395. 生涯、毎日が勉強
【2025年4月10日配信】
福井県大野市
御堂河内 四市
私は広島県佐伯郡津久茂村(現江田島市
江田島町津久茂)ーー昔、海軍兵学校があ
ったところの近くーーの生まれで、雪のな
い瀬戸内海の島から何の因果か雪国へ移住、
今日に至っている。
わが家は、父祖代々農業。私は兄三人、
姉三人の七人兄弟姉妹の末っ子の四男。四
市の名はそこからきているようだ。
父は元治元年生まれで、当時はまだ学校
はなく、寺子屋で読み書きソロバンを習っ
た。
父は、私の妻の父とともに多年、村会議
員、その他いくつかの名誉職をもち、若衆
頭(現在の青年団長格)であった。農業は
常雇の農家に任せ、村議中で寺子屋出身は
父だけだったらしく、村長が郡役所へ行く
ときは、いつも村会代表で父を連れて行っ
ていた。その前日には必ず助役が連絡のた
めわが家を訪れていた。村長は酒は飲めず、
助役と父は酒が好きで、助役が来ると、母
はいつも助役と父のために酒席を設けふた
りに酌をしていた。また父は、毎夜のよう
に村人と接していた。
長兄は私より二十一歳も年上。父は長兄
のために始めた事業に失敗して倒産。田畑、
山林、家屋敷、その他の財産一切を競売、
無資産となり、貧乏のドン底に落ち、父は
村議、その他の名誉職一切を辞職、弁護士
がただひとり、無一文となった父に助言、
指導していた。
人間は競売できぬと知った私は、将来は
勉強して弁護士となり、無一文となった父
のような弱くなった人を助けることを決意。
貧乏になったのは私の小学五年生のとき
で、私はそれまで村内どこへ行っても大事
にされたが、倒産後はまったく顧みられな
くなった。住むに家なく、競売した納屋の
一室に住み、小学六年生に進級すると、は
からずも私は、級長に任命されたが、同級
生のなかに父の債権者の息子が数人いて、
「詐欺師の子」と言って私をイジメていた。
教室内では、先生が黒板に向かって文字を
書いているとき、私の背中に後方の席から
「送り」と称してゲンコツを打ち込み、私
は涙のかわく暇なく、級長をやめたいと担
任の先生に何度も申し出たが、その都度慰
められ、六年卒業までがんばり通し、高等
小学校一年に進学した。
大正七年、高小二年卒業後、呉海軍工廠
の見習い職工(三年制、日給十八銭)とな
り、同時に夜間中学に進学、同十年卒業、
十一年春工廠を退職、横浜で新聞配達しつ
つ、神奈川県藤沢市の藤沢中学四年に編入。
十二年九月一日の関東大震災にあい、日暮
里駅で汽車の屋根の上に乗って東京を離れ、
名古屋を経て郷里広島県に帰り、広陵中学
四年に転校。十三年四月、四年修了で関西
大学予科に入学、新聞配達、家庭教師、大
学の講義をプリントして同級生に売って学
費を稼いだ。関大法科三年間首席で、卒業
時に答辞を読んだ。
昭和五年春、関大法科卒業後、朝日新聞
大阪本社にはいり、福井支局に着任。福井
支局に四年在勤、九年四月大野通信局長と
なり、以来各地に転勤、十九年春徳島支局
長となり、二十年四月福井新聞社へ出向、
七月十九日夜福井空襲にあい裸同然となり、
村部へ疎開、八月十五日終戦。
生きるために高女在学中の長女、次女の
娘ふたりを中退させ、食糧増産の国策に応
じて十一月十三日、現住所の大野市塚原に
開拓者として入植、以来今日に達している。
福井新聞社へは開拓地から電車終点まで
歩き通勤した。
空襲で全焼した福井新聞社は、隣県石川
県の北国新聞社の救援により輪転機の提供
を受け、福井刑務所近くに復旧、印刷する
ようになった。戦時中、両者間に米軍の空
襲を受けた場合、相互援助の約束ができて
いたのである。福井新聞社は二十三年の福
井地震のときも全焼、二度も北国新聞の救
援を受け、 「福井新聞」は、空襲のときも
地震のときも一日も休まなかった。
余談だが、私が満七十二歳のとき、妻の
進言により京都の仏教大学通信教育部仏教
学科に入学、関大卒を認められ、三回生編
入を許され、半年遅れて卒業した。通信教
育の勉強が深夜までかかり、ついに心臓を
患って、卒業と同時に心筋梗塞で大野市明
倫町の尾崎病院に入院、現在に至っている。
しかし、薬草に関する書籍約十冊を購入、
現在ドクダミ、オオバコ、ヨモギ、その他
の薬草を煎じて服用、最近その薬草の煎服
のおかげで大分快方へ向いている。
私には子供九人、孫十九人あり、子供九
人のうち七人が大野高校を卒業、五人まで
大野の人と結婚、ついに大野(開拓地)を
離れられなくなってしまった。
三年前の真夏、息子、娘、婿、嫁、孫ら
総勢三十六人が、貸切小型バスで私たち夫
婦を乗せて、石川県の和倉温泉で金婚祝賀
式をあげてくれ、私たち夫婦の目は終始汗
をかいていた。世にこれをうれし涙という
と思った。
(みどうこうち しいち)
小社発行・『北陸の燈』創刊号より
第11回「現代の声」講座提言者
テーマ:通信教育のすすめ
当講座記事NO.64再掲