225. ”ふるさと金沢” 再発見

【2022年1月28日配信】 



 校歌



              若林 忠司  


 2015年3月24日、北陸新幹線が開

業する。東京・金沢間が約二時間半で結ば

れる。時代は大きく変わり、新幹線が「金

沢の魅力」を運ぶ。


 金沢駅を降りると、巨大なガラス張りの

「もてなしドーム」と、正面の木造り「鼓

門」が目に飛び込んでくる。2011年に

はアメリカ旅行雑誌で「世界で最も美しい

駅」に選ばれる。地元に住む者にとって、

金沢の知名度が高まることは喜ばしいこと

である。


 ガイドブック、雑誌、観光マップやパン

フレット、案内板などに観光スポットが紹

介されている。これらのほかに、金沢の魅

力を探るために「校歌」に焦点を絞り、別

の角度から光を当ててみたい。

 

 「山」といえば「川」。ある言葉から、

それに関係するほかのものを想い浮かべる

ことを連想という。山や川は自然の代表。

私には校歌が連想される。


 歌詞の中にはどのような自然が詠まれて

いるのだろうか。青春の一ページを飾った

学び舎の校歌を思い出すのは、若き日のア

ルバムを見るのに似た感じがする。


 金沢の山といえば医王山、卯辰山。川と

いえば男川と呼ばれる犀川、女川と呼ばれ

る浅野川。これらの自然が校歌の中でどの

程度登場するのかを知るのは、単なる物好

きやセンチメンタリズムでなく、むしろ大

切なことだと思う。


 少子化が進む現在、学校の統廃合が行わ

れ、新たな学校が誕生する。かつて金沢市

内には小中学校が八十五校あった。このう

ち六十七校の校歌に目を通したことがあっ

た。


 校歌には建学の精神、教育方針や地域の

自然が織り込まれているものが多い。すっ

かり忘れてしまったが、校歌と聞くと、今

は遠い昔の小中学校の頃を思い出す。また

教師として務めていた学校がよみがえって

くる。


 それぞれ格調高い歌詞で、作詞者の文学

的センスに驚かされた。校歌は永久(とわ)

に残る名作、名曲である。歌詞に出てくる

自然などの言葉に注目した。


 最も多いのが、「浅野川」。これに「医

王山」「犀川」「白山」と続いている。そ

の他、「日本海」「河北潟」「兼六園」な

どが見られた。これらの言葉は学校の環境、

気風を表す。


 あらためて、わが家の近くにある学校の

校歌に目を通した。私の母校・金沢市立小

将町中学校の校歌は、室生犀星作詞・山田

耕筰作曲。


 歌いだしの「朝はやき町の景色にやまか

わをうしろに」は、かろうじて覚えている

が、今はほとんど忘れてしまった。図書館

で見つけた資料で校歌を思い出す。古いア

ルバムの記憶がよみがえり、中学生時代に

もどった。

 

 朝はやき

 町の景色に

 やまかはをうしろに

 甍は見ゆる。

 わが母校の

 おしへみちびきの

 あさつゆ清き道のべに

 ひとはひとよりまなび

 ひとはひとをみちびく。

 ありがたきかな

 みちびきの奧處(おくか)に

 やまかはの榮(はえ)を見ひでむ

 ふるさとに

 生ひたちたるわれら

 わが母校よ

 友よ

 よろこびをささげむ。

 よろこびをうたはなむ。


 小将町中学校のすぐ近くにあった兼六中

学校は、歩いて一分ほどのところに建って

いた。現在の兼六中の校舎は1962年に

兼六園下から徒歩約二十分のところの浅野

川近くに移転したが、かつて両校の間には

プールがあった。そのプールを水泳の時間

には共同で使っていたことが思い出され、

懐かしい過去が呼びもどってくる。


 兼六小学校は、味噌蔵町小学校と材木町

小学校が統合され、2016年4月に開校、

兼六園から徒歩約三分のところにある。校

名は兼六中学校と同じく兼六園から採った

ものであることが分かる。


 谷川俊太郎作詞・谷川賢作作曲の兼六小

学校の校歌に目を通すと、「みみをすまし

てむかしのひとのことばをきこう」と、ひ

らがなで書かれている。歌詞には金沢に関

する言葉は用いられずに、「みみ」「め」

「こころ」や「むかし」「いまのせかい」

「うちゅうのむげん」といった言葉が使わ

れている。世が進むにつれ、校歌も変わる。

時代の移り変わりを感じる。


 みみを すまして

 むかしのひとの ことばをきこう

 めを みひらいて

 いまのせかいを みつめよう

 ほんに したしみ

 うたを たのしみ

 うちゅうのむげんに こころをひらく


 あるいて いこう

 みちがなくても いっぽいっぽ

 ちへいをめざし

 はげましあって ともだちと

 しなやかなこころ すこやかなからだ

 ちきゅうのみらいを まもっていこう

 けんろくしょうの わたしたち


 味噌蔵町小学校の校歌を見ると、わが家

のすぐ近くに見える「兼六の園」「浅野川」

「医王の山」「向山(むこうやま)」の山

川が詠まれている。材木町小学校の校歌に

は、「白山」「浅野の流れ」「山川」とい

う言葉が見られる。この両校の校歌は、ふ

るさとの自然の薫りが漂ってくる。ふるさ

とを愛し誇りに思う人々の心は、どの地方

でも同じである。


 だれにでも生まれ育った土地 ”ふるさと”

がある。ふるさとの魅力について調べるこ

とは、郷土を知り郷土愛を育むことになる。

歴史や伝統文化、豊かな自然を表す言葉を

通して「金沢再発見」となった。


 この原稿を書き進めているとき、新聞、

テレビが新型コロナウイルスの感染状況を

伝えていて、全国に深い影を落としていた。

県都の玄関口・金沢駅、市中心部や観光ス

ポットにも人影が減り、閑散としている。

時間が止まったような、異様な街の姿に自

分の目を疑った。このような光景をだれが

想像しただろうか。










〈参考〉


  当講座記事NO.84 太陽のオーロラ

  同記事NO.115 海越しの絶景・立山連峰より

  富山県氷見市立灘浦小学校校歌

                   

   詩 灘浦小学校2011年度6年生

   曲 友井賢太郎

     

 海の向こうの 立山に

 元気な声が こだまする

 大きな夢を いだきつつ

 体きたえて すこやかに

 明るく 共に歩もうよ

 われら 灘浦小学生


 つまま輝く ふる里に

 優しい笑顔 あふれてる

 先人の知恵 学びつつ

 心豊かに はつらつと

 なかよく 共に励もうよ

 われら 灘浦小学生 

 

校歌合唱 – 灘浦小学生




  当講座NO.91 年越しの記(2)より

  石川県白山市立美川小学校校歌


 詩 北村 喜八

 曲 飯田 信夫

  

 北の荒磯に手取川

 注ぎて波の立つあたり

 松のみどりにかこまれて

 学ぶ楽しきわが母校


 峰の白雪朝夕に

 あおぐや清き白山に

 理想の夢をはぐくみて

 いざやみがかん人の道


 古き名もよし本吉に

 潮のひびき楽として

 今日も元気に友どちと

 いざやはげまんともどもに

  



  当講座記事NO.84、115より

  新潟県立高田高校校歌

 (1904年)


 詩 秋田  實

 曲 早川 喜左衛門


 妙高山は峨々として

 千古の白雪天をつき

 日本海は汪々と

 万里の波濤空をうつ

 山水霊なる越の国

 学びの友垣一千余


 学と徳とに身をたてて

 期するは国家のまき柱

 砂(いさご)の粒もつもりては

 みそらに高き妙高山

 水の雫もたたへては

 そこひも知らぬ日本海


 思えば昔霜台公

 能信越をきりなびけ

 七尾城頭月きよく

 戦勝の宴たけなわに

 矛横たえてうたいてし

 威風ぞ今に芳しき


 治まる御代の我等には

 仁義の兜知恵の弓

 百折不撓の勇気あり

 堅忍不抜の剣あり

 心にむらがる煩悩の

 悪魔を払って進みゆけ


 小善とても勉むべし

 小悪とても犯すなよ

 なるとならぬは天なれど

 唯一筋に彼の岸へ

 進むぞ我等の務なる

 進むぞ我等の覚悟なる

 

 

高高校歌

   高高卒業生の合唱





 金沢市立小将町中学校校歌
 室生犀星が母校のために作詩
 

   当講座記事









〈後記〉

 当講座のNO.111、104、105、

 172-174 にも若林忠司さんの

 記事があります。

 イラストは正見巖さん(当講座

 記事NO.55の記事から)。

 55、短編小説「再会」




〈追記〉

 242、春四月

 小学校と中学校の校歌が同一


 富山市立芝園小学校校歌

 富山市立芝園中学校校歌


 作詩 大木惇夫
 作曲 山田耕筰

 立山の 青雲のぞみ
 あこがれ高く 学ぶもの
 芝園の はらからわれら
 美しく のびらかに
 平和の虹を 懸けんかな

 神通の 清けき流れ
 こころにうけて 磨くもの
 芝園の はらからわれら
 たくましく すこやかに
 真理の灯し つけんかな

 さくら咲く 磯部の堤
 花かげ恃ちて 集うもの
 芝園の はらからわれら
 つつましく ほがらかに
 自立の鐘を 打たんかな






 土屋武之著
『旅は途中下車から
   降りる駅は今日決まる、今変える』
  (交通新聞社新書、2020)







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319. 何者でもない者が生きる哲学  

【2023年11月4日配信】         考えることがなぜ大切なのか    小を積めば即ち大と為る. 『報徳記』富田高慶1856    二宮尊徳翁曰く 「励精小さなる事を勤めば大なる事必ずなるべし。  小さなる事をゆるがせにする者、大なる事必ず  できぬものなり」     読書のすすめ 背負い歩き考える二宮金治郎          ロダンの『考える人』よりもりっぱに思える         薪を負いて名定まる         損得から尊徳の世へ 哲学の時代へ(第14回)                                        以下の文はkyouseiさんという方のnote にある文です。偶然みつけ共感するものが ありこれまで何度か勝手にその文を紹介し てきました。どこのどなたかまったく存じ 上げませんが、またお叱りを受けるかもし れませんが、本日掲載の文をご紹介します。 (当講座編集人)            本当の哲学とはなにか            note での投稿も長くなった。 連続投稿 が 370 を超えたようだ。そんなことはどう で もい いことだが、ぼくはこれまで 「哲学」 だと 思って書いていた記事は、「本当に哲 学 な のだろうか」と思うことがよくある。 皆の言う「哲学」は、「○○哲学では…」 と 難しい話をよく知っている。 ぼくはというと、思考を治療的に使って 現 状の維持、回復を狙うものだ。 「何が不満か」「何がそうさせるのか」と いった答えを探すものだ。だから「治療的 哲学」と銘打っているのだが、はたしてそ れは哲学なのだろうかと思うこともある。 ぼくの哲学は「結果が全て」であり、再 現 性も求める。結果が出ないとすれば、や り 方がまずかったとすぐに修正する。自分 自 身を実験台にして確かめるのだ。 難しい話を好まないのは「使えない」 か ら だ。使えないものは真理ではないと 考え て いる。 だからといって、ぼくの視野が広いか とい えばそうではなく、個人という狭い世 界観 をどう変えるかといったものだ。 「大したことないな」と思われるだろう が、 では、誰がこれまでそのことに挑戦し てき ただ ろうか。 他人の褌で相撲を取る話ならいくらでもあ る。傍観者という意味だ。 ぼくの哲学には答えがないかもしれない。 変更

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【2022年10月10日配信】      「学生野球考」      慶應義塾大学野球部監督   前田 祐吉   史上最高演技   史上最高選手      勇気ある発言   「オンニ、ここで記念に一緒に撮りましょ」   「オレは笑わないが、笑って何が悪いんだ」  葉隠・武士道を覆す号泣                       「サード!もう一丁!」「ヨーシこい」 と いう元気な掛け声の間に、「カーン」と いう 快いバットの音がひびくグラウンドが 私の職 場である。だれもが真剣に野球に取 り組み、 どの顔もスポーツの喜びに輝いて いる。息子 ほどの年齢の青年たちに囲まれ、 好きな野球 に打ち込むことのできる私は、 つくづく、し あわせ者だと思う。  学生野球は教育の一環であるとか、野球 は人間形成の手段であるということがいわ れるが、私の場合、ほとんどそんな意識は ないし、まして自分が教育者だとも思わな い。どうしたらすべての野球部員がもっと 野球を楽しめるようになるのか、どうした らもっと強いチームになって、試合に勝ち、 選手と喜びを共にできるのか、ということ ばかり考えている。  野球に限らず、およそすべてのスポーツ は、好きな者同志が集まって、思いきり身 体を動かして楽しむためのもので、それに よって何の利益も求めないという、極めて 人間的な、文化の一形態である。百メート ルをどんなに早く走ろうと、ボールをどれ だけ遠くへカッ飛ばそうと、人間の実生活 には何の役にも立たない。しかし、短距離 走者はたった百分の一秒のタイムを縮める ために骨身をけずり、野球選手は十回の打 席にたった三本のヒットを打つために若い エネルギーを燃やす。その理由は、走るこ とが楽しく、打つことが面白いからにすぎ ない。さらにいえば、より早く走るための 努力の積み重ねが何物にも替えがたい喜び であり、より良く打つための苦心と練習そ のものに、生きがいが感じられるからであ る。  このように、スポーツは余暇を楽しみ、 生活を充実させるための手段で、それ以外 には何の目的もないはずである。むしろ目 的のないことがスポーツの特徴であり、試 合に勝つことや良い記録を出すことは、単 なる目標であって終局の目的ではない。  かつて超人的な猛練習でスピードスケー ト の王者といわれ、冬季オリンピックの

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【2022年8月28日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本によって金沢のプロテスタント の教会に足を運び、牧師さんのお話を聞く ようにもな

280. 湯の人(その4)現実と夢

 【2022年11月22日配信】   大きな便り                       加藤 蒼汰          秋とはいっても冬のような寒い夜だった。 浴室にはだれもおらず、脱衣場には番台に 座っている銭湯の主人と私ともうひとり。  その人は銭湯の近所の人であり、かつて 高校の教員をしていた。在職当時、馳浩・ 現石川県知事を教えていたと語っている。 八十歳を超えている。  この銭湯でよく顔を合わせ、会うたびに 知事の高校在学中のエピソードを繰り返す ので、私はその話の内容をすっかり諳んじ られるようになってしまった。高校入学時 から卒業までの様子、レスリング部での活 躍などであるが、私が特に感銘を受けた話 は、知事は高校時代、冬、雪が降り積もっ た朝には真っ先に早出登校して、生徒・教 職員を思いやり、校門から校舎玄関入り口 までの路をひとりスコップで雪かきをして いたというくだりである。  そんなすばらしい教え子をもつ元先生が、 服を脱ぎ裸になって浴室入り口に向かって 五、六歩あるきながら大便を三個落とした のである。気づかずに落ちたようなので、 私は「先生、落としもの」と声をかけると、 「ありりー、まったく気いつかんかった。 あはははは」と笑うのである。  私は、脇にあったチリトリでこの塊をす くいとり、「みごとな色と固さやね」と言 いながらトイレに流した。しかしながら、 脱衣場にはその匂いが全面に沁みわたり、 息が苦しくなるほどだった。このとき私は、 幼いころサーカスを見たときのことを思い だした。  それは曲芸をしていた象が巨大な大便の 塊を三個落とし、団員があわててスコップ で拾いあげていた光景であった。このとき の衝撃の記憶がよみがえり、私にとっさに チリトリを思いつかせたような気がする。 本を読んでいた番台の主人もその匂いで事 のいきさつに気づき、「匂いもすばらしい ね」と笑いながら脱衣場の窓を全開し床を 雑巾でふいてくれたが、その強力な匂いは 容易に消えなかった。  その間、先生は先に浴槽へ入り、気持ち よさそうに浸かっていた。私は先生と湯壺 にいっしょに漬かることに一瞬躊躇したが、 免疫機能が高まるまたとないチャンスでは ないかとの思いも何ゆえか突然こみあげて きて湯船に同席、お伴したしだいである。  「よくあることなんけ」と湯中、思わず

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったです。大いに感謝です。  その日から勢い
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎