の先祖は全員、明治初期から 同町の住人でした。  私は高校時代まで美川で育ち、そのあと 関東の大学を卒業し、宮城県内で就職し、 現在、郷里の美川で塾教師をしています。  私の祖母は1900年生まれで伝統産業 の美川刺繍をしていました。亡くなるまで 町から一歩も出たことがなく、町の人たち との会話を楽しみに生きていたようです。  その会話を耳にした一端をご紹介します。  美川町は手取川の河口の町で日本海に面 しています。作家の島田清次郎、詩人の邑 井武雄、政治家の奥田敬和、歌手の浅川マ キ、五輪トランポリン選手の中田大輔らの 出身地でもあります。  「美川弁」といってもいい言葉は、隣町 の能美郡根上町(現能美市)や能美郡川北 村(現能美郡川北町)、石川郡松任町(旧 松任市、現白山市)ともちょっと異なって いると思います。  私は金沢市内の高校に通ったのですが、 私の話す言葉がおかしいと、いつも友人に 笑われていました。言葉だけで伝えるのは 難しいのですが、動詞、形容詞、形容動詞 のエ音便がイ音便になったり、また、人名 や名詞の発音のアクセントや抑揚、強弱、 長短が独特みたいです。  鹿児島弁が混じっているのではないかと 言う人もいます。もしそうであれば、最初 の石川県庁が美川町に置かれたことと関係 しているのかもしれません。内田政風とい う薩摩藩士がトップとなりはるばるこの町 にやって来たと聞いています。ひょうきん な美川の人たちが薩摩から来た役人たちの 言葉をおもしろがって真似して、流行らせ、 それがそのまま一部根づいたのではないか と思ったりもしています。  内田はなぜか金沢県とすることを拒否し、 県名を石川郡から拝借して石川県にし、さ らに「美川県」にとまで県名をかえようと したと聞きます。石川県はあわや美川県に なっていた可能性もあったということです。  これはこれでおもしろい話ですが、内田 は、美川町を中心にした金沢以上の新たな ...

319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか     小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ             朱買臣 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、...

275. スポーツを文化にするために

【2022年10月10日配信】      「学生野球考」         慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉                               中国・張博恒(左)と台湾・唐嘉鴻   唐 「こんなのもらっちゃったよオレ」   張 「よかったらオイラのもあげるよ」   唐 「そっちのは錆びてるみたいだね」   張 「ほんとだ。だったら交換してよ」   唐 「ならオレのも持ってけよ」            石原裕次郎『錆びたナイフ』   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑いをこらえるが、笑って何が悪いんだ」    台湾、中国、日本、コロンビア  体操鉄棒4選手      葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを...

388. 七五調の源流・歌垣

 【2025年3月24日配信】   この土手に                                       作家 広瀬 心二郎                                 「この土手にのぼるべからず警視庁」と いう、昔はよく町のあちこちで見かけたよ うな立札みたいな文句ですが、これはだい ぶ昔に私が買って読んだ俳句の入門書に、 五七五の十七音表現の身近な一例として、 その最初の方のページに取りあげてあった ものなんです。  どなたの書かれたものだったか、どこの 出版社からだったか、すべて忘れてしまい まして、筆者の方には申しわけありません。 その入門書の意図ですが、この立札の警視 庁の警告文も五、七、五の形にはなってい るけれど、俳句でも川柳でもなんでもない。 では俳句とはどういうものか、これからよ くわかるように教えてあげます、というい わゆる「つかみ」になっているわけなんで す。  そう。俳句、川柳ばかりでなく、立札、 ポスターの標語、演歌、歌謡曲、今でいう  CMのキャッチ・コピーなどなど、あれも これも、とにかく日本人の日常に五七五の 形は溢れています。  ことに演歌には、圧倒的に多いのではな いでしょうか。  ためしに、好きな歌を口ずさんでみてく ださい。たぶん、多くは七五調。で、歌っ て、昔の恋を思い出して泣いて笑って、あ あよかった。それですむ人が世の中のほと んどかもしれませんが、天邪鬼、へそ曲が り、つむじ曲がりの私は、ついつい、なぜ、 五七五なのか、考え始めてしまいました。 昔の三球照代さんという漫才のご夫婦の、 「考えてたら眠れなくなっちゃった」とい うギャグが思い出されてなりません。  しかし、なぜ、ほんとうに、五七五、七 五調なのでしょう。生来ひつっこい私はそ の後の人生を途切れ途切れに、この謎を追 いかけてきました。何年も、何十年も。考 えてたら眠れなくなったというほどではな いのですが。ものの本を調べてみたり、少 しずつ色んな説に耳を傾けたり。  すると農耕民族である日本人がその日常 の農作業の中から獲得していった独...

396. 冴え澄みわたる母音の響き

 【2025年4月10日配信】                           近藤佳星がうたう世界最高民謡『追分』 .                      かもめの啼く音に ふと目をさまし     あれが 蝦夷地の 山かいな           氷見市松田江の長浜から富山湾.立山連峰                              渋谿をさしてわが行くこの浜に 月夜飽きてむ馬しまし停め  大伴家持(万葉集巻19・4206)     中央が劔岳  右に立山  左に毛勝三山  手前に虻ヶ島                  2025.3.21  撮影  木偶乃坊写楽斎さん      日の出前の富山湾氷見海岸と阿尾城址                 近藤佳星『江差追分』 .                                 『江差追分』 栴檀は双葉より香し                                                      山本恵美『江差追分』 .                   かもめの啼く音に ふと目をさまし  あれが蝦夷地の 山かいな 忍路高島 およびもないが  せめて歌棄 磯谷まで 二代目・近江八声がうたう 船は船頭の うたごえのせて はやる心も 波まかせ 『江差追分』模範指導、弟子が日本一に   体いっぱい、腹の底から全力で声を出す 話が難しすぎてうたえなくなる 大滝秀治の演劇論を聞くが如く    追分を運んだ北前船   当講座記事NO.330から 2024.9.23  朝日新聞   「江差追分は海の歌」 近藤佳星さん 北海道千歳市立北斗中学1年 これまでにない独自...

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。 ...

261. 知られざる歴史「海に消えた布引丸」

【2022年7月19日配信】            アジア連帯への熱情              金沢市 山口 隆重                兼六園近くの小立野台に建つ紫錦台中学 校、ここはかつて旧制金沢第二中学校があ ったところだ。  今から40年ほど前、大正二桁生まれの この旧制二中卒業生を主なメンバーとする 十数人が、「二十一世紀を語る夢の会」な る親睦会をつくった。  親睦会といっても酒好きの彼らは、この 夢の会発足前からも、毎夕仕事帰りに各自 それぞればらばらに市内の片町や香林坊の 居酒屋、小料理屋で顔を合わせ、夢の会を 開いていたのだが、そこでは国政や県政、 社会、教育、海外情勢などあらゆる時事問 題、身近な話題をだれに遠慮することなく 忌憚なく熱く語り合っていた。  彼らの多くは定年間近のサラリーマンで、 県庁、市役所、郵便局、学校、新聞社、専 売公社、電電公社、国鉄、労働組合などに 勤めていた。若き日、戦場を体験した世代 である。彼らは多くの友人や親、兄弟たち を失っていた。戦争否定は言わずもがなの 彼らの共通認識であった。また、高学歴で ありながら「長」の付く要職を拒んだ人た ちでもあった。東大、早稲田、慶応を出て いようと彼らは平社員、平教員を貫いた。 満鉄退職後、県庁に勤めていた人もいた。  居酒屋で彼らとよく顔をあわせていた私 は、なぜか彼らに可愛がられて、いつの間 にか親子ほども歳の離れた特別会員となっ てしまった。私は旅行代理業をしていたこ ともあって年に数回、「夢の会懇親旅行」 を企画、担当し、彼らを日本各地の名所へ 案内した。  このメンバーの中に、林政文の孫の林さ んという方がいた。林さんの父は林政武で、 第4代の北國新聞社長だった。祖父が第2 代社長の林政文である。  なお、初代は政文の実兄の赤羽万次郎で あり、3代目は政文の義父・林政通である。  林政武は昭和18年(1943年) に亡くなり、 同社の経営は林家から離れた。赤羽家、林 家は長野県松本市出身だった。   明治26年(1893年) 8月5日、金沢で 『北國新聞』を創刊した赤羽万次郎は、こ の創刊号で「わが北國新聞は、公平を性と し、誠実を体とし、正理を経とし、公益を 緯とす。わが北國新聞は、超然として、党 派外に卓立す」と社是を宣言し...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎