219. 哲学の時代へ(第5回)
【2022年1月7日配信 NO.219】
現代はまだ前近代なのか
長野県 農家 海野 利秋
具体的な実例は枚挙に事欠かないが、こ
こではいちいち挙げない。コロナ対応のひ
とつとってみても、挙げればきりがないか
らだ。人間の思考・行動様式について、一
私見を若干述べたい。
娘と息子の通う小中学校の校長、教頭、
教職員、さらには教育委員会の教育長、職
員、教職員組合の委員長、組合員、またさ
らに市長や市職、かつ市議をはじめとする
与野党の政治家に至るまで、判を押したよ
うに、金太郎飴のように、みな同じ答え、
対応、思考、行動パターンである。新聞や
テレビのニュース記事や解説を見ても聞い
ても同じだ。学者や医師、弁護士、法曹人、
財界人、宗教者も同じだ。
ここには、どこにも真実と自由がない。
人間としての毅然たる信念も、人間らしい
血の通った「情」もない。事実を検証しよ
うとする意欲すらない。責任感のかけらも
ない。これが「悪いこと」、邪心、悪行で
あると充分に知っているにもかかわらずだ。
権力の側に身を置きたいという本末転倒の
自分かわいさ、自己保身である。まともな
人間が見あたらない。職責の意味をはきち
がえている。
第一次世界大戦や第二次世界大戦を経験
し、反省したはずの世界中の国々の状況も
日本と変わらない。人間らしくまともに生
きたいと願う人々に、美辞麗句を並べたり、
恐怖心をあおったり、ゆがんだ価値観や歴
史観をうえつけたりして嘘をつき、抑え込
むのが上の人々の仕事に見える。庶民の味
方のフリをする人々も絶えない。
戦争であまたの無辜の人々の命を犠牲に
してもこの世の現実は変わらず、この世の
為政者やその追従者たちの意識も仕事も、
過去の繰り返しである。
一切の束縛から自由に生きる、他者と助
け合い仲良く生きるというただそれだけの
ことが、上の人々が唱える「人類の文明は
進歩してきた」という「現代」という今に
おいてもまだ実現されてはいない。こんな
中で一庶民、一百姓、一個人としてわが生
を全うするにはどうしたらいいか日々考え
つづけている私の現在である。
〈参考〉
〈追記〉
当講座記事NO.225より
白山麓僻村塾