270. 「技」が消えた国技大相撲
【2022年9月22日配信】
まわし考
名古屋市 横井 義孝
久しぶりに大相撲中継を真剣に見た。久
しぶりというのは、見るべき相撲内容がな
いからだ。ひとことで言えば、今の相撲は
馬力だけの押し相撲だらけだ。四つ相撲が
極力少なく、まわしを取り合う攻防もまっ
たく見られない。技が感じられない。
かつて関脇出羽錦は、「呼び戻し」の大
技を持つ横綱の若乃花を相手に左四つ半身
の形になり右からしぼり、若乃花に左下手
まわしを与えず、若乃花がこの左下手まわ
しを引けるかどうかが勝負の最大の見所だ
った。両者そのままの体勢で、「水入り」
「二番後取り直し」「引分」という相撲も
何番かあった。
また、「内掛け」名人の大関琴ヶ濵は、
相手にまわしを引かせないために前かがみ
になって顎を引き、時には頭を相手の胸に
付けたりして、低い身の丈でありながら我
が身の胴を精一杯伸ばし腰を引き、まわし
を引かれるのを必死に阻んでいた。
このような相撲はもう見られないが、そ
の原因ははっきりしている。まわしを固く
締める力士が増えたからだ。大関琴奨菊は
まわしが固いうえに、それが腹の肉に食い
込んでいた。これでは相手はまわしが引け
ない。押し相撲力士は、相手にまわしを引
かれる心配なく相撲を取れればそれでいい
と、安易に考えているのではないだろうか。
しかしながら、からだにまわしをきつく
締めつけることで、押し相撲力士も四つ相
撲力士も自身の本来の動きが鈍くなってい
る。自らの首を絞めるが如く、からだが締
め上がって悲鳴を挙げ、腰の力が抜けて相
撲に大事な技の切れと敏捷性を失っている
のである。すなわち、相撲の基本中の基本
である腰の鍛錬がおろそかになリ、腰の弱
い力士ばかりとなる。アマチュア相撲への
悪影響ともなる。
まわしの固い四つ相撲力士同士の対戦は、
ともにまわしが引けないので、グレコロー
マンレスリングを見ているような錯覚に陥
る。まわしがタイツに見える。ここには、
互いのまわしを引き合う四つ相撲はない。
「掬い投げ」「小手投げ」「肩透かし」、
さらに、とっさの「首投げ」といった決ま
り手が多くなる。
力士のまわしが固くなったのは、千代の
富士が横綱に昇進した頃からだ。千代の富
士がまわしを固めて53連勝していた当時、
私は、まわしを固くするのは反則ではない
かと知人のNHK大相撲アナウンサーに尋ね
てみたが、彼は意にかけるどころか、まわ
しに霧も噴きかけているよと言うのである。
これでは、まわしに接着剤を塗っているよ
うなものである。
高校生時代に相撲部にいた国会議員に、
大相撲を国技と称するなら国会質問をして
まわしの締め方を正してほしいと要望して
もみたが、この彼も意にかけるどころか、
みんながまわしを固くすればいいだけだ、
横綱北勝海のまわしは幅も広いぞ、とただ
笑っているだけだった。
相手の髷をつかんだら反則であっても、
自分のまわしを細工し固め相手の力を削ぐ
ことは、反則ではなく正当な行為なのか。
勝負時間を早めるためにそうしているのか。
相撲内容より相撲中継や興業を優先してい
るのか。まわしにこだわる相撲を取るなと
いうことなのか。いったい、なんのために
まわしはあるのか。相撲道が問われる。
これでは、天津風や小結若浪、関脇明武
谷が見せた四つ相撲からの「吊り出し」と
いう決まり手はもう見られなくなり、押し
相撲一辺倒となり、「叩き」や「往なし」
や「引き」で不意打ちを食らった力士がバ
タリと倒れる「紙相撲」のような相撲ばか
りとなる。怪我も多くなる。力士に怪我人
が多いのも、まわしの固さに原因が大いに
ある。土俵に追い詰められて「打っ棄り」
をしようとしても、まわしが固くて指が入
らず、そのまま身に危険な体勢で、土俵下
や砂かぶりに陥落してしまうのである。
四つ相撲力士は持ち前の力が発揮できず
気の毒である。まわしに手が届いているの
に固くて引けない、まわしを握っても指が
中に入らない。まわしに小指から入れると
いう技術論もあったが、今ではそのような
解説も聞かれない。「相撲」というものに
とっての「まわし」が軽んじられているの
である。
もし、まわしが普通の締め方であったな
ら、四つ相撲の関脇安芸乃島や関脇安美錦
は大関になれたはずである。佐田の海親子
も遠藤も、大関になっていたはずである。
若元春・若隆景兄弟、大怪我から這い上が
った角界一の運動神経の持ち主・宇良は、
もともと大関になる器だ。
彼らは相手のまわしが固いゆえ、まわし
にこだわらない相撲や押し相撲も強いられ、
「押し」や「突っ張り」「喉輪」も磨かな
ければならなくなってしまった。
宇良は両膝に怪我をかかえる身でありな
がらも、自身の身の丈に合わない体重まで
増やして技と相撲道を窮めんと、土俵に骨
を埋める覚悟で精進している。
なんの因果か現在幕下にいる朝乃山は、
右四つ左上手まわしを普通に引けていれば、
今頃は同郷の横綱太刀山と同じく大横綱の
道を歩んでいたにちがいない。まわしにも
こだわらない朝乃山は、自分の右腕一本を
相手の左脇に差すだけで大関になった角界
実力一番の逸材である。
大相撲の現状がかようなものである以上、
まともな取り組みを望むには、日本相撲協
会が、力士が土俵に向かう支度部屋を出る
前に力士のまわしの締め具合をチェック、
協議する審判員を新たに設ける必要がある。
出羽海協会理事(横綱佐田の山)の提唱に
よってきちんと手をつく「立合い」の改善
ができたのだから、まわしの改善もできる
はずだ。まわしの固すぎ緩すぎ幅広すぎは
反則である。横綱輪島や横綱三重ノ海は、
まわしの締めが緩すぎていた。
このままの現状が続く限り、体力にもの
をいわせた馬力相撲のモンゴル力士優先の
土俵となり、モンゴル相撲協会と化してし
まう。大相撲は日本の伝統文化のひとつで
ある。その象徴ともいえるまわしの重要性、
価値が蔑ろにされることは、あってはなら
ないことだ。
まわしの締め具合が正常になれば、力士
の日々の稽古の積み重ねが正当に報いられ、
大相撲の番付も取り組み内容も一変する。
本当に強い力士が横綱、大関となる。さす
れば、東西の横綱は若元春、朝乃山であり、
東西の大関は宇良、若隆景である。
相撲ファンが最も期待するのは、腰を鍛
えた力士間の相撲内容の充実と、卓越した
技と実力の真剣勝負である。
〈参考〉
2018.11.19 サンスポ