289. コロナ再考・甦る親鸞の他力
【2023年1月17日配信】小社発信記事
政治家・谷本誠一呉市議へのエール
コロナ騒動がおこってから3年がたった。
この間、当講座でも NO.268 の記事などで
谷本誠一さんや大橋眞さんの声をとどけて
マスク着用やPCR検査、ワクチン接種、ワ
クチン後遺症等について問題点を提起して
きたが、残念ながらいまだ未解決のままで
ある。
今春の岐阜県議選に出馬するという今井
瑠々氏の今月13日の記者会見を見ると、
会見直前に今井氏の隣に座っていた野田聖
子衆議が記者と、マスクを着けるかどうか
やりとりをしていた。マスク着用の有無は
国会議員と大手マスコミ記者のやりとりで
決まるということである。コロナが政治で
あることを証明した一場面である。
科学的根拠に基づきコロナ対策をしてい
るという国政の一端を担う国会議員の見識
がこのような有り様である。科学的根拠に
基づきコロナ対策の問題点を指摘、危惧す
る学者や医師や地方議員の声は国会議員も
マスコミ記者も無視し、調べようともしな
い。逆に言えば、彼らが全員マスクをはず
さない限りコロナは終わらない。
コロナ騒動を推しすすめ関わった方々は
謝罪し責任をとった上すみやかに退出して
いただきたいが、コロナが政治であるとい
う現実、実態である以上、これ以上コロナ
騒動に巻き込まれないためには最終的には
自身で考え判断し身を守る以外に術はない。
日本には、まだかろうじてこの道が残され
ている。
以下に今一度、コロナ騒動に関する小社
の見解と関連記事を掲げます。
(当講座編集人)
厚生労働省の公式見解
PCR陽性は感染性ウイルスの存在
を意味しない。
厚労省は、新型コロナウイルスの
存在を証明する科学的根拠を有し
ていない。
(このことを知っていながらも、
このことを国民に知らせる日本の
大手新聞社・放送局、国会議員、
閣僚も、まだ存在しない。)
小社の見解
上記の厚労省の見解は、
①マスクをする必要はない。
②PCR検査をする必要はない。
③ワクチン接種をする必要はない。
④緊急事態宣言をする必要はない。
⑤パンデミックは存在せず、国民
がこれまでどおりの生活をするこ
とに何のさしさわりもない。
ということを意味している。
当講座の NO.8の記事で紹介した
厚生官僚であった山内豊徳さんの
「国民のための仕事」「弱者を思
う精神、真心」の遺訓が、厚労省
の官僚、職員に少なからず継承さ
れている。
最大の問題は、日本の国会、行政、
司法が屈するものが、屈させられ
るものが、かつ国民を差し出すも
のが、差し出させるものが、戦後
七十七年経ても、残念ながら、い
まだ、この世の日本と世界に存在
するということである。
この存在が、自らの歴史的回心に
よって生まれ変わるか、あるいは
この存在に、慈悲の心をもって、
有史初めての革命的回心をさせる
ことができるかが、人類の課題の
ひとつである。
1945年11月7日付け朝日新聞の記事
「国民と共に立たん」 の宣言は今日
に至るも、いまだ実行されていない。
「国民と共に立たず」のままである。
(以下に宣言の全文)
宣言
國民と共に立たん
本社、新陣容で「建設」へ
支那事変勃発以来、大東亞戰争終結
にいたるまで、朝日新聞の果たした
る重要なる役割にかんがみ、我等こ
ゝに責任を國民の前に明らかにする
とともに、新たなる機構と陣容とを
もつて、新日本建設に全力を傾倒せ
んことを期するものである。
全重役、および編集総長、同局長、
論説両主幹が総辞職するに至つたの
は、開戰より戰時中を通じ、幾多の
制約があつたとはいへ、眞実の報道、
厳正なる批判の重責を十分に果たし
えず、またこの制約打破に微力、つ
いに敗戦にいたり、國民をして事態
の進展に無知なるまゝ今日の窮境に
陥らしめた罪を天下に謝せんがため
である。
今後の朝日新聞は、全従業員の総意
を基調として運營さるべく、常に國
民とともに立ち、その聲を聲とする
であらう、いまや狂瀾怒涛の秋、日
本民主主義の確立途上來るべき諸々
の困難に対し、朝日新聞はあくまで
國民の機関たることをこゝに宣言す
るものである。
「NHK番組基準」 (1959年7月21日
制定) も、今日に至るも基準はどれ
ひとつとして実行されていない。
(以下に基準の当該文)
日本放送協会は、全国民の基盤に立つ
公共放送の機関として、何人からも干
渉されず、不偏不党の立場を守って、
放送による言論と表現の自由を確保し、
豊かで、よい放送を行うことによって、
公共の福祉の増進と文化の向上に最善
を尽くさなければならない。
この自覚に基づき、日本放送協会は、
その放送において、
1 世界平和の理想の実現に寄与し、
人類の幸福に貢献する。
2 基本的人権を尊重し、民主主義
精神の徹底を図る。
3 教養、情操、道徳による人格の
向上を図り、合理的精神を養う
のに役立つようにする。
4 わが国の過去のすぐれた文化の
保存と新しい文化の育成・普及
に貢献する。
5 公共放送としての権威と品位を
保ち、公衆の期待と要望にそう
ものであることを基本原則とし
て、ここに、国内放送の放送番
組の編集の基準を定める。
訂正
放送が事実と相違していることが明ら
かになったときは、すみやかに取り消
し、または訂正する。
報道番組
1 言論の自由を維持し、真実を報
道する。
2 ニュースは、事実を客観的に取
り扱い、ゆがめたり、隠したり、
また、せん動的な表現はしない。
3 ニュースの中に特定の意見をは
さむときは、事実と意見とが明
らかに区別されるように表現す
る。
4 災害などの緊急事態に際しては、
すすんで情報を提供して、人命
を守り、災害の予防と拡大防止
に寄与するようにつとめる。
5 ニュース解説または論評は、ニ
ュースと明確に区別されるよう
に取り扱う。
ポツダム宣言受諾決定の情報を知った直後
毎日新聞・西部本社の高杉孝ニ郎(富山県
出身)編集局長が辞表とともに提出した同
社社長への「進言書」(井上靖と対極の姿勢)
「その日まで戦争を謳歌し、扇動した大新
聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪
しなければならない。本社は解散し、毎日
新聞は廃刊、それが不可ならば重役並びに
最高幹部は即時総退陣する」
1945年8月15日井上靖 (社会部記者・
金沢市の第四高等学校柔道部出身)執筆
翌8月 16日付け毎日新聞大阪本社発行
「毎日新聞」社会面 (2面) トップ記事
「玉音ラジオを拝して」
十五日正午ーーそれは、われわれが否三
千年の歴史がはじめて聞く思いの「君が代」
の奏でだった。その荘厳な「君が代」の響
の音が消えてからも、ラジオの前に直立不
動、頭を垂れた人々は二刻、三刻、微動だ
にしなかった。生まれて初めて拝した玉の
御声はいつまでも耳にあった。忝(かたじ
けな)さ、尊さに身内は深い静けさに包ま
れ、たれ一人毛筋一本動かすことはできな
かった。幾刻か過ぎ、人々の眼から次第に
涙がにじみあふれ肩が細く揺れはじめてき
た。本土決戦の日、大君に捧げまつる筈の、
数ならぬ身であった。畏(かしこ)くも、
陛下にはその数ならぬわれら臣下の身の上
に御心をかけさせられ、大東亜戦争終結の
詔書をいま下し給われたのであった。
ーー帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニ
アラス 爾(ナンジ)臣民ノ衷情モ朕善ク
之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)
ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万
世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲(コ
コ)ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ
赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
玉音は幾度も身内に聞え身内に消えた。
幾度も幾度もーー勿体なかった。申訳なか
った。事茲に至らしめた罪は悉(ことごと)
くわれとわが身にあるはずであった。限り
ない今日までの日の反省は五体を引裂き地
にひれ伏したい思いでいっぱいにした。い
まや声なくむせび泣いている周囲の総ての
人々も同じ思いであったろう。日本歴史未
曾有のきびしい一点にわれわれはまぎれも
なく二本の足で立ってはいたが、それすら
も押し包む皇恩の偉大さ! すべての思念
はただ勿体なさに一途に融け込んでゆくの
みであった。
詔書を拝し終るとわれわれの職場、毎日
新聞社でも社員会議がニ階会議室で開かれ
た。下田主幹が壇上に立って「詔書の御趣
旨を奉戴するところに臣民として進むべき
ただ一本の大道がある」と社員の今日から
進むべき道を説けば、上原主筆続いて「職
場を離れず己が任務に邁進することのみが、
アッツ島の、サイパンの、沖縄の英霊に応
える道である」とじゅんじゅんと声涙共に
下る訓示を与え、最後に鹿倉専務また社員
のこれまでの「闘い抜く決意」を新しい日
本の建設に向けることを要請した。われわ
れの進むべき道は三幹部の訓示をまつまで
もなくすでに御詔勅を拝した瞬間から明ら
かであった。
一億団結して己が職場を守り、皇国興建
へ新発足すること、これが日本臣民の道で
ある。われわれは今日も明日も筆をとる!
井上靖はこの後、同社学芸部副部長となり、
1950年芥川賞を受賞し、翌年同社を退職。
日本の有名作家となる。受賞作は『闘牛』。
以上当講座記事NO.165、191、221から
以下本文関連記事
広島県呉市議(6期)・谷本誠一さん
徳島大学名誉教授・大橋眞さん
政治はゲーム・世渡りだという厚顔無恥話.質問も無内容
2023.1.17 朝日新聞
【岸田首相がコメント】卒業式マスクなし
以下参考
たにもと せいいち
コロナ騒動のつくりかた
アニメ「戦争のつくりかた」
日本国憲法
第九条
① 日本国民は、正義と秩序を基調とす
る国際平和を誠実に希求し、国権の
発動たる戦争と、武力による威嚇又
は武力の行使は、国際紛争を解決す
る手段としては、永久にこれを放棄
する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍
その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
第二十一条
① 集会、結社及び言論、出版その他一切の
表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の
字幕大王 (@jimakudaio)
〈小社推薦法話〉
当講座記事NO.274から
浄土真宗布教使 阿部信幾さん
神のはたらきのメカニズムを語っている。
カントの物自体の内実を語っているようにも
思える。
七高僧
龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空
一非高非僧
因幡の源左 「ようこそ ようこそ さてもさても」
真宗各派が年に一度揃って「親鸞会」も誘って
安居に集ってみたらいかがだろうか。
また、全僧侶が当講座記事 NO.170 で紹介した
東京大衆歌謡楽団のような形で辻法話、辻問答、
辻対話もされてみてはいかがだろうか。
『歎異抄』と『御文章』の違い、阿部さんの経歴と
「親鸞会」についても語っている。
法然・親鸞の教え、蓮如のがんばり、助け合いの心
兵戈無用
〈後記〉
親鸞が比叡山から降りたように親鸞の教えを
聞き学ぶ真宗者は本願寺を去る時が来ている。
阿部信幾さんの法話は、私がこれまで聴いた
真宗僧侶・学者の中で最高内容の法話である。
親鸞を真に理解するただ一人の人物といって
いい。これだけの見識を持たれた方が、喫緊
の課題として、新型コロナの虚構を見破れな
いのか不思議である。あるいは分かっていて
沈黙しているのかもしれない。しかしながら、
コロナワクチンで斃れていくであろう浄土真
宗門徒の方々に対して、命と暮らしを救う責
務があるはずである。浄土真宗本願寺派僧侶
としてではなく、浄土真宗信心者として門徒
と対峙していただきたく切に望むものである。
(当講座編集人)
青蓮華の上に立つ阿弥陀仏
四十八願の光(1500年製作)
金沢市・真宗大谷派専長寺所蔵
当講座記事NO.70から
〈小社推薦図書〉
当講座記事NO.249、274から