402. 松
【2025年5月25日配信 】
石川県野々市町
中野 喜佐雄
この地方は、門松を立てるのは、商店や
公共施設ぐらいで、普通、民家で立てるこ
とはめったにないから立てたことはない。
わが家では、幸いに玄関の横に松があり、
それが門松の代わりに生い茂っていてくれ
る。しかし、そんなつもりで植えたのでは
ない。実は、二十数年前に、能登から一メ
ートルほどのものを買ってきたのが、今は、
三メートルあまりにも育った。
小さい時には、自由に思うままに枝をの
ばしていたが、最近では、そうもいかない。
ある程度枝も切られ葉も摘みとられ、思う
ままにのびることはできない。木にしても、
人にしても、生きていくものの「さだめ」
のようである。
この松も、人にいじめられ苦しめられて
育ったから、門松の代わりにもなるのも知
らない。夏には、周囲の木の緑に松の緑は
映えなかったが、師走から正月ともなり、
雪が積もって下草や苔も白一色になると、
葉の緑も幹の膚色もあざやかになる。
能登の松であるからあか松である。くろ
松とちがって木膚も赤く、葉は軟らかで枝
ぶりも細やかで、複雑である。松には男女
の区別はないはずだが、あか松を女松とい
い、くろ松を男松とも呼ぶのもおもしろい。
見た感じでは、確かに、あか松は柔らかく、
くろ松は硬そうであることがこうした呼び
名となったように思われる。
ある訪問者がこの松を眺めながら、
「この松は女松でなあ、男松やとよいがに」
という。この時、松にまで男女を差別す
るようなことに疑問と腹立ちも感じた。
それもこれほどに育ち、枝ぶり、緑のさ
わやかさ美しさに、自己満足していたのか
もしれない。そんなことを思い出してよく
見ると、今、緑の色は黒ずんでいる。この
黒ずんだ松の葉も春が来れば、生き生きと
した緑のあざやかさがよみがえってくる。
その美しさが目に浮かんでくる。
ふと根元を見ると、枯松葉が散り、松ぽ
っくりが一つ落ちている。ここでも子孫を
立派に育てようと懸命になっていることな
のかもしれないが、条件が悪くて育たない
ようでもある。
人間の社会も、松の社会も、子育ては難
しいものである。その条件が整うていなけ
れば、立派な子供が立派に育たないことを
知らされました。
小社発行『北陸の燈』第2号より
当講座記事NO.146再掲