340. 憲法九条「兵戈無用」
【2024年5月3日配信】
『あたらしい憲法のはなし』
日本国憲法第九条「戦争放棄」について
中学一年生用教科書 (1947年.文部省) から
みなさんの
とうさんやにいさんを送りだされた人も多
いでしょう。ごぶじにおかえりになったで
しょうか。それともとうとうおかえりにな
らなかったでしょうか。また、くうしゅう
で、家やうちの人を、なくされた人も多い
でしょう。いまやっと戦争はおわりました。
二度とこんなおそろしい、かなしい思いを
したくないと思いませんか。こんな戦争を
して、日本の国はどんな利益があったでし
ょうか。何もありません。ただ、おそろし
い、かなしいことが、たくさんおこっただ
けではありませんか。戦争は人間をほろぼ
すことです。世の中のよいものをこわすこ
とです。だから、こんどの戦争をしかけた
国には、大きな責任があるといわなければ
なりません。このまえの世界戦争のあとで
も、もう戦争は二度とやるまいと、多くの
国々ではいろいろ考えましたが、またこん
な大戦争をおこしてしまったのは、まこと
に残念なことではありませんか。
そこでこんどの
けっして二度と戦争をしないように、二つ
のことをきめました。その一つは、兵隊も
軍も飛行機も、およそ戦争をするためのも
のは、いっさいもたないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍
もないのです。これを戦力の放棄といいま
す。「放棄」とは「すててしまう」という
ことです。しかしみなさんは、けっして心
ぼそく思うことはありません。日本は正し
いことを、ほかの国よりさきに行ったので
す。世の中に、正しいことぐらい強いもの
はありません。
もう一つは、よその国と争いごとがおこ
ったとき、けっして戦争によって、相手を
まかして、じぶんのいいぶんをとおそうと
しないということをきめたのです。おだや
かにそうだんをして、きまりをつけようと
いうのです。なぜならば、いくさをしかけ
ることは、けっきょく、じぶんの国をほろ
ぼすようなはめになるからです。また、戦
争とまでゆかずとも、国の力で、相手をお
どすようなことは、いっさいしないことに
きめたのです。これを戦争の放棄というの
です。そうしてよその国となかよくして、
世界中の国が、よい友だちになってくれる
ようにすれば、日本の国は、さかえてゆけ
るのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度
とおこらないように、また戦争を二度とお
こさないようにいたしましょう。
あたらしい憲法のはなし [ふりがな付き]
戦争責任と謝罪
浄土真宗門徒 西山 誠一
靖国問題は大きく分けて二つあると思う。
一つは「平和(戦争)問題」つまり政治や
社会問題としての靖国であり、もう一点は
「靖国神社問題」である。両方とも宗教問
題であり、宗教問題にしなければならない
問題だと思います。
靖国神社の社憲の前文には祭祀を斎行し、
「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕
彰するため、云々とあります。私は奉慰の
「慰」の字が気に食わぬ。慰めるとは上の
者が下の者にする行為、強いものが弱い者
にする行為で差別用語に思えるのですが。
また政府が遺族に年間三万円の「弔慰金」
を支払うから希望者は市役所へ申し込めと
のお達しがありましたが、これも間違いで
はないでしょうか。ここにも「慰」の字が
あります。靖国神社も政府も慰霊祭・慰霊
式・慰霊塔と慰霊ずくめですが、慰霊の言
葉を吟味したいです。
戦争犠牲者に対してなさねばならぬ行為
は、「慰霊」ではなく、「謝罪」ではない
でしょうか。
それには、戦争観が問題になってきます。
日本人の戦争観は、おおむね聖戦感覚です。
聖戦大碑が大手をふってまかりとおる日本
人全体の戦争観が問題です。やむを得なか
ったとか、仕方がなかったとか、日本人に
は戦争責任者はだれもいないようです。天
皇は敗戦後人間天皇になって涼しい顔で、
だれも責任追及する者もなく、東条英機は
国際裁判では戦争犯罪者として死刑にはさ
れたが、後に靖国神社に祀られ崇められ、
責任があいまいになり、日本国民から責任
追及の声がほとんど聞かれない状態です。
また、一兵卒にいたっては、赤紙一枚で
召集され憎くもない相手を殺させられた、
生きて帰れてまだよかったといった程度で、
一般国民に至っては言うに及ばずで、戦争
責任者が一人もおらず、問題にしようとも
しない。
いったいこんな歴史を伝えてよいのだろ
うか。今からでも遅くない。真宗大谷派教
団は、大谷派教団の戦争責任だけでなく、
日本の戦争責任を明確にすべきと思います
が、いかがでしょうか。日本人として裁く
日本人の戦争責任です。自虐思想、自虐史
観などと言っていられません。
同じ敗戦国でも、ドイツは違うようです。
キリスト教と浄土真宗の違いでしょうか。
真宗大谷派にはヴァイツゼッカーが生まれ
ないのでしょうか。金銭問題を超えて、謝
罪の言葉が出ないのでしょうか。憲法九条
は単なる平和憲法ではありません。全戦争
犠牲者に対する「謝罪憲法」だと思います。
そして、東南アジアの国々・人々をはじめ
世界の国々・人々に対する謝罪憲法です。
「憲法九条を守ったがために日本が滅ん
でもそれでいいではないか」との言葉を聞
いたことがあります。その通りです。この
ような「戦争放棄」の恒久平和憲法は二度
とできないと思います。この憲法こそが、
人類が永久に目指すべき指針、世界の宝と
なるものです。この有史以来の、世界で唯
一無二の戦争放棄の恒久平和憲法を獲得し
たことに、悲惨な体験をした私たちの敗戦
の真の意味(真の勝者)があったのです。
親鸞の教えをいただく真宗大谷派こそが、
日本国憲法第九条を謝罪憲法、戦争放棄の
恒久平和憲法であることを表明し、不戦決
議・非戦決議を全世界に向かって推し進め
るべきでないかと思います。
安倍晋三元首相は、戦後七十年談話で「
子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせ
てはならない」と主張していますが、怖る
べきことと思います。過去に目をつむる者
は将来も視ることはできないと聞きます。
「さるべき業縁のもよおせばいかなるふる
まいもする」自分なればこそ、過去の過ち
を戦争を、直視し明確にすべきです。
戦争には殺しが付きものですが、現代は
一人が一人を殺すことは少なくなったかも
しれません。一人が飛行機の上からボタン
一つで原爆を落とし一度に何十万人を殺す
ことができるようです。そしてその殺した
責任はボタンを押した一人にあると思いま
す。飛行機の搭乗者には協力した責任が、
命令した上官には殺させた責任があると思
います。軍人になるときは殺人感覚と責任
を明確にして就職すべきと思います。国家
の法律は責任を免除するかもしれませんが、
真理の法則は、だれもどうにもできないと
思います。 (当講座記事NO.16から)
にしやま せいいち
農家。今もトラクターなどを運転。
1931年、石川県江沼郡三谷村(現加
賀市)生まれ、在住。
1940年、父が中国戦線で死去。
1942年、父が靖国神社に合祀される。
1992年、三谷小学校横の土地を買い
憲法九条碑を建立(私費)。
日本国憲法
第二章 戦争の放棄
第九条
① 日本国民は、正義と秩序を基調とす
る国際平和を誠実に希求し、国権の
発動たる戦争と、武力による威嚇又
は武力の行使は、国際紛争を解決す
る手段としては、永久にこれを放棄
する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍
その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
〈参考〉
川藤由美さん川柳「改憲は全世界への宣戦布告」
2022.6.8 真宗大谷派の非戦決議
〈小社推薦図書〉