457. 書の心
【2026年4月25日配信】
生きている証とともに
金沢市 書家 遠田 千鶴子
馥郁とした好みの墨の香に包まれながら
私は、作品を書き終えると思わず「お陰様
で書かせていただけました」と、合掌する
のです。
白楽天の漢詩、漢字行草体、百四十字。
一枚を書き上げるのに四十五分を要します。
瞬間芸術とも偶然性とも形容されて、書道
の表現の厳しさは、その線を再び繰り返す
ことが許されないところにあります。
白い料紙に、額のマット(縁のこと)の
色彩やその図柄により、青墨、茶墨、濃、
淡墨、または好みの墨色の磨り合わせ等々
で墨色を決めますが、とくに仮名作品の場
合は、その歌の心をも考え併せましたり、
時代思考など織り交ぜての創作に、神経を
使わねばなりません。恋のうたともなりま
すと、書体もなるべく華やかに、秘めた心
情の滲みを一本の線に託して、いかに表現
しようかとまようこともございます。
料紙である和紙にも必然凝りに凝り、珍
しく好もしい紙質や、線の枯れ具合が面白
く出る和紙には、ひとしおの愛着があり、
紙漉の里まで出かけて行って、思いの丈買
い求め、沸々とした喜びを包み込みながら、
家路を辿ったことも何度かございました。
この料紙にこの墨、筆はこれ………という
ふうに、書く万葉歌を定めましてから二、
三日もして、やっと、お道具の組みあわせ
が定まるといった不甲斐無さ。筆には殊の
外、気難しいほうでございます。それから、
万葉仮名、草仮名を取り交ぜて、空白の間
や、意外性の面白さを楽しみながら、行の
散らしを落書きよろしく、練習紙がまっ黒
になるまでの創作に、書の室に終日閉じ籠
もる日が続くのでございます。
作品の中でどうしても思うような線の出
ない時など、深夜に飛び起きて、いろいろ
の筆を駆使して書き積むこともございまし
た。
大正生まれの一途さとでも申しましょう
か、その融通性の無さに自分ながら辟易い
たしますが、神様から頂戴しました「書く」
ということへの心の安らぎを、大切に想う
このごろでございます。
お庭の山茶花の、雪景色の中での得難い
色彩に魅せられて、凛々しい可憐さを、何
とか、白い紙と黒い墨だけの構成で、書の
中で表現できないかものか……とて、………
やおら「良寛の書簡」という古い書物を引
っ張り出して、良寛サマの無欲の筆蹟の線
の流れや、おおらかな間の取り方の中に、
あどけなく童心的で可憐な山茶花の表情を、
重ねあわせ、思わず、長鋒(穂の長い筆の
こと)の細筆を走らせる。良寛サマの邪気
の無い、そして暖かいふくらみのある線質、
茫洋とした偉大な包容力。とまでは到底及
ばないまでも、長い時間のあいだに、どう
にか自分なりに、何とない線の面白さに納
得して、ふと気付くと、山茶花の上には、
いつのまにか更に新しい雪が降り積んで、
縁側で中腰になりながらの筆遊びの私の肩
も冷えて、寒く……。
こうして毎日の変化を楽しみながら、生
きている証左を書の中に求め続ける私も、
実は、九年前の八月、嬉々とした旅行の準
備中に突然倒れました。それまで病気知ら
ずの健康体でございましたので、驚いた家
族の者が、主人の親友の医師のもとへ運び
ました。その病院では「脳内出血」という
診断を受け、四ヶ月後にリハビリ完備の病
院へ移りましたところ、そこでは「脳血栓」
という診断でございましたので、今に至り
ますまで本当の病名は不明のままでござい
ますが、どちらも四ヶ月ぐらい経ましたら
治療法は全く同じとのことでございました。
『紙一重ずつ』という表現がありますよ
うに、この病気は目に見えて良くなるもの
ではございません。日常生活は健やかなお
方から見れば、もどかしいたどたどしさで
はございますが、大体のことはできますの
で、自分では、もうすっかり癒った心積も
りでおります。が、歩きます己が姿が窓辺
のガラスに写ります時、また、漢字作品で
縦の線の筆勢のまずさ、重心の傾き………等
々により、 「アー、私は半身不随だったナ
ー…………」と、改めて思い知らねばならな
い時も幾度ございましたことでしょう。
最初に申しましたように、一枚書き終え
るごとに思わず合掌するという意味は、お
解りいただけたことでございましょう。幸
い周囲の方々や家族にも恵まれ、私は不自
由になりましてから改めて、人生の妙味に
触れ得たように思います。 「生きていると
いうことは何と偉大なことでしょう」。
退院後、杖を頼りの歩行訓練、砂利道や、
健康な時には気付かなかったくらいの歩道
の段差・勾配が、どんなに恐怖だったでし
ょう。大地から十糎(センチ)刻みに杖を
離して行き、一ヶ月ほど経ってようやく、
完全に杖が必要でなくなった時の深い深い
感動を、私は一生忘れることがないでしょ
う。二本の足で大地を踏むということが、
こんなに素晴らしいことだったのでしょう
か。
私が突然病気で倒れるまで、長年書を習
い続けてくれましたたくさんの愛しい塾生
達に囲まれての人生も、私の大切な人生に
違いないのですけれど、片隅に忘れられた
小さなことで、人間が生きていく上での大
切なことを、この病気をして初めていろい
ろ気付かせていただけたということは、私
の生涯を通じて何物にも替え難い素晴らし
い収穫でございました。
神様はきっと私の半身を召し上げて下さ
って、この心の眼を代わりに下さったのだ、
と私はそうかたく信じております。あと残
り少ない大切な人生の一秒一秒、私は今ま
で生き越し方より、より一層の豊かさと深
さをと、感謝をもって、生きていく大切さ
を噛み締めて参りたく思うのでございます。
小社発行・『北陸の燈』第3号より
写真は小社撮影
当講座記事NO.27再掲

