446. なにがおかしい!
【2026年2月23日配信】
毛利先生の一喝
作家 広瀬 心二郎
もう半世紀も昔になる私の学生時代の忘
れがたい人物は、東洋哲学の毛利先生とい
う方。ご自身のおっしゃるところでは、能
登地方の「貧乏寺」のご住職ということで
した。五十歳前後の、禅の方です。なかな
かいかつい風貌でした。常にしっかりと噛
みしめているような意志的な顎と、分厚い
眼鏡の奥にいつも瞑想にふけっておいでの
ような独特の眼をお持ちでした。半眼、と
いうのでしょうか。そして髪は荒くうしろ
に撫でつけただけ。でも、近寄りがたい人
格というのではなく、口元になんともいえ
ない人懐っこさを湛えているのです。先生
の方から先に私たち学生に、なにやかや話
しかけてくださったこともありました。
そういう先生をめぐって、
「ねえ、毛利先生のとこ、また散らかり放
題になっているよ」
「そう。じゃ、そろそろ片付けないといけ
ないね」
同期の女子学生たちがこんなふうに言い
合っているのを、何度か聞いた覚えがあり
ます。研究室のことなのです。片付けられ
ない人だったのかもしれません。もしかし
たら、片付けるという言葉が禅者の先生の
辞書にはなかったのかも(先生、すみませ
ん)。 そう思うのは、ひょっとすると禅に
はゴミという概念がないのではないかと思
うからなんですが。(つまり、ゴミとゴミで
ないものとの区別、要不要の区別が禅には
ないのではないかということです。)
「ーーほんとにあそこって、せっかく綺麗
にしてあげても、またじきにしっちゃかめ
っちゃかになっちゃうわね」
そうこぼす女子たちの声には、でも、面
倒くさいね、といった愚痴めいた色は薄く、
なんとなくはずんだような感じさえあると、
私には聞こえていました。そこがとても不
思議でしたが、毛利先生とはそういう存在
だったのでしょう。
さて、その先生がある日の講義で、戦時
中の日本軍による南京占領について語った
ことがありました。昭和十二年の十二月、
守備隊の頑強な抵抗を突破してついに南京
市内になだれ込んだ日本軍は、物品をほし
いままに掠奪し、軍に関わらない一般市民
をも老若男女の別なく殺傷、かててくわえ
て次々と婦女を凌辱したというのです。
「中には七十を越えた老婆まで」
そう先生が語られた時、一部の学生の間
に失笑が起こり、それを耳にとめた先生は、
「なにが、おかしい!」
と一喝。怒髪天を衝くというのは、まさ
にこのことだろうという表情に変わった先
生は「帰る」と一言言い残して、教壇を降
り、出て行ってしまったのです。まだ講義
の時間はたっぷり残っていたのに。
残された学生たちの多くは、意外ななり
ゆきに言葉をなくしていましたが、私は大
いに先生に共感、 「やっぱり、いいな、禅
は、いい」
と胸の中でつぶやいていました。
当時は、ベトナム戦争のさなか。でも私
たちの多くはその戦火を遠くに眺めながら、
「平和日本」の繁栄を享受する鈍感学生。
たぶん先生にはそう見えていたのでしょう。
そして南京で起きた、言語に絶する暴虐行
為についても笑いですませてしまうような
アホ学生に対して、激しい一喝がつい口を
ついて出たのでしょう。
ーーその先生の一喝を、実に数十年ぶり
に思い出すきっかけとなった、あるテレビ
番組がありました。今から半年くらい前に
なるでしょうか、4チャンネル、日本テレ
ビ系列のネットワークで深夜に放送された、
南京虐殺を取り上げたドキュメンタリーな
のです。
その番組の中で、南京から無事帰還した
兵士たちによって明らかにされたのはどう
いうことだったかというと、捕虜となった
地元の人々を日本軍が長江の河畔に千人単
位で集めては、物陰に隠し置いた機関銃数
台を乱射したという事実だったのです。長
江の水は真っ赤に染まり、沈んだ死体によ
って流れがせき止められるほどすさまじい
状態だったというのです。
それを実行したのは、会津の連隊だった
ということでした。隊の上官たちは帰還し
ても死ぬまで口をつぐみとおしたようなの
ですが、現場でみずからの手を汚して殺戮
をになった兵隊たちが証言を残し、それが
戦後七十年以上たった最近になって、ドキ
ュメンタリーとして放送されたということ
なのです。
証言をした人々にとっても、口を開くま
でには、おそらく長い年月が必要だったの
でしょう。もし私が彼らの立場だったら、
たぶん胸にしまったまま、墓に入ったこと
でしょう。
彼らにあえて口を開かせ後世に残させた
ものは、なんだったのでしょう。たぶんそ
れこそ、戦後日本が営々として積み上げて
きた人間としての根本的、普遍的な価値観
ではなかったかと、私には思えるのです。
戦争とその混乱の中での出来事。あった
ことは、あったことです。あってはならな
かったことが、あったのです。現場にいた
兵士として、ひとりの人間として、それは
どうしても語り残さなければならなかった
のでしょう。そう、人類史に投げかけなけ
ればならなかった「事実」だったのでしょ
う。
ひろせ しんじろう
文芸同人誌「層」(長野ペンクラブ) 同人
著書・小説『金澤夜景』(小社発行)他
長野県須坂市出身、長野高校・富山大卒
埼玉県狭山市在住
〈参考〉
文中の毛利先生は、富山大学文理学部
助教授(当時)の毛利勉先生である。
先生は石川県河北郡七塚町(現かほく
市)出身。中国文学、中国史等を教えた。
また当時、先生の研究室で、先生から
「竹林の七賢」や「犬のディオゲネス」、
「フリュネ」 の話をしてもらった他学部
の学生たちもいた。
フリュネ ディオゲネスを真に理解した唯一人の人物
ディオゲネスとアレキサンダー大王(左)
犬のディオゲネス 銭思想と対決 シノペ生まれ
ソクラテスの孫弟子 プラトン哲学を批判
竹林の七賢 ディオゲネスの思想を学んで継承
当講座NO.92再掲