”自分に正直に生きたい”

【2021年2月1日配信 NO.118】

  小社取材記事



                 石川県金沢市

                 高木 智子         


 金沢市の石川県看護学院正門前で、夕方、

当日の授業が終わってから、高木さんを取材

した。この日は、彼女の二十三歳の誕生日だ

った。彼女は家から自転車で通学している。


 なぜ看護師さんになりたいと思ったのです

か。また、いつ頃からそう思いましたか。


「そうだなー、看護師になろうと思ったのは、

高校一年の二月頃だったかしら。動機といっ

ても大それたことじゃないですけど、自分の

学校の成績とか家庭の事情とかをいろいろ考

えてみると、とうてい大学へは行けない、ま

た、県外へ出ることもできなかったんです。

かといって、短大は、親にお金の負担をかけ

るだけで、花嫁道具の一つにしか思えなかっ

たんです。だから、何か自分に合った技術を

身につけたい、将来、生きがいのある職業に

つきたいと真剣に考えてみたら、それが看護

師ということだったんです」


 それで、高校卒業後、どうされたのですか。


「午前中働きながら、昼から県内の看護学校

(高看・四年制)へ進学したんですが、ここ

でも成績がよくなく、実習の評価もはかばか

しくなく、教務の先生からも『人間には適材

適所があって、あなたは無理みたいね。看護

師には、機敏性、判断力、知識、技術を兼ね

備えていなければ、務まらないのよ』という

ようなことを言われて、それで、二年生の終

わりの頃、退学してしまったんです。


 今、当時のことを振り返ってみても、その

先生のおっしゃることも、無理もないところ

があるんです。私の成績のことで、親も何回

も呼び出しを受けていたんですが、私のほう

は、いっこうに成績が上がらず、いろいろ指

摘されたり、注意されたりしても、改善する

様子もなかったみたいなんです。私って、と

てもルーズなんです。自分でもどんな神経の

持ち主なんだろうかって、疑ってしまいます」


 現在のことを考えると、退学したのは、ち

ょっともったいないですね。今の学校へ行こ

うと思ったのはどうしてですか。


「私、実は、前の学校の在学中からずっと、

午前中は市内の内科医院で、見習い看護師と

して働いているんです。今も毎日、通ってい

ますが………。


 前の学校を退学した時に、看護師の世界も

あきらめようと思ってたんですが、院長先生

から今までの努力がむだになる。そのままで

もずっと来てほしいと言われたんです。


 それで勤めているうち、資格がほしいとい

うわけではないんですが、やっぱり、もっと

勉強したくなってきたんです」


 今のこの学校は、准看護師の資格を得るた

めの二年制の学校ですね。


「はい。前のこともあって、高看は、もう無

理だと思ったんです。それで今年の一月頃、

今の学校の受験勉強を始めたんですが、試験

は二月初旬だったのでもう大変でした。一か

月で、中学程度の英語、数学、理科、社会、

国語の五教科を勉強するなんて、とても無理

だと思ってたんですが、運よく合格できて、

今、一年生です」


 授業はどうですか。


「今のところ、前の学校で習ったことばかり

なんですが、忘れていたことや、知らなかっ

たことが多くて、勉強になります。テストも

時々あるのですが、テスト近くになると睡魔

と仲良しになって、すぐ寝てしまうんです。

テストなんかどうでもいいわ、という気持ち

になって弱ります。たるんでいる証拠です」


 同級生では、年長のほうですか。


「はい。私のクラスは、四十名近くいるんで

すが、ほとんど十代の人たちです。でも、な

かには結婚していて、お子さんもいる四十代

や三十代の男の方、それに私より年上の女の

方もいらっしゃるんです。私は年からいうと

五番目です。学校はとっても楽しいですよ」


 でも、仕事をしながら学校へ行くのは大変

ですね。わけても病院の仕事は骨が折れるん

では………。


「ええ、私の勤めている病院は、十五名から

十六名の患者さんが入院してるんです。毎日

接していて思うことは、『ここは人生の縮図

だ』ということです。


 いろんな年代の人が入院されていて、さま

ざまな地位や境遇の方がおられるんです。人

の悪口やぐちも聞くこともしばしばです。そ

んな時、私はまだまだ経験が浅いので、どん

なふうに答えてよいのかよくわからないんで

す。患者さん同士や、患者さんと家族の方と

かでも、時々衝突があります。どちらの言う

ことが正しいのかよく判断できなくて困って

しまいます」


 看護師さん同士でもありませんか。


「やはり少しはあります。たとえば、私が患

者さんの爪を切ってあげた時に、あとで他の

看護師さんに、『よけいなことをして迷惑す

るわ』というような顔をちょっとされました。

患者さんが何気なく、悪気があって言ったん

じゃないんですが、私に爪を切ってもらい手

も足もすっきりしたと、他の看護師さんに言

ったんです。


 私は正しいと思ってしたのに、他の看護師

さんは、親切にしすぎると、患者さんもみん

なにそれを期待するので迷惑すると思ったん

でしょうね。ほんとに人間関係って、むずか

しいです」


 悩みが尽きませんね。


「そうですね。やはり、一生懸命に仕事をす

ればするほど、いろんなことに疑問が生まれ、

人間関係に悩み、いらだってきます。社会の

中でも、同じことが言えるんではないかしら」


 夜勤はあるのですか。


「はい、午後から学校へ行かせていただいて

いるので、日曜、祭日の日は、朝から翌日の

朝まで勤務してます」


 そうすると、自分のプライベートな時は、

平日の学校が終わってからの時間ぐらいのも

のですね。


「そうなんです。私、学校が終わってからは、

お花とお茶、料理、着付けを習ってるんです。

料理が一番楽しくて、習ってきたものをすぐ

家でつくってみるんです。最初は、料理学校

というところは、私みたいな料理のへたな人

たちが習いに行くところだとばかり思ってい

たんですが、みなさん、とってもじょうずな

んで、びっくりしてしまいました」


 料理学校へはどうして行ったのですか。


「本やテレビを見ながらつくっていても、実

際、調味料の順番とか、味つけの仕方とか、

ちょっとした細かいところがわからないんで

す。それで、通うことにしたんですが、習っ

てきて家でつくってみると、失敗ばかりです。

私って、ぶきっちょなんです。お菓子ならひ

とりで責任とって食べてます。でも、家族の

みんなが、私のつくったものはおいしいなあ

と褒めてくれるので、つい調子にのってつく

ってしまうんです。


 それから、お茶を習っていてよかったなと

感じることは、お茶席でお茶をいただく時や、

何かを勧める場合、必ず使うことばに、『あ

りがとうございました』『お先に』『どうぞ』

などがあって、おかげで、感謝や譲り合いの

気持ちがだんだん身についてきたように思い

ます」


 それにしても、毎日、よく朝から晩まで元

気ですね。


「私、働いているのが、とっても好きなんで

す。健康だけしかとりえがないんです」


 結婚については、どう考えていますか。


「私は、二十二、三歳までに結婚したいと夢

を描いてたんですが、どういうわけかまだ学

生の身で、今、それどころではないんです。

卒業するまで独身でがんばろうと思ってます。


 でも、結婚とは何かと考えてみると、神様

は人間のために、種族保存を含めて、弱さを

互いに補いながら生きるようにって、結婚を

定めたんじゃないかしら。人は心で生きるも

のだと思うし、その心をわかってくれる人と

人生を共にしたいですね。


 でも、結婚式の費用や嫁入り支度は年々豪

華になってきているようですね。人から聞い

た話ですけど、その費用を捻出するのに、親

が自分の退職金の一部を前借りしたり、田畑

の一部を売ったりしたとかということを耳に

すると、何かいやになってしまいます。私は、

生きていて楽しいと思う生活ができたら、そ

れでいいんです。結婚とは人生の本当の意味

でのスタートだから、当座の什器さえあれば

それでいいと思います。あとから必要なもの

は、ふたりで働いて一つひとつ買いそろえて

いったらいいと思うんですが…………。結婚生

活で誇りにすることは、お色直しの回数や、

買いそろえた道具や、着物の枚数ではないと

思います。


 私は、よく両親に、『ふたりの愛があれば、

式もふたりでそっと挙げて、披露宴なんてい

らないよ』と言うんです。そしたら、『結婚

は、家と家とのつながりで、人生の出発にあ

たってみんなの前で、未熟でありますが新た

な家庭を築くためにがんばりますと言って、

披露して誓いをたてなくては』なんて言いま

すが、私は、結婚式や披露宴が面倒くさいっ

て思っちゃいます。披露宴が疲労宴になって

しまいそうです」


 結婚しても看護師の仕事は続けたいですか。


「自分の選んだ道ですから、できればずっと

続けていきたいと思いますが、結婚するとど

うなるか少し心配です」


 ご家族は何人ですか。


「両親と兄ふたりいます。私は末っ子の甘え

んぼです。家じゅう、みんな働いてるんです。

母は、すごく一生懸命働く人で、私と違って

物事をてきぱきとして、人のために尽くすん

です。それで、私の尊敬する人物に母をあげ

ることにしてます。母って、努力家で、忍耐

強い人で、特別じょうずじゃないけど、何事

にも真剣に取り組む姿勢には頭が下がります。


 私はこれまで親にさんざん心配をかけてき

たので両親にはいつも感謝してるんですが、

面と向かったら、つい文句ばっかり言ってし

まうんです。少しは反省しなくてはいけませ

んね」


 仕事と勉強と多彩な趣味を、毎日、余裕を

もって、しかもこともなげにやってのけてい

る高木さんの姿が、頼もしく感じた。

 彼女は、今通っている看護学校の入学試験

に合格した時、前の学校の先生に、がんばり

ますという内容の葉書を出した。

 先生から返事が来た。

「在学中いろいろつらいこともあったと思い

ますが、あなたなら、それをプラスにもって

いってくれるでしょう。どうか二年間、がん

ばってください」

 その葉書は、彼女の心の支えとして、大切

にしまってあるという。










     小社発行・『北陸の燈』創刊号より


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 【2025年2月26日配信】        親友ヨッチにささげる手記          -最期まで友情を信じて-                  石川県河北郡津幡町                 書店員 22歳  酒井 由記子  人は、どんな人と巡り合うか、どんな本 と出会うかによって人生が決まってくると、 ある作家が述べていたのをふと思い出す。 私にとってはまさにそうであった。出会っ た人達も書物もとても大きな影響を残し、 忘れられない出来事となっていったのであ る。   一、高校生の頃  今から六年前(1977年)、私は金沢 二水高校の二年生であった。いや二年生と いうより吹奏楽部生というほうが適切であ るほど私は部活動に情熱を注ぎ込んでいた。 みんなでマラソン、腹筋運動をしてからだ を鍛えあげ、各パートごとでロングトーン をして基礎固めをなして、全員そろって校 舎中いっぱいに響きわたるハーモニーを歌 いあげる。それは、先輩、後輩、仲間達の 一致によって一つの音楽をつくり出すとい う喜びを存分に味わった私の青春時代の真 っ盛りであった。ただ残念なことは、部活 動に熱中すればするほど勉強のほうはさっ ぱり力がはいらなかったことである。中学 生のときは、「進学校にはいるために」と いうただそれだけの目的で受験勉強ができ た。しかし、いざ高校にはいってみると、 また「いい大学にはいるために」と先生方 が口をすっぱくして押しまくる文句に素直 になれなかった。勉強する本当の意味が見 出せなかったのである。その頃から、私は 人間は何のために生きるのだろうかという ことまで突っ込んで考えるようになってい った。  父母が書店を経営しているため本は充分 にあり、書物を読むことによって答えを見 出そうとした。私の強い求めに応じるかの ように一冊の本が転がり込んできた。クリ スチャン作家である三浦綾子さんの『あさ っての風』という随筆集であった。聖書の 言葉がそこに登場しており、それはズシリ と心に響いたのである。その本に魅せられ て三浦さんの自叙伝も何冊か読み進めてい った。しだいに私の魂は、人間をはるかに 越えた大いなる存在があることを感じてい った。確信までは至らなかったけれども、 それらの本...

303. 教え子を再び何処へ送るのか

【2023年5月25日配信】   マスクをめぐる学校との苦闘                   千葉県 今野 ゆうひ  17歳                          2019年。新型コロナウイルスが突如 として私たちの生活に現れました。何もわ からないまま政府に舵をゆだね、ウイルス の災いとして ”コロナ禍” は四年目に突入し ました。 当時中学三年生だった私の日常も  “コロナ禍” によって一変しました。  外出自粛、一斉休校、ソーシャルディス タンス、マスク、消毒...   それら政策を半ば面白がりながら、20 21年まで三年間、流されて過ごしました。  人との接触をなるべく避けながらいかに 楽しめるか。マスクをしていかにおしゃれ をできるか。いつしか私たちの生活は“コロ ナ禍”ファーストへと姿を変えていました。  2021年、高校一年生になった私も“コ ロナ禍”ファーストな高校生活を送っていま した。  その年の夏、母と私は新型コロナと全く 同じ症状を発症。病院に行っても薬がない ので PCR検査などはしていませんが、あの 症状は確実に新型コロナだったと思います。 その時母と、“コロナ禍” ファーストな生活 をしていても感染はするし、普通の風邪と 同じように治るということに気づきました。  もちろん個人差はありますが、なぜここ まで徹底して感染源を特定したり外出制限 をしたりするのか、その時からじんわりと 疑問が生まれます。  経験は人を変化させますね。  そんなこんなで私と母は、自転車に乗っ ている時だけ。から始まり、すこしずつマ スクを外すことにしました。  ある日、母と一緒に近くの大きめのスー パーで買い物をすることになります。 「注意されるまでマスクしないで入ってみ るわ」  正直遊びの部分もありました。ちょっと 面倒くさくなっちゃったのです。強い意志 もないただのチャレンジだったので、何か 言われたらすぐ付けるつもりでした。  ところが、なんかいけちゃったのです。 一時間弱いたものの、誰にもなんにも言わ れず買い物終了。  なんということでしょう。今までやって きたことはなんだったんだと思うほどあっ けなくチャレンジは成功。今思えば、この スーパーで何か言われていたら、この文を 書くこともなかったで...

261. 知られざる歴史「海に消えた布引丸」

【2022年7月19日配信】              日本の重心富山県沖、大陸から見た日本       みんな仲良く        (富山県作成)                      久慈あさみ『ブンガワン・ソロ』 .           アジア連帯への熱情              金沢市 山口 隆重                兼六園近くの小立野台に建つ紫錦台中学 校、ここはかつて旧制金沢第二中学校があ ったところだ。  今から40年ほど前、大正二桁生まれの この旧制二中卒業生を主なメンバーとする 十数人が、「二十一世紀を語る夢の会」な る親睦会をつくった。  親睦会といっても酒好きの彼らは、この 夢の会発足前からも、毎夕仕事帰りに各自 それぞればらばらに市内の片町や香林坊の 居酒屋、小料理屋で顔を合わせ、夢の会を 開いていたのだが、そこでは国政や県政、 社会、教育、海外情勢などあらゆる時事問 題、身近な話題をだれに遠慮することなく 忌憚なく熱く語り合っていた。  彼らの多くは定年間近のサラリーマンで、 県庁、市役所、郵便局、学校、新聞社、専 売公社、電電公社、国鉄、労働組合などに 勤めていた。若き日、戦場を体験した世代 である。彼らは多くの友人や親、兄弟たち を失っていた。戦争否定は言わずもがなの 彼らの共通認識であった。また、高学歴で ありながら「長」の付く要職を拒んだ人た ちでもあった。東大、早稲田、慶応を出て いようと彼らは平社員、平教員を貫いた。 満鉄退職後、県庁に勤めていた人もいた。  居酒屋で彼らとよく顔をあわせていた私 は、なぜか彼らに可愛がられて、いつの間 にか親子ほども歳の離れた特別会員となっ てしまった。私は旅行代理業をしていたこ ともあって年に数回、「夢の会懇親旅行」 を企画、担当し、彼らを日本各地の名所へ 案内した。  このメンバーの中に、林政文の孫の林さ んという方がいた。林さんの父は林政武で、 第4代の北國新聞社長だった。祖父が第2 代社長の林政文である。  なお、初代は政文の実兄の赤羽万次郎で あり、3代目は政文の義父・林政通である。  林政武は昭和18年(1943年) に亡くなり、 同社の経営は林家から離れた。赤羽家、林 家は長野県松本市出身だった。   明治26年(1893年) 8月5日、...
         柿岡 時正
         廣田 克昭
         酒井 與郎
         黒沢  靖
         神尾 和子
         前田 祐吉
         廣田 克昭
         伊藤 正孝
         柿岡 時正
         広瀬 心二郎
         七尾 政治
         辰巳 国雄
         大山 文人
         島田 清次郎
         鶴   彬
         西山 誠一
         荒木田 岳
         加納 韻泉
         沢田 喜誠
         島谷 吾六
         宮保 英明
         青木 晴美
         山本 智美
         匂  咲子
         浅井 恒子
         浜田 弥生
         遠田 千鶴子
         米谷 艶子
         大矢場 雅楽子
         舘田 信子
         酒井 由記子
         酒井 由記子
         竹内 緋紗子
         幸村  明
         梅  時雄
         家永 三郎
         下村 利明
         廣田 克昭
         早津 美寿々
         木村 美津子
         酒匂 浩三
         永原 百合子
         竹津 清樹
         階戸 陽太
         山本 孝志
         谷口 留美
         早津 美寿々
         坂井 耕吉
         伊佐田 哲朗
         舘田 志保
         中田 美保
         北崎 誠一
         森  鈴井
         正見  巖
         正見  巖
         貝野  亨
         竹内 緋紗子
         滋野 真祐美
         佐伯 正博
         広瀬 心二郎
         西野 雅治
         竹内 緋紗子
         早津 美寿々
         御堂河内 四市
         酒井 與郎
         石崎 光春
         小林 ときお
         小川 文人
         広瀬 心二郎
         波佐場 義隆
         石黒 優香里
         沖崎 信繁
         山浦  元
         船橋 夕有子
         米谷 艶子
       ジョアキン・モンテイロ
         遠藤  一
         谷野 あづさ
         梅田 喜代美
         小林 ときお
         中島 孝男
         中村 秀人
         竹内 緋紗子
         笠尾  実
         前田 佐智子
         桐生 和郎
         伊勢谷 業
         伊勢谷 功
         中川 清基
         北出  晃
         北出  晃
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         濱田 愛莉
         伊勢谷 功
         伊勢谷 功
         加納 実紀代
         細山田 三精
         杉浦 麻有子
         半田 ひとみ
         早津 美寿々
         広瀬 心二郎
         石黒 優香里
         若林 忠司
         若林 忠司
         橋本 美濃里
         田代 真理子
         花水 真希
         村田 啓子
         滋野 弘美
         若林 忠司
         吉本 行光
         早津 美寿々
         竹内 緋紗子
         市来 信夫
         西田 瑤子
         西田 瑤子
         高木 智子
         金森 燁子
         坂本 淑絵
         小見山 薫子
         広瀬 心二郎
         横井 瑠璃子
         野川 信治朗
         黒谷 幸子
         福永 和恵
         小社発信記事
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         秋山 郁美
         加藤 蒼汰
         森本 比奈子
         森本 比奈子
         吉村 三七治
         石崎 光春
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         前田 佐智子
         中野 喜佐雄
         八木  正
         堀  勇蔵
         家永 三郎
         広瀬 心二郎
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         菅野 千鶴子
         海野 啓子
         石井 洋三
         小島 孝一
         キャリー・マディ
         谷本 誠一
         宇部  功
         竹内 緋紗子
         谷本 誠一
         酒井 伸雄
163、コロナ禍の医療現場リポート
         竹口 昌志
164、この世とコロナと生き方を問う
         小社発信記事
165、コロナの風向きを変える取材
         橋本 美濃里
166、英断の新聞意見広告
         小社発信記事
167、ワクチン接種をしてしまった方へ
         小社発信記事
168、真実と反骨の質問
         小社発信記事
169、世論を逆転する記者会見
         小社発信記事
170、世界に響けこの音この歌この踊り
         小社発信記事
171、命の責任はだれにあるのか
         小社発信記事
172、歌人・芦田高子を偲ぶ(1)
         若林 忠司
173、歌人・芦田高子を偲ぶ(2)
         若林 忠司
174、歌人・芦田高子を偲ぶ(3)
         若林 忠司
175、ノーマスク学校生活宣言
         こいわし広島
176、白山に秘められた日本建国の真実
         新井 信介
177、G線上のアリア
         石黒 優香里
178、世界最高の笑顔
         小社発信記事
179、不戦の誓い(2)
         酒井 與郎
180、不戦の誓い(3)
         酒井 與郎
181、不戦の誓い(4)
         酒井 與郎
182、まだ軍服を着せますか?
         小社発信記事
183、現代時事川柳(六)
         早津 美寿々
184、翡翠の里・高志の海原
         永井 則子
185、命のおくりもの
         竹津 美綺 
186、魔法の喫茶店
         小川 文人 
187、市民メディアの役割を考える
         馬場 禎子 
188、当季雑詠
         表 古主衣 
189、「緑」に因んで
         吉村 三七治 
190、「鶴彬」特別授業感想文
         小社発信記事
191、「社会の木鐸」を失った記事
         小社発信記事
192、朝露(아침이슬)
         坂本 淑絵
193、変わりつつある世論
         小社発信記事
194、ミニコミ紙「ローカル列車」
         赤井 武治
195、コロナの本当の本質を問う①
         矢田 嘉伸
196、秋
         鈴木 きく
197、コロナの本当の本質を問う②
         矢田 嘉伸
198、人間ロボットからの解放
         清水 世織
199、コロナの本当の本質を問う③
         矢田 嘉伸
200、蟹
         加納 韻泉
201、雨降る永東橋
         坂本 淑絵
202、総選挙をふりかえって
         岩井 奏太
203、ファイザーの論理
         小社発信記事
204、コロナの本当の本質を問う④
         矢田 嘉伸
205、湯の人(その2)
         加藤 蒼汰
206、コロナの本当の本質を問う⑤
         矢田 嘉伸
207、哲学の時代へ(第1回)
         小社発信記事
208、哲学の時代へ(第2回)
         小川 文人
209、コロナの本当の本質を問う⑥
         矢田 嘉伸
210、読者・投稿者の方々へお願い
         小社発信記事
211、哲学の時代へ(第3回)
         小社発信記事
212、哲学の時代へ(第4回)
         小社発信記事
213、小説『金澤夜景』(2)
         広瀬 心二郎
214、小説『金澤夜景』(3)
         広瀬 心二郎